2021/12/03

万葉集と芭蕉の応答

今回は、春という同じテーマを、『万葉集』と松尾芭蕉がどのように表現しているか、比べてみたいと思います。

まずは『万葉集』の歌から。

 

 石走(いわばし)る垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出(い)づる春になりにけるかも【巻第八】

  (伊藤博氏による口語訳:岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ。)

 

芽を出して、ぐんぐん成長していくわらびの様子、スピード感が感じられます。

このスピード感はどこから来ているのかな、とちょっと考えてみたのですが、おそらくその理由は、「垂水」「上」「さわらび」というように、短いフレーズの最後に「の」が繰り返されていることや、「石走る」や「萌え出づる」ということばに、止めようのないほどの生命力が感じられることではないかと思った次第です。

 

 では、次に、松尾芭蕉の句。

 

よくみれば薺(なずな)花さく垣ねかな

 (雲英末雄・佐藤勝明による口語訳:よく見ると、垣根のあたりに薺が花を咲かせていることだ。)

 

草の戸も住替(すみかわ)る代(よ)ぞひなの家

 (雲英末雄・佐藤勝明による口語訳:この草庵も人の住み代わる時となり、これからは雛飾(ひなかざ)りのある賑(にぎ)やかな家になるのであろうな。)

 

どれもいいですね。

古代人が詠んだ春の生命力の力強さから一転。

ひっそりと咲いた雑草にふと目を留めたり。

旅に出るために住み慣れた芭蕉庵を手放し、これからはひな人形が飾られる家になるのだろうと、しみじみとした感慨を抱いたり。

(ただし、新しい居住者が入って賑やかになった庵を実際に見てから作った句だそうです。)

 

古代人が「春だね~」と呼びかけて、芭蕉が「春だね~」と応えているような、そんなやりとりを想定してみました。

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