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2005/10/01

へるめす通信8

悪事が明らかなら、 どんなに言いつくろったって何の効果もない。

アポロンは、そっと笑った。あちこちへ視線を送り、口笛を吹き鳴らし、なんとかごまかそうとするヘルメスを。

そして、こう言い放った。

 「ウソつきめ。そうやって、これまで何度も人の持ち物を奪ってきたにちがいない。揺りかごから降りろ。今後、お前は、盗賊の首領と称えられるようになるのだ。」

ところが、幼児を揺りかごから運びだそうとして掴んだアポロンは、ヘルメスからキツーイ一発をお見舞いされることになる。

一発とは、まさに「一発」。おなら攻撃である。

 

ええっ? おなら……!? 神様同士のいさかいに、おなら? 

中学校の頃の私が、あれほど憧れ、あれほど欲しがった「翼の生えたサンダル」を履く当の神様が、品行方正のアポロンに、おなら……。

もうなんて言うか、本当に、こういうところを読んでいると、パルテノン神殿とかミロのヴィーナス、サモトラケのニケ像のような、整然と完結した美というギリシア神話のイメージが、どんっガラガッタ、ガラガラガラっと、完膚なきまでに崩れ去っていくのである。

うっかり、というならまだしも、初対面で、わざとこれはないでしょ、ヘルメスってば。

アポロン様に、もっと優雅な、優雅が無理なら、せめてもあんたの外見にふさわしいような仕返しってのは、なかったんかいっ!

と、ひとしきりヘルメスに毒づいて気を晴らした後、私はいつも思うのである。

私たちが持っている美しく壮麗なイメージは、ギリシア神話のごく一部のあらわれでしかないんじゃないか。

ギリシア神話は、尋常の私たちのイメージとは、かなりかけ離れたものなんじゃないか。

私たちは、ギリシア神話を、ルーブル美術館に陳列された美術品を見るようにして、読んでいただけじゃないか。

そして、ルーブル的、アポロン的美と正反対に位置していて、私たち現代人のロマン主義をぶち壊す存在が、かのヘルメスなんじゃないか……って。

こういう私の問題関心と若干方向が違っているけれど、そういえば、E. R. ドッズも、『ギリシア人と非理性』の冒頭で、こんなことを書いている。

大英博物館のパルテノンの彫刻を見ていたら、ある青年がドッズのもとにやってきて、こう言った。

「口に出すのは恥ずかしいのですが、私はギリシアのものに全然感動をおぼえないのです。」

そこで、ドッズは「それは面白い。どういうわけで、あなたはこれらの彫刻に反応しないのですか」と尋ねた。すると、彼は、

「ともかく、ギリシアのものはあまりに理性的すぎますよ」

と答えたというのである。

青年との偶然の会話から、ドッズは、次のように考えた。

確かに、青年が言ったように、通常、ギリシア人は理性的だと言われている。だが、彼らは本当に非理性の要素を一顧だにしなかったのか、と。

そこで、狂気、夢、霊魂といったような非理性的側面に焦点を当て、ギリシア人の非理性の要素を描いたのが、『ギリシア人と非理性』であった。

ちなみに、ドッズのこの本に触発されて、古代日本の夢のあり方を解明したのが、西郷信綱氏の『古代人と夢』である。

ところで、ヘルメスの反撃は、たった「一発」で終わるはずもなかった。その後、彼はおまけとして、アポロンに「くしゃみ」もお見舞いしている。当時、おならもくしゃみも、何かの前兆であったらしい。

「お前のそれが、良い兆しになるとよいがな。」

かっこよく言い放つと、アポロンは、ごねまくるヘルメスを、神々の王ゼウスのところへ、ひったてて行く。

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