へるめす通信12
—(ジョルジュの孫)つまり、誓いを立てる時には、もし私が嘘をついていたなら、神の慈悲をあきらめてもいい。あるいは、神から何らかの罰が下されてもいい。
そういう覚悟がなくっちゃいけないってことになるわけ。
—(村人A)だけど、ホッブズはキリスト教徒でしょ? そうすると、彼の言うところの「神」って、いわゆる「オー、マイ、ガッ!!」でお馴染みの「God」のことなんじゃないんですか?
それから、キリスト者じゃない人は、どうなるんですか。
—(ジョルジュの孫)それについても、さすがホッブズ、ちゃんと考えているの。
つまり、異教的な形式で宣誓する人の場合、例えば、「私は嘘をついていない。そうでなければ、ユピテルに私を殺させよ。」っていうようなものもあるというわけ。
ちなみに、ユピテルってのは、ローマ神話の主神で、ギリシア神話でいえばゼウスに相当する神さまよ。
—(村人A)ふーん。なるほどね。
—(ジョルジュの孫)だから、各人各様、信じているものが違うわけだから、各人が信じているものを生かす形で宣誓をしなければならないというわけ。
ちなみに、ホッブズは次のように言ってるのね。
第一に、誓う人がいつもやっているやり方以外の形式や儀礼で行われた宣誓には意味がない。
第二に、誓う人が神と考えないものによる宣誓は意味がない。
—(村人A)すごい。ホッブズって徹底して物事を考えた人なんだ。
—(ジョルジュの孫)うん。うん。
ちなみに、これについては、グロティウスっていう16世紀後半から17世紀にかけて活躍した「国際法の父」とか「自然法の父」って呼ばれる人も、『戦争と平和の法』っていう本の中で、同じようなことを述べてるのね。
一節をちょっと読んでみるとね、
「宣誓は、神が呼ばれること、例えば『神よ我が証人たれ』或(あるい)は『神よ我が裁判官たれ』という意味を有すべきである(中略)。そしてすべての事を知り給(たま)う神は証人であるが故に復讐者でもある」、だって。
—(村人A)…………。
—(ジョルジュの孫)? こらぁ。ちょっと、あんた、寝てんじゃないの?!
—(村人A)……、はっ! 今度はあっしが気を失っちゃいましたよ。……難しいですよ。
—(ジョルジュの孫)こんなんで、へこたれるな! って言っても、まあ、確かに難しいかもね。
それにね。この本は難しいだけでなく、分厚いったらないの。いやー、今回初めて知ったんだけど、一又正雄さんの翻訳だと1冊につき5センチの厚さで、しかも3巻もあるんだから。
—(村人A)へえー。そうですか。グロティウスさんもご苦労なことでしたね。
ところで、そうすると、何ですか、漫画の金田一君は、じっちゃん、つまり、名探偵・金田一耕助を、「神」と仰いでいるということになるわけですね。
「じっちゃん」は彼にとって神なんだ。



















