へるめす通信5
アポロンは、ポイボスともポイボス・アポロンとも呼ばれ、ギリシア神話の神々のうちで一番の好人物とささやかれる美青年神である。
好人物なんてものじゃない。彼には品行方正すぎるというイメージさえある。
そのイメージの典型は、ニーチェの『悲劇の誕生』の中にうかがえる。
ニーチェはリヒャルト・ワーグナーに捧げたその書物において、酒と陶酔の神ディオニュソスとアポロンを対比させているからだ。
そして、この二神の対立が象徴するのは、本質と現象といった原理の対立なのである。
ニーチェによれば、アポロンは、本質を覆い隠す仮象世界の代表である。
人間は、欲望や陶酔(オルギー)、快楽や衝動、生存の恐怖というような、恐ろしい反面本質的なもの—これをニーチェは「ディオニュソス的なもの」と呼んだ—を、日常生活で覆い隠さなくては生きていけないのである。
だから、日常生活というのは、理性の世界、品行方正な世界、本質を隠す仮の世界であり、つまりは「アポロン的なもの」ということになる。
このニーチェの対比を用いるなら、いたずら者のヘルメスは、ディオニュソス的な性格を持っているといえるかもしれない。
さらに、アポロンは、託宣に関する力でも他を圧倒していた。
少しでも困ったこと、対策を知りたいことがあれば、みんな、すぐにデルポイにあるアポロンの神殿に託宣を聞きに行ったのである。
たとえば、精神分析学者フロイトのエディプス・コンプレックスで名高いオイディプス王も、その一人であった。
彼が荒れ果てたテバイの国を救うのに、どうしたらよいかを尋ねた先は、アポロン神だったのである。
ところで、ヘルメスとアポロンのどちらが好みですか、と聞かれれば、私なら問答無用で
「アポロン!」
と答えてしまうに違いない。
真面目すぎるのもよくないけれど、暴れん坊はどうしようもない。
しかも根っからときていれば、「どこかで誰かに根性をたたき直してもらったら?」と嫌みの一つでも言いたくなってしまう。
けれど、乱暴者とひとくくりにできないところがヘルメスにはある。彼の本領は怒ったアポロンと面会した場面以降に発揮されるのだ。
ヘルメスは、徹底的に怒らせたアポロンから、ケーリューケイオン、ラテン語でカードゥーケウスという、美しい黄金の杖を、ちゃっかりもらっている。
しかも、アポロンに、「今後、おまえほど自分に近い存在を作らない。」と高らかに宣言させてしまってもいる。
アポロンは、いたずらされたのに、すっかりヘルメスのとりこなのである。
そうすると、ヘルメスって、もしや人とのつきあい方に悩む現代人にヒントを与えてくれる存在なんじゃないかと思えてくる。
なんたって、敵だった者を最強の味方にしてしまうのだから。ヘルメスの真似をしたら、もう少し、円滑な人間関係が営めるかもしれない、とも思うのだ。
けれども、みんな、本当は知っている。神話はそういう直接的な意味で、現代人の生きるヒントにはならないということを。
だって、ヘルメスは神様なのだ。私たち人間にはできない芸当をする。だから、彼の真似をしろ、参考にしろと言ったって、そもそも私たちにできはしないのである。
けれどもよく考えてみると、ヘルメスは、黄金の杖も、心をとろかす竪琴も、初めから持っていた訳ではない。
それは、人生(神生?)の中で見つけ出し、智恵を尽くし、工夫を凝らして、やっと手中に収めているのだ。
ヘルメスは残酷な乱暴者であり、決して私の好みではないが、努力だけはした神なのである。
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