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2005年10月の4件の記事

2005/10/23

へるめす通信10

 —(ジョルジュの孫)そもそも、何で「宣誓」ってなものがあるのか、ってことが問題なのよ。

 —(村人A)まあ、そういうことになりますね。

 —(ジョルジュの孫)たとえば、あなた、さっき言ってたけど、「自分は真っ正直にモノをいいました。これはホントです!」ってのが、どうしてダメなのかってこと。
 これについて、たとえば、ホッブズは『リヴァイアサン』の中で、「ことばの力というものは弱すぎて、きっちりと約束を守るように、人を拘束することができない」、てなことを言ってるの。
 つまりね、いくらあなたが「オレの言ってることは正しいぞ! 真実なんだ! 嘘はついていないんだあ!!」って、喉をからして叫んでみたところで、当人の喉が痛くなるだけのことで、その実、あなたは嘘をついてるのかもしれないってこと。
 少なくとも叫んだだけじゃ、他人は信用してくれないってことよ。

 —(村人A)そりゃ、当然ですね。そういう場合もあるでしょ。真実を叫ぶのはパフォーマンスで、実は嘘だったってことはね。

 —(ジョルジュの孫)そう、そう。で、そうすると、「自分の言うことが、紛れもなくホントなんです!!」ってことを強調したい時には、あなた、どうする?

 —(村人A)うーん、そうですね。それは、さっきも言ったけど、「これが嘘だったら、殺されてもいい」とか、「殴られてもいい」とか、「オレの全財産、取っていい」とか、自分にとって大切な何か、失いたくない何か、痛恨の衝撃を与える何かを引き合いに出しますね。つまり、「担保」ってやつですよ。

 —(ジョルジュの孫)そうでしょ、そうでしょ。
 ところで、人はどうして何かを誓う時に、自分にとって大切なモノを引き合いに出してくるのか、ということになるのね。つまり、真実を誓う時に、なぜそんなものを差し出すのかってこと。
 そこで、ホッブズは、その背景には、人間の情念というものの性格が関係しているっていうわけ。
 そして、その最大のものは、「誓いを破ったのがばれたら、どんなひどい結果になるじゃろかい? どんな目にあうのかなぁ。怖いよー、心配だよー。だから嘘は言いませんし、この大切なモノを差し出します。」という、恐怖の感情だと言うのね。
 つまり、ホッブズの考え方によるなら、「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲〜ます」の中の「ハリセンボン」は、人間の持っている「恐怖」という情念に訴えたものだってことなのよ。

 —(村人A)まあ。そうなるかな。なるほどね。で?

2005/10/21

へるめす通信9

というわけで、ヘルメスはゼウスの前に出て……。

 —(村人A、突然の登場)あのう、ちょっと質問というか、ささやかな意見を挟みたいのですが。
  話をさかのぼらせて申し訳ありませんが、ヘルメスが自分の無実について、「ゼウス神の頭」にかけて誓うっていうのは、なんだか変というか、面白いですね。

 —(ジョルジュの孫)あっ、そうそう、それそれ。さっき言おうと思ってたのよ、それ。
 ご意見、どうもありがとう。
 (ところで、あんた、誰?)
 あのね、あなたは、誓いなんか今まで立てたことないかもしれないけど、そんなあなたでも、いつか裁判所に行くことがあったら、誓いを立てることになるのね。たぶん。
 それが「宣誓」ってやつなのよ。

 宣誓はね、良心に従って真実を述べることを誓うものなのね。民事訴訟でも刑事訴訟でも、証人となったからには、宣誓なしには証言できないみたい。それくらい重要なものらしいのね。

 ところで、誓いを立てるものっていうのが、時代や文化によって様々なのよ。
 やっぱり記憶に新しいのは、アニメにもドラマにもなった漫画『金田一少年の事件簿』ね。主人公の金田一一(きんだいち はじめ)少年は、難解な事件を解き明かす前に必ず、こう言うの。

俺が必ず謎を解く、「じっちゃんの名にかけて!」
 (うっきゃー、かっこいいじゃない!)

 —(村人A)あのう、興奮してるところ、悪いんですが、その「じっちゃん」って誰ですか? 金田一京助さんですか。

 —(ジョルジュの孫)まっ、あなた、若いのに、なんでそんな渋ーい名前が出てくんの? 今じゃ、その名は、アイヌ研究者か国語学関係者しか知らないかもよ?
 あのね、金田一君の言う「じっちゃん」はね、かの有名な「金田一耕助」のことなのよ。

『犬神家の一族』とか『八つ墓村』って小説、聞いたことある? 溝口正史が書いた一連の推理小説に登場する名探偵が金田一耕助よ。

 漫画の金田一少年はね、名探偵・金田一耕助の孫という設定なのよ。

 —(村人A)はあ、そうですかぁ。

つまり、金田一君は、おじいちゃんである名探偵・金田一耕助さんの名前に誓っているわけですねえ。
そうすると、ヘルメスさんも、神々の王様で、彼のお父さんであるゼウスさんの頭に誓っているということになりますか。

 —(ジョルジュの孫)そう、そう。そういうこと。

 —(村人A)だけど、何で、誓いを立てるのに、わざわざ何かを持ち出すんですか。「自分は真っ正直にモノをいいました。これはホントです!」てのは、ダメなんですか。

 もっと言うとですね、「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲〜ます、指切った」ってのが、ありますね?
 こんなふうに、嘘ついたら、ハリセンボンみたいな何かの罰があるっていうなら、わかりますよ。ところが、そうじゃなくて、「○○にかけて誓う」ってのは、わかったようで、なんかよくわからないなあ。

 —(ジョルジュの孫)それよ。それ、問題はそこよ。それはね……。

2005/10/08

八月の鯨(The Whales of August, 1987)

主人公は、小さな島の別荘で夏を過ごす老いた姉妹。彼女たちの過ぎゆく夏、過ぎゆく人生を描いた佳品です。

別荘から見える海や月がとても美しい。ですが、俳優陣は、風景以上に一見の価値ありです。

妹を演じたのは、当時90歳のリリアン・ギッシュ。姉を演じたのは、当時79歳のベティ・デイヴィス。

リリアン・ギッシュは、私がこれまでに見た映画でいえば、『国民の創生』(1915年)や『イントレランス』(1916年)、『散りゆく花』(以上、監督はD. W. グリフィス)に出演していて、信じられない位に息の長い活躍をしています。役者はいくつになっても役者なのだと、感じ入ってしまいます。

この戯曲を知ったのは、つい先日、三百人劇場での舞台を見たためです。それで感心したため、映画の方も見てみましたが、結末が両者では全く異なりました。

舞台(つまり、もともとの戯曲)では、姉妹同士が日々感じている嫌な面が衝突しあって結末を迎えるのですが、映画の方は、その衝突を超えた上での希望が描かれています。

2005/10/01

へるめす通信8

悪事が明らかなら、 どんなに言いつくろったって何の効果もない。

アポロンは、そっと笑った。あちこちへ視線を送り、口笛を吹き鳴らし、なんとかごまかそうとするヘルメスを。

そして、こう言い放った。

 「ウソつきめ。そうやって、これまで何度も人の持ち物を奪ってきたにちがいない。揺りかごから降りろ。今後、お前は、盗賊の首領と称えられるようになるのだ。」

ところが、幼児を揺りかごから運びだそうとして掴んだアポロンは、ヘルメスからキツーイ一発をお見舞いされることになる。

一発とは、まさに「一発」。おなら攻撃である。

 

ええっ? おなら……!? 神様同士のいさかいに、おなら? 

中学校の頃の私が、あれほど憧れ、あれほど欲しがった「翼の生えたサンダル」を履く当の神様が、品行方正のアポロンに、おなら……。

もうなんて言うか、本当に、こういうところを読んでいると、パルテノン神殿とかミロのヴィーナス、サモトラケのニケ像のような、整然と完結した美というギリシア神話のイメージが、どんっガラガッタ、ガラガラガラっと、完膚なきまでに崩れ去っていくのである。

うっかり、というならまだしも、初対面で、わざとこれはないでしょ、ヘルメスってば。

アポロン様に、もっと優雅な、優雅が無理なら、せめてもあんたの外見にふさわしいような仕返しってのは、なかったんかいっ!

と、ひとしきりヘルメスに毒づいて気を晴らした後、私はいつも思うのである。

私たちが持っている美しく壮麗なイメージは、ギリシア神話のごく一部のあらわれでしかないんじゃないか。

ギリシア神話は、尋常の私たちのイメージとは、かなりかけ離れたものなんじゃないか。

私たちは、ギリシア神話を、ルーブル美術館に陳列された美術品を見るようにして、読んでいただけじゃないか。

そして、ルーブル的、アポロン的美と正反対に位置していて、私たち現代人のロマン主義をぶち壊す存在が、かのヘルメスなんじゃないか……って。

こういう私の問題関心と若干方向が違っているけれど、そういえば、E. R. ドッズも、『ギリシア人と非理性』の冒頭で、こんなことを書いている。

大英博物館のパルテノンの彫刻を見ていたら、ある青年がドッズのもとにやってきて、こう言った。

「口に出すのは恥ずかしいのですが、私はギリシアのものに全然感動をおぼえないのです。」

そこで、ドッズは「それは面白い。どういうわけで、あなたはこれらの彫刻に反応しないのですか」と尋ねた。すると、彼は、

「ともかく、ギリシアのものはあまりに理性的すぎますよ」

と答えたというのである。

青年との偶然の会話から、ドッズは、次のように考えた。

確かに、青年が言ったように、通常、ギリシア人は理性的だと言われている。だが、彼らは本当に非理性の要素を一顧だにしなかったのか、と。

そこで、狂気、夢、霊魂といったような非理性的側面に焦点を当て、ギリシア人の非理性の要素を描いたのが、『ギリシア人と非理性』であった。

ちなみに、ドッズのこの本に触発されて、古代日本の夢のあり方を解明したのが、西郷信綱氏の『古代人と夢』である。

ところで、ヘルメスの反撃は、たった「一発」で終わるはずもなかった。その後、彼はおまけとして、アポロンに「くしゃみ」もお見舞いしている。当時、おならもくしゃみも、何かの前兆であったらしい。

「お前のそれが、良い兆しになるとよいがな。」

かっこよく言い放つと、アポロンは、ごねまくるヘルメスを、神々の王ゼウスのところへ、ひったてて行く。

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