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2006年1月の6件の記事

2006/01/27

へるめす通信31

 —(ジョルジュの孫)ひーこら。やっとここで話が本道に戻るわ。 (滝のような涙にまみれるジョルジュの孫)                                          。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。

 —(村人A)長かったですね。でも、やっと帰ってきましたね!! なんか、オリエンテーリングしてきたような気分ですよ。
 だけど、そもそも何の話でしたっけ?? 

 —(ジョルジュの孫)あんたさー。。。 だーかーらぁ、これまでの話ってのは、ヘルメスがゼウスの頭に、金田一君がじっちゃんの名に、それぞれ誓いを立ててるけど、それにはどんな意味があるんだろうか、ってことよ。

 —(村人A)あ、そうでした、そうでした。

 —(ジョルジュの孫)それで、ここまででわかったのは、ヘルメスにとってはゼウスの頭が、金田一君にとってはじっちゃんの名が、それぞれの「神」であり、フェティシズムの対象になっているっていうこと。

 —(村人A)にゃあるほど。

 —(ジョルジュの孫)さらにいえば、金田一君の「じっちゃんの名にかけて」ってのは、金田一君の「じっちゃん」に対する恐怖と羨望のあらわれだってこと。これがまさに金田一君のフェティシズムであり、金田一君の「じっちゃんコンプレックス」なのね。

 —(村人A)ひょえぇ。「じっちゃんの名にかけて」に、そんな複雑かつ深遠な意味があるなんて……。
 そうすると、ヘルメスが「ゼウスの頭にかけて」誓っているのも、金田一君と同じってことになるんだ。ヘルメスは「ゼウス・コンプレックス」ってことですか?

 —(ジョルジュの孫)そう。広げて言えば、宣誓の時、何かに対して誓っているのは、その対象物に対してアンビバレントな感情が伴っているってこと。精神分析学の立場から分析するとこうなるの。

 —(村人A)だけど、ちょっと変だな。ヘルメスはゼウスの「頭」に誓っているわけでしょ。つまり、ゼウスの頭がフェティッシュ(物神)になっているわけで。それはわかりますよ。福沢の時に、人々が石や木を信仰していることと同じですよね。
 でも、「じっちゃんの名」が物神ってのは、おかしくありませんか。だって、名前は物じゃないんだから。

2006/01/19

へるめす通信30

 —(ジョルジュの孫)それはね、こういうこと。
 つまり、ホモ・セクシュアルの人っていうのは、興味が、直接、男性の「だ○こん」に向かった人だと考えられるわけ。女性における「だ○こん」的なもの、言い換えれば脚や下着などの代理物に向かわないでね。

 —(村人A)それこそ、紛れもない「だ○こん」崇拝ってことになりますね。だけど、フェチや同性愛の人が比較的少数派ってことを考えれば、「だ○こん」崇拝を生み出している「去勢コンプレックス」ってものを持ってること自体、特殊なケースなんでしょう?

 —(ジョルジュの孫)いんや! なんたって、フロイトは、女性器を見た時の去勢の恐怖、つまり去勢コンプレックスから、いかなる男性も逃れられないって、断言してるもんね。だから、去勢コンプレックスを持っていること自体は、稀でもなんでもないみたい。
 だけど、繰り返すけれど、その去勢コンプレックスが、同性愛や物神崇拝としてあらわれる人もいれば、症状として別段出てこない人もいるわけだけど、どうしてそうなるのかは、わからないみたい。

 —(村人A)そうか! 去勢コンプレックスは、(1)フェチ、(2)同性愛という2つの症状として出るわけか。そして、他の大勢の人も、症状には出ないだけで、去勢コンプレックスは持っている、と。

 —(ジョルジュの孫)そうなんだけど、正確に言うなら、症状が出るからこそ、去勢コンプレックスの存在の可能性がわかるのよ。しかも、症状に表れない人が圧倒的に多いから、フェチと同性愛が目立ってしまうというだけで。
 つまり、フロイトは医者だから、フェチや同性愛というような症状に悩んで、自分のところに相談に来る人々に対して、なんとかその原因を突き止める必要があるって考えたわけ。
 だから、フェチや同性愛の違いがどうして出てくるんだろうかって考えて、その原因を探っていったら、去勢コンプレックスなるものを想定せざるを得なくなったってこと。

 —(村人A)うーん。その違いって、カイン・コンプレックスのところで言ったように、たぶんその人の過去の経験その他が、大きく影響を与えているんじゃないんですか?

 —(ジョルジュの孫)たぶん。フロイトだったら、そう考えるんだろうと思う。

2006/01/14

へるめす通信29

 —(ジョルジュの孫)例えば、あなた、下着が「だ○こん」と関連するのは、なんだか変な理屈だって思っているでしょ? 確かに、フェチに関するフロイトの結論を見たら、受け入れがたいものかもしれない。
 だけど、それは、結論だけを先取りして、フロイトの思考のプロセスを追っていないんじゃないかって気もするけど?

 —(村人A)じゃ、フロイトの思考のプロセスって何ですか?

 —(ジョルジュの孫)つまりね、フロイトが問題にしているのは、見たものに関連する記憶や経験があまりにショックだと、人間はそれを忘れよう、忘れようとして、その記憶や経験を覆い隠そうとする心の働きについてなのよ。

 —(村人A)……なるほど。
 
 —(ジョルジュの孫)フェチの場合、通常の精神的な病ではないから、それほど問題にはならないけど、それでも、原因を突き止めていくと、どうも幼児期に、『母親に……「だ○こん」がないっ!?』と知った時の衝撃を、忘れようとすることから端を発している場合が多いらしいの。
 しかも、フェチで特徴的なことは何かというと、女性器よりも代理物の方に関心が高く、 つまり、代理物が過去の記憶や経験を覆い隠そうとするコンプレックスの中心になっているってわけ。
 しかも、その代理物に、愛撫と敵視というアンビバレントな感情を持っているのね。
 

 —(村人A)うーん。そうすると、「だ○こん」をちょん切られたら怖いよーという心の働きは、女性において「だ○こん」を彷彿とさせるものと関連があるわけですね。

 —(ジョルジュの孫)それもそうだけど、それだけじゃないの。ずばり、「だ○こん」そのものに関連がある場合もあるのよ。
 それが、第3の問題「去勢コンプレックスが同性愛を引き起こす理由」ってやつ。

 —(村人A)うー。なんで?

2006/01/10

へるめす通信28

 —(ジョルジュの孫)さて、ここまでくると、フェチに関する問題の2つめ、「去勢コンプレックス、つまり「だ○こん」が切られたら怖いよという恐怖が、女性のなにがしかに対するフェチ、例えば脚フェチ・下着フェチなどを引き起こす理由」ってのが、わかってくると思う。
 つまり、「だ○こん」がなくなっちゃうかも?!という恐怖におびえると、それに対して、人は心理的に抵抗し、予防策をとろうとするのね。その予防策っていうのは、「だ○こん」の代理を立てて、その代理を「だ○こん」とみなすという形をとるわけ。

 —(村人A) つまり、 女性の脚を崇拝することによって、無意識的に「だ○こん」の代理にしているというわけですね。

 —(ジョルジュの孫)そう、それがフェチよ。だからフェチってのは、症状として、女性の脚とか下着というような、あるものに対して、どうしようもなく惹かれてしまい、ものすごーく固執するというような形で出てくるの。それが、場合によっては、その代理に対して、性的興奮を感じるというふうに出るわけ。

 —(村人A)へーへー。

 —(ジョルジュの孫)だから、呪物=物神ってのは、だいたい、「だ○こん」の象徴になるような器官や物が選ばれるんだって、フロイトは言うの。
 例えば、脚や靴、あるいは踵(かかと)やヒールというような、脚や靴の一部。こんなのは紛れもなく「だ○こん」的でしょ!?

 —(村人A)じゃ、下着は? 女性の下着もそうなんですか?

 —(ジョルジュの孫)下着っていうのは、ある意味で、女性に「だ○こん」があるということのしるしなわけ。
 どういうことかというと、下着をとる以前の女性に対して、男の子はまだ自分と同じ「だ○こん」を持っている人なんだって思っているのね。そして、下着を女性が取り去って初めて、子供は女性に「だ○こん」がないことを知るって、前にも言ったよね。
 だから、下着に対する執着っていうのは、女性には、いまだ「だ○こん」がある、ないしは、あってほしいと思う男の子の願望が凝縮されたものだといえる、ということになるの。

 —(村人A)うーん、なるほどって気もしますけど、なんだか、説明として、ちょっと苦しいような気もします。
 下着まで「だ○こん」の代理だっていわれると、「ホントにそうかな?」って……。こじつけっぽくありません?

 —(ジョルジュの孫)まあ、人によっては、そう見るかも。だから、フロイトに対して、なんでもかんでも性的なことがらに還元してしまうって、批判する人もいるのね。
 でも、本当はそうじゃないってことは、フロイトの著作集を読めばわかるんだけどな。フロイトってかなり慎重に、限定をつけながら書いているんだけど、どうもその限定がすっとばされてしまって、あまり、ちゃんと読まれていないみたい。
 
 —(村人A)ふうん。そんなもんですか。

2006/01/05

へるめす通信27

 —(ジョルジュの孫)それじゃ、気を取り直して、フェティシズムの話の続き、いってみよっと。
 興味深いのは、カイン・コンプレックスの場合、カインはアベルとの同一化を望んでいるってことなの。 つまり、一方では、殺意を抱くほど、憎たらしく思っているのに、一方では、そいつになりたいと強く願っているってこと。

 —(村人A)えー、何ですって? なんで殺したいやつと同一化したいんですか? それって、矛盾してません?

 —(ジョルジュの孫)その矛盾が、人間の心のあり方だってことよ。
 だってアベルだけがほめられて、自分は顧みられなかった。だから、カインは、「アベルめ、コンチクショー!!」って思ったわけでしょう。
 要するに、カインは自分も神様からほめられたかったわけよ。アベルみたいになりたかったわけ。
 つまり、カインがアベルに殺意を抱くということ自体、その人になりたい、その人にとって代わりたいって思っていることの現れなのよ。
 
 —(村人A)えー!! 

 —(ジョルジュの孫)エレクトラ・コンプレックスも、エディプス・コンプレックスも、劣等コンプレックスも、そういう点では同じよ。
 憎んでいる相手、嫉妬している相手を、殺したい、やっつけてやりたいと思う一方で、相手と同化したいという欲望から出ているってこと。

 —(村人A)ぶっちゃけていえば、相手に対して、嫉妬と憧憬というような、相反する感情を持っているというわけですね。

 —(ジョルジュの孫)そうそう! そういうのを、両面価値的(ambivalent)な感情というのよ。

 —(村人A)なあんだ、そっかぁ。実はあっしはよく友達から、「お前のこと、殺したいほど嫌っているやつが大勢いるぞ」って言われることが多いんですよ。
 そうか、そうか。みんな、あっしに憧れの感情を抱いていたってわけですね。なーんだ。知らなかったなぁ、もう! もっと早く言ってくれればいいのにねっ。

 —(ジョルジュの孫)それは、ホントのホントに、あなたのことが嫌いなのかも。
 よっく、見極めないと……。

2006/01/01

へるめす通信26

 —(村人A)明けまして、おめでとうございます!! 今年も「東ゆみこのウェブサイト」をよろしくお願いしまーす!! 

 —(ジョルジュの孫)お願いしマース。みなさんにとって、良い年になりますように。
って、オイっ!! なんで、あんたと一緒に新年を迎えてんの? 私。

 —(村人A)いいじゃないですか! 「袖すり合うも多生の縁」ってね。

 —(ジョルジュの孫)こんなハズじゃ、なかったのに。ヘルメスから、どんどん話が逸れちゃって……。
 あんたのせいよ!!

 —(村人A)あーたの話のまとまりのなさを、あっしのせいにしないでくださいよ。

 —(ジョルジュの孫)ぐっ! うるさい!

 —(村人A) しかも、どうせ、そのうちケロっと、元に戻るんでしょ。なんとかかんとか理屈つけて。あーたのよくやる手ですよ。

 —(ジョルジュの孫)なんだとオ! ただで話、聞かせてやってるのに、偉そう!!

 —(村人A)おお、嫌だ、嫌だよ。新年早々、ヒステリーってやつですか? 

 —(ジョルジュの孫)うるさい、うるさい、うるさーい!!

 —(村人A)あっしじゃなくて、あーたこそ、ご自分の過去を振り返った方がいいんじゃないんですか?

 —(ジョルジュの孫)あー!! なんだって、こんなのと一緒に話を進めてるんだろ??? 
 あ、それとも何、あなたこそ、私の過去が気になるわけ? ま、かわいいったら。

 —(村人A)もいいから、さっさと話、進めて下さいよォ。

 —(ジョルジュの孫)わかったってば。
今年は、ちゃんと定期更新するように努めますってば。

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