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2006/01/27

へるめす通信31

 —(ジョルジュの孫)ひーこら。やっとここで話が本道に戻るわ。 (滝のような涙にまみれるジョルジュの孫)                                          。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。

 —(村人A)長かったですね。でも、やっと帰ってきましたね!! なんか、オリエンテーリングしてきたような気分ですよ。
 だけど、そもそも何の話でしたっけ?? 

 —(ジョルジュの孫)あんたさー。。。 だーかーらぁ、これまでの話ってのは、ヘルメスがゼウスの頭に、金田一君がじっちゃんの名に、それぞれ誓いを立ててるけど、それにはどんな意味があるんだろうか、ってことよ。

 —(村人A)あ、そうでした、そうでした。

 —(ジョルジュの孫)それで、ここまででわかったのは、ヘルメスにとってはゼウスの頭が、金田一君にとってはじっちゃんの名が、それぞれの「神」であり、フェティシズムの対象になっているっていうこと。

 —(村人A)にゃあるほど。

 —(ジョルジュの孫)さらにいえば、金田一君の「じっちゃんの名にかけて」ってのは、金田一君の「じっちゃん」に対する恐怖と羨望のあらわれだってこと。これがまさに金田一君のフェティシズムであり、金田一君の「じっちゃんコンプレックス」なのね。

 —(村人A)ひょえぇ。「じっちゃんの名にかけて」に、そんな複雑かつ深遠な意味があるなんて……。
 そうすると、ヘルメスが「ゼウスの頭にかけて」誓っているのも、金田一君と同じってことになるんだ。ヘルメスは「ゼウス・コンプレックス」ってことですか?

 —(ジョルジュの孫)そう。広げて言えば、宣誓の時、何かに対して誓っているのは、その対象物に対してアンビバレントな感情が伴っているってこと。精神分析学の立場から分析するとこうなるの。

 —(村人A)だけど、ちょっと変だな。ヘルメスはゼウスの「頭」に誓っているわけでしょ。つまり、ゼウスの頭がフェティッシュ(物神)になっているわけで。それはわかりますよ。福沢の時に、人々が石や木を信仰していることと同じですよね。
 でも、「じっちゃんの名」が物神ってのは、おかしくありませんか。だって、名前は物じゃないんだから。

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