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2006/08/08

寺山修司は「神話」の宝庫である(2)

以前、手を出すのをためらった『田園に死す』という映画を見た時、
私はなぜ寺山が登場人物の何人かの顔を真っ白に塗りたくったのか、
その理由がわかったような気がしました。

それは単に不気味さを醸し出して観客を圧倒するためでもなく、
奇をてらったわけでもない。

一種の「農村型社会の人間」・「共同体的人間」の存在のあり方を示す表現だったと思うのです。

なぜなら、十五歳の「私」も、「私」の母親も、村の人々もみな白化粧をしているのに、少年時代の「私」が憧れている隣家の若妻は、みんながしているその化粧をしていないからです。

彼女は東京から青森の恐山に近い村に嫁いできたことになっています。

また、現在の「私」、つまり東京の生活に慣れ、映画制作に携わる三十五歳の「私」も、顔を白塗りしていません。

つまり、「私」は、かつての白塗りの顔(=東北の田舎の人間)から、
生来の肌を見せ、喜怒哀楽がすぐに表情に出てしまう現在の顔(=都会で生きる人間)に、次第に変化したということです。

つまり、表情を消し去った、能面のようにのっぺらぼうな白い顔は、
共同体そのものの没個性の表現であるわけです。


面白いのは、これが通常の民俗知識の正反対の表現になっているということだと思います。

民俗知識では、共同体の外部の人間、すなわち「異人」が異形であるわけです。

例えば、ナマハゲにしろ、沖縄のアカマタ・クロマタにしろ、昔話の山姥(ヤマンバ)にしろ、共同体に属さないものが、「」という姿で具象化されていたのでした。

ところが、寺山は、共同体内部の人間をのっぺらぼうに塗ることによって、
共同体的人間こそが、現代では異形として現れてきつつあることを表現しているわけです。

つまり、すでに共同体的世界から離れた人間が、共同体的世界を省みて、その様態をビジュアル化しているということです。

しかしながら、共同体的世界からすっかり離れたように見える現在の自分に、
時折、ふっと過去がよぎることがある。

過去とズバッと手を切ったつもりでも、すっかり都会の人間になったつもりでも、実は、自分は過去(=共同体的社会)とつながっていたのだということに、現在の「私」は気づきます。

この過去、すなわち共同体的社会の象徴が「母親」です。しかも、それは無意識的で、記憶の中でのみきらめく事柄であるわけです。

ですから、最後、人々が行き交う東京の雑踏の中で、「母親」と現在の「私」がちゃぶ台をはさんで食事をするという、
なんとも革新的で、ただただ唸るしかない見事な場面が出てくるのです。

この場面を最後に持ってくることによって、寺山は、「私」というものの個人の中の「共同体」と、変貌しつつあった1974年当時の日本の中の「共同体」を描こうとしているわけです。

個人史と社会史の双方から、「共同体」の記憶を探っていると言い換えることができると思います。

要するに、「俺もあんたも、みな同根だ! 」ということでしょう。

こんなことをちらっと見ただけでも、この作品がいかに考え抜かれて作られた作品か、よくわかります。それに、文字で書くと比較的表現しやすいことを、具体的な物語の体裁をとって映像で表現するという、非常に高度なことを寺山修司は行っているのです。

カンヌよ、なぜ寺山修司の『田園に死す』にパルムドール(カンヌ国際映画祭・最高賞)を与えなかったのか。。。

そう、『田園に死す』はノミネートはされたものの、パルムドールの栄誉は逃しているのです。

けれども、この事態はよく考えてみると、案外深い意味を持っているのかもしれません。

つまり、寺山修司が描いたのは、
日本にもヨーロッパにも通じる普遍的な問題というより、
むしろ近代の日本人の問題、あまりにも日本的すぎる問題だったと私は思います。


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