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2005/08/15

手のひらの歴史

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「そらっ、買ってきてやったぞ。」
目の前に、茶色の包みがどさっと置かれた。
<何だろう?>と、がさごそ音をたてながらセロテープをはがす。書店の封筒から出てきたのは、五センチほどのなんとも分厚い本だ。
「これ、なあに?」
 小学校一年生の私は、あんちゃんの顔を見上げる。すると、
「お前、本が好きだろ。いろんな本、あっという間に読んじゃってるじゃないか。でもこれなら、すぐには読めないぞ。いいだろ、これ。」
 早口でそう言って、ギョロ目を細め、照れくさそうに微笑んだ。お礼を言う暇さえ与えず、右手でごしごしと私の頭をなでる。汚れたエプロンからは、日頃吸っている煙草の匂いがした。
 「あんちゃん」は本物の兄ではない。母の姉の子供、つまりはイトコに当たる。二十も年の離れたそのイトコと、私は夏休みの間、時にはじゃれあい、時にはからかわれて、ぷーっとふくれながら、大半を一緒に過ごした。
 あんちゃんは、外房の海に面する小さな旅館の跡取り息子で、中学卒業後、すぐに板前として家業を手伝った。あんちゃんの母、私の伯母はそこの女将である。仲居は伯母の妹たちだ。母も一人娘の私を連れ、旅館で働いていた。
 思い返せば、昭和五十年代の海辺の旅館は、なんと賑やかだったことだろう。七月中旬からお盆までのほぼ一か月、猫の子一匹泊まれないほど、日々満員御礼の状態であった。
 子供とはいえ、私も遊んではいられない。あんちゃんの作る茶わん蒸しの卵の数を数え、刺身のツマの大根を盛り付ける。
 そして、お客様に食事を出し終えた頃、やっと休憩時間が来る。空の食器が下がるまでのほんの三十分。食器棚の前で腹這いになりながら、あんちゃんのくれた本を読んだ。
  『お話宝玉選』と題されたその本は、不思議な本だった。キリストやマホメット、ブッダの話、中国や日本の古典、イソップ物語、……。そんな一切合切の世界中の物語が、コンパクトにまとめられていた。
 食器がかちゃかちゃ鳴る音、お母さんと子供の笑い声、宴会から漏れてくるどんちゃん騒ぎの手拍子、芸者のお姐さんが弾く三味線の音色。ざわめきのただ中で、私は、めくるめく物語の世界に酔った。慈悲深い光明皇后にジーンとし、狂言「ぶす」に笑い転げ、彦一のとんちに唸ったのである。
 それから二十三年後の平成十一年十一月、あんちゃんは胃ガンでこの世を去った。海辺の旅館は長い不況に耐えきれず、金銭的なやりくりで相当悩んだ末の死であった。享年五十歳。お嫁さんの来手もなく、一生のほとんどすべてを小さな旅館で魚を焼いて過ごした。見る人から見ればつまらない人生だった。
 お葬式に参列しようと、朝一番の電車に乗った私は、旅館での日々が思い出されてならず、窓の外を眺めながら滲む涙を拭き続けた。朝日を浴びてキラキラ光る外房の海は、海水浴客で賑わった夏の旅館、一人っ子の私を実の兄以上にかわいがってくれたあんちゃん、むさぼるように読んだ本、を思い起こさせた。
 私はうかつにも、ずっとそれを忘れていたのだ。そして、お礼さえ言わないまま、あんちゃんを逝かせてしまった。ぶっきらぼうに置いた本の重たげな音。汚れたエプロンと煙草の匂い。頭を撫でてくれた手の感覚……。溢れ出た記憶が一気に胸をしめつけた途端、私は激しく泣いた。
 はるか昔の小さな出会いが、一生を決めることがあるとつくづく思う。特に子供は誰かに貰ったその種を、何年も、何十年も温めているものだ。きっと、いいことも悪いことも、そうなのだろう。
 神話を読んでいると、あの頃読んだ物語に再会することがある。そのたびに、私の中のささやかな歴史が、ひっそりと死んでいったあんちゃんの手のひらから始まったことを、胸を焼き尽くすほどのなつかしさとともに、思い出すのである。

♣『歴史読本』2004年7月号に掲載したものを修正して転載しました。

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