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2006年8月の13件の記事

2006/08/30

無法松の一生(1943・1958)

今さら感動映画のリストに挙げるまでもないけれど、やはり挙げずにいられない。それが、これ。『無法松の一生』です。

原作は、岩下俊作の小説『富島松五郎伝』。映画のタイトルである「無法松」とは、人力車の車夫である富島松五郎のことです。

映画『無法松の一生』は何作か作られていますが、一番最初の作品は、戦争さなかの1943年に作られた阪東妻三郎(略して「バンツマ」)主演、伊丹万作脚本、稲垣浩監督のもの。何よりもこれが見事です。

たぶん、高倉健さんの映画を見た後、映画館から出てきた人たちがみな、健さんそっくりの表情になってしまうのと同じで、当時、みんなバンツマ演じる松五郎の影響を強く受けたに違いない。

なぜなら、松五郎という車夫は、酒とケンカと祭りが大好き。一本気だけど、人情派。そして、子供が大好き。まわりの迷惑を考えるとホントの気持ちが言えず、分(ぶん)をわきまえ、黙って自分の運命を受け入れる。

こういう人は、私の子供の頃まで、一人や二人はいたものです。

なぜかお祭りの時になると、ねじりハチマキでいつまでも太鼓を叩いていたテキヤ風の人。その人に頭をなでられ、おっかなびっくりになったこともありました。

それから、ウチの伯父もその一人でした。今、思い浮かべると、どこかバンツマ演じる松五郎に似ているのです。あれは、きっとマネですよ。もう亡くなったので、確認できませんけれども。

さらには、「無法松の一生」という歌を歌った村田英雄も、話し方から立ち居振る舞いに至るまで、バンツマにそっくり。これが映画を見た時の発見でした。

つまり、自分を犠牲にしてまで義理を立てるという、男気にあふれる一昔前の日本の男の典型が、高倉健氏の任侠モノと、バンツマの松五郎だったと思うのです。寡黙で律儀なら高倉健。陽気で磊落(らいらく)ならバンツマ。そんなことを再認識させてくれる作品です。

ところで、バンツマは、時代劇の大スターでした。
私は、習志野の調査を行ったときに、当時バンツマの撮影所でエキストラだった方の話を聞いたことがあります。その頃の撮影所はたいへんな活況を呈していたとのこと。(ちなみに、撮影所はその後、谷津遊園となり現在では谷津バラ園のみがその面影をとどめています。)

私はエキストラの方に、「ナマのバンツマをご覧になりましたか?」と、いささか興奮気味に質問してみました。が、返ってきた答えはNO。バンツマの出演シーンは、集中して撮影されたようで、エキストラでさえ、大スターの姿を直接拝む機会に恵まれなかったくらい、忙しかったようです。

そんな大スターが、一転して車夫を演じるということで、不安に思う人たちもいたらしい。ところが、バンツマは周囲の心配を吹き飛ばす名演を見せました。 そのあたりを、山根貞男氏はこう述べています。

阪東妻三郎は撮影に入る前、ホンモノの老車夫の家へ通って、あらゆることを学んだ。日頃、酒を飲むときには、あぐらをかいてコップ酒をあおるようにもした。(「山根貞男のお楽しみゼミナール」(ビデオに付されていた山根氏の解説)より)

この努力の甲斐あって、確かに、映画の中のバンツマは、紛れもなく車夫そのもの、松五郎そのものでした。

私の記憶に残っているシーンでは、「ケンカだー!」という声が聞こえると、バンツマ演じる松五郎は、「おっ、 ケンカか」と言いながら、一目散に馳せ参じる。その何とも嬉しそうな表情といったら! お世辞にも上品とは言えないけれども、愛嬌がある。そんな人物像をくっきりと浮かびあがらせています。

ちなみに、刑事・古畑任三郎でおなじみの田村正和氏、 俳優の田村高廣(故人)、田村亮氏は、バンツマのお子さんたち。脚本の伊丹万作の息子は、映画監督の伊丹十三(故人)。こんな視点で、『無法松の一生』を見ても面白いかもしれません。

ところで、1943年制作なのに全く戦争の色合いを感じさせない、この芸術的作品に一言文句を言いたいのです。

「誰だー! これをこんなに、ズタズタにしたヤツは! 」

そう、検閲のため、終わりに近くなるほど、重要なシーンがカットされてしまって、映画それ自体では何を物語っているのか意味が通じなくなってしまっているんです。

このため、1958年に稲垣浩監督は再映画化しています。主演は、あの「世界のミフネ」こと三船敏郎と名女優・高峰秀子氏。たぶん、稲垣監督は、このままにしておきたくなかったのでしょう。

1958年の作品も、なかなかの出来。ヴェネチア国際映画祭のサン・マルコ金獅子賞を獲得しているほどなのです。

そして、1943年の映画でカットされたストーリーの全貌がやっと明らかになります。こちらも、興味のある方はご覧ください。

もしご覧になるなら、最初に1958年の三船主演作の方を見てから、バンツマ主演作を見るという順番がいいかもしれません。

2006/08/29

『神々』、朝日にご降臨

「世界の神々」がよくわかる本』、2006年8月27日の朝日新聞朝刊で取り上げられました。

評者は中村謙さんで、「話題の本棚」というコーナーで評されています。

(記事が読めますので、「話題の本棚」の箇所をクリックしてみてください。)

やはり8ヶ月で22万部突破の『神々』のご威光に、天下の朝日もご降臨を願わずにはいられなかったのか……d(^-^)ネ!

ありがとうございました <m(__)m>

2006/08/28

『神々』19刷&シリーズ第2弾の発売!

『「世界の神々」がよくわかる本』、19刷が決定されました。

ただひたすら、前を向いて走ってきたら、あと一歩で20刷……!

ホントに感慨無量です。。。。。

みなさま、ありがとうございます (T.T)


なお、『神々』シリーズの第2弾が、9月2日に発売されます。

その名も『「天使」と「悪魔」がよくわかる本』。

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『神々』と同じく、造事務所の方々の執筆・編集です。

今回の監修者は、グスタフ・デイビッドスン著『天使辞典』の監訳をされている吉永進一先生です。

『「天使」と「悪魔」』の方も、興味のある方はどうぞ。アマゾンではもう予約注文が可能となっています。

そして、注目の第3弾は……? 現在進行中です。こちらもお楽しみに。

2006/08/27

フェリーニの『道化師』

ところで、今、別の仕事のために映画(のビデオ)を集中的に鑑賞している最中で、つい最近、『フェリーニの道化師』を見ました。そして、フェデリコ・フェリーニ監督のテーマの深遠さと芸術性の高さを再認識。

子供の頃サーカスを見て泣いてしまった少年は、その異様さ、不思議さ、言いしれない恐怖を後々まで覚えている。そして、あの時に見たサーカスと大人になってから見るサーカスは、どこかが違うと思い至ります。

それから彼は、かつてサーカスで花形だった道化師を探し、話を聞き、演じてもらうことによって、その違いの源泉を探ろうとするのです。

なぜ、今のサーカスと子供の頃のサーカスは違うのか。フェリーニは、大人になって感受性が摩滅して、子供の頃のドキドキ感がなくなったからだという安直な結論を出しません。

彼はそこに時代の変遷、ある文化の消滅を読み取り、描ききったのだと、私は思います。

では、『フェリーニの道化師』には、どのような時代の変遷と文化の消滅が描かれているのか。

そんなことを現在つらつら考えています。

アヴァンギャルドなキハチ監督

最近、岡本喜八監督の作品を立て続けにいくつか見たのですが、「キハチ監督はもしかして、とてつもなく日本人離れした感覚の持ち主なんじゃないか!!」というのがその感想でした。

『独立愚連隊』にしろ、『江分利満氏の優雅な生活』にしろ、『ジャズ大名』にしろ、表現の革新性を求めつつ、内容的にも面白い。しかも集客能力のある作品に仕上がっているのです。

かといって、人を驚かせるような構成の映画ばかりでなく、いわゆるオーソドックスな映画だってちゃんと撮れる。『日本のいちばん長い日』なんか、その典型でしょう。

よく考えれば当たり前の話なのですが、正統をきちんと押さえた人が正統に挑戦し、わざと逸脱した時に、その作品が芸術的価値を持つのだと思った次第です。

いやー、なかなかにすごかった、喜八監督は。

 (2006年6月23日掲載のものです。)

2006/08/25

ジャズ・シンガー(The Jazz Singer, 1927)

記念すべきトーキー(音声の出る映画)第一回作品。

主演は、当時のボードビル(大衆娯楽演芸)の大スター、アル・ジョルスン。

ジョルスンの歌と前後のセリフだけがトーキーなのですが、とにもかくにもジョルスンの歌がすごい!

とくに、最後の「マイ・マミー」は感動の一言。

初めてのトーキーを見に行って、こんなのを聞かされたら、みんな、ジョルスンのファンになってしまうに違いない! 

かく言う私もその一人(もちろんビデオで見たのですが)。本当に興奮します。

私が『ジャズ・シンガー』に出会ったのは、『ジョルスン物語』(1946)・『ジョルスン再び歌う』(1949)を見たからです。この二本を見ると、『ジャズ・シンガー』がジョルスンの自伝的映画であることがよくわかります。

ところで、第一線を退いた後、ほとんど引退状態にあったジョルスンが年をとってから再び大ブレイクしたのは、この『ジョルスン物語』という映画の大ヒットの影響があったようです。

『ジョルスン物語』の主演はラリー・パークス。

彼は若き日のジョルスンを非常によく演じていますが、映画の中の歌だけは、年をとったジョルスン自身が歌っています。

その歌声が若い頃と比べて、全然衰えていないのに驚きます。

『ジョルスン物語』の中で、ジョルスンを再びスターダムに押し上げようとするプロデューサーが、「彼の歌にはハートがある」とつぶやくシーンがあるのですが、まさに「そう、そう、そうなのよー!!」という感じ。

『ジョルスン物語』も『ジョルスン再び歌う』も良い作品なので、興味のある方は『ジャズ・シンガー』とご一緒にどうぞ。

ちなみに、MGMミュージカルの代表作『巴里のアメリカ人』で流れる曲や、『ラプソディー・イン・ブルー』等でおなじみのジョージ・ガーシュウィン。

まだ若かった彼を見出したのもアル・ジョルスンだったと、ガーシュウィンの自伝的映画『アメリカ交響楽』の中ではなっています。ジョルスンも、この映画に本人役でちらっと出演しています。

そういえば、ガーシュウィンの名曲「スワニー」も、ジョルスンの持ち歌です。

ところで、『ザッツ・エンターテインメント3』によれば、映画制作者たちはトーキーに何をのせるか非常に内容に困り、ボードビルのショーを映画化したとのこと。

つまり、トーキー用に考え出された全く新しい内容というものを用意せず、ボードビルという、馴染み深い、ある意味でよく知られたもので、間に合わせたわけです。

けれども、マクルーハンが『メディア論』の中で指摘するように、古い内容であっても、新しいメディアにのせると、人々は新しい世界を経験するというのは、とても面白いことだと思います。

もう一点、内容について言えば、ジョルスンはそもそもユダヤ教のラビの家系に生まれたのですが、その職をある意味、捨て去り、ショーの世界に生きる決心をします。

ここに、アメリカのユダヤ人社会におけるジェネレーション・ギャップ(世代の断絶)を読み取ることも、可能だと思います。

2006/08/24

スクーリングとユンケルの効果

いやー、終わりました! 日本女子大学・通信のスクーリング。

去年まで、日本女子大学の夏のスクーリングは、
一日2コマ・6日間だったのですが、
今年はなんと一日4コマ(!)、9:00から17:00までを3日間。

これまで、一日3コマ話したことはあるのですが、
4コマは初めて。

スクーリングの初日、これまでの経験のためか、
15:00まではスムースに乗り切ったので、
学生の前で、
「一日4コマ、けっこうイケますね! できるじゃないですか、私」
などと調子に乗っていたところ!

朝からずっと立ち通しだったので、15:30くらいから膝が痛み出し、
声が割れはじめ、次第にかすれ……

教師の面目、丸つぶれ。(×_×)

あぁ、恐るべし、集中講義。

そこで、一日目の授業終了後に、自宅近くのドラッグストアに買いに走りました。
何をって、もちろん、

ユンケル黄帝液」!

いや、効くのなんのって、すごいですよ、ユンケル。
とくに、お高いのは。

二日目、三日目となんなく乗り切りました。

そういえば、昔、高校の教員免許を取った時に、
必修のボランティアで、
地元の小学校の運動会を手伝いに行ったことがあるんです。

その時、小学校の先生たちが、みなさん口をそろえて、

コレがないと、やってらんないわよ!

と言いながら、手の中で、ガキッと音をさせながらひねっていたのは、
まさに、ユンケル。

20代前半の私は、「そんなもんだろうか???」と
多少いぶかしく思っておりましたが、

今の私にはよーくわかる。

そう、確かに、

コレがないと、やってらんないわよ!

っていう感じなのです。

ところで、毎年のことなのですが、

通信のスクーリングが終わると、妙に切なくなります。

たぶん、学生のみなさんにやる気があるので、活気があって授業が盛り上がり、
一体感があるのに、

その一方で、本当に短いおつきあいで、

もう二度と会わない人がほとんどだ、と思ってしまうからなのかもしれません。

祭りが終わった後、みんな自分の家に帰って行って、

また今日から別々の日常が始まる。。。

と、いささか感傷的になってしまうのです。

みんなー! ガンバレー!!

と、心からのエールを送りたいです。

2006/08/20

明日から日本女子大学のスクーリングです

明日から三日間、日本女子大学通信教育課程の夏期スクーリング講座「文化記号論」を担当します。

いつもいつも思うのですが、スクーリングに参加してくるみなさんは、暑い夏の日でもへこたれない強烈な熱意を持っています。

授業が終わると、いつも学生の方から、

「先生、どうしてあんなにパワーがあるのですか? 私、先生からパワーをいただきました!」

と言っていただくことが多いのですが、実は逆で、私が学生のみなさんから、パワーをいただいているのです。

ところで、スクーリングの学生さんたちには実際に現場で働いている人も多く、その仕事の合間を縫って全国からやってきています。

私はいつも、このカリキュラムをこなして卒業するには、自分の目標に対する情熱とたいへんな努力が必要だろうと感心しているのです。

一人でも多くの方が無事に卒業でき、そして、スクーリングの経験が人生の中でプラスに働きますように。

ということで、今年のスクーリングもがんばります (^-^)

山口文庫別館(小文庫)・大改造計画進行中

お盆のまっただ中、都内某所にある山口昌男先生宅で、図書の大整理が行われました。

ご存じの方も多いと思いますが、山口先生といえば、本の収集家です。これまでに収集した本は、公共図書館が一つ建設できてしまう程の量なのですが、その大半は、学長をしていらした札幌大学に「山口文庫」として保管されています。

以前、私も先生に山口文庫に連れて行っていただきましたが、とにかく、

えっ! この量、ホントに独りで買ったんですかっ!?

と、あぜーんとするしかない、すさまじさ。。。しかも、あまりにも多岐にわたるジャンル。

とにかく、ちゃんと見るには数日かかり、このジャンルが先生の頭の中でどうつながっているのかを把握するのにはそれ以上の膨大な年月がかかるという。。。

特に、私は小林秀雄の『本居宣長』の本の中に、先生の字で「解釈学」という書き込みがあったのを発見して、シビれました。

この話はさておき、問題は、札幌大学の山口文庫ではないんです。

実は、現在でも先生は、日々、本を買い続け、読み続けていらっしゃるので、ご自宅の収納スペースが限界をとうに過ぎ、どうやったら人が通れるかという生命線にもかかわる状況になってしまったのです。

いわば、「山口文庫」別館の小文庫が、大文庫に昇格しそうな勢い。

なんてったって、これも有名な話ですが、これまでの先生の自宅の本の整理法は、「段ボール整理方式」でした。

つまり、段ボールの中に、ジャンルごとに本を収納し、段ボールの表面に「シュールレアリスム」だの「ガルシア・ロルカ」だの「村山知義」だのとマジックで中身を書いておき、その段ボールを積み上げておくわけです。

でも、あまりにも増えすぎた本のため、一番下の段ボールをとるのが一日がかりの大仕事になってしまいました。しかも、段ボールが重みで次第に崩れてきていて、非常に危ない。

そこで、

「もう、ここは、私がひとはだ脱ぐっきゃない!

と思い立ち、先生と奥様に「本棚を入れましょう」と提案したのです。

とはいうものの、私ひとりで、どうにかなる量ではありません。

そこに、天の助けか、神の恵みか、はたまた仏の慈悲の顕現か!?

強力な助っ人部隊が登場したのでありました ∈^0^∋

東外大の今福龍太先生とそのゼミの学生さん、そして東京富士大学の岡本慶一先生。ありがとうございます。

五月くらいから、その面々で徐々に山口邸の本を整理しはじめていたのです。そして、ついにこの夏休み、新たに今福先生ご一家と山口ゼミの卒業生の方々、札大の山口文庫・文庫番の小山玲子さんが加わって、第三回の図書の大整理が決行されたのでした。

とくに、山口ゼミの卒業生の方々は、前日から泊まり込みで、夜中の三時までかかって整理していたとのこと。これで、かなりスッキリとしてきました。

本当にみなさん、お世話になりました!! <(_ _)>

ところで、仕事のあと、山口先生の奥様が、「アフリカ・カレー」なるものをごちそうしてくださいました。

奥様いわく、このカレーは、先生がナイジェリアのイバダン大学に赴任していらした時に、現地に来ていたヨーロッパ人がパーティーの時に出していたものを覚えたということです。

グリーンピースご飯に、一度油で揚げた骨付きチキンのカレー。

その上に、マンゴーピンク・グレープフルーツパイナップルココナッツの刻んだものなどを、好きなだけのせて食べるフルーティなカレーなんです。

こう書くと、え〜!!

と思う人もいるかもしれませんが、これがなんと、

超〜激ウマ!! \(◎o◎)/!

お昼ご飯を食べてから3、4時間しか経っていなかったので、「お腹がいっぱいで、入らないかも」と言っていた人まで、お代わりしてしまうほど。しかも骨付きチキンがとっても柔らかい。

先生の奥様は本当にお料理が上手です!

今度、作り方をきちんと教わらなくっちゃ!!

ところで、カレーを食べ終わった頃、みんなが歓談している間に、先生の姿がどこかに消え、しばらく経ってから、何か紙のようなものが入っているビニール袋を手に再び現れました。

何だろうと、私はその行動にひそかに注目していました。すると、先生はビニールの中から厚紙を取り出し、まずは今福先生のお子さん二人に、「ほいっ」と手渡したのです。

見ればそれは、紙で作られた鬼のお面でした。

怒った赤鬼泣いている青鬼

目をつぶった黄鬼口がヘの字の緑鬼というふうに、

一つ一つ違った形に違う色が塗られていて、

お面の目と耳のところには穴が空けられるようになっています。

で、このお面、子供だけでなく、大人にも一枚ずつ配られました。

みんな、子供のように大喜び。

私は緑のお面をもらいました。

そこで、みんな、もらったお面の

目と耳に穴をあけ

耳のところに輪ゴムを通し、お面を被り、

「ガオーっ」、「うひゃーっ」と言い合って、

笑い転げました。

中には、記念撮影をする人も。

ところが、奥様が「こんなの、どこにあったの。よく見つけてきたね」と笑いながら、先生の手元にあったビニール袋を取り上げたところ。

すると、なんとそこには、

7,000円」という古書店のシールが。。。。(゜◇゜)ガーン

そう、そのお面は、先生によると、ただのお面でなく、明治期から大正期にかけて作られたお宝だったのです!

そうとは知らず、我々はお面に穴を空け、顔にかぶってしまい…… (^◇^;)

ひそかに、自分の空けた穴を塞ごうと、なで回した人が数知れず。。。…>_<…

もちろん、後の祭り。

さすがは先生、お面も、ひと味違いました!

 

「山口文庫」小文庫・大改造計画はまだまだ続く予定です。


2006/08/09

暑中お見舞い申し上げます

みなさま。

暑中お見舞い申し上げます _(._.)_

この夏は、なかなか梅雨明けせず、
梅雨明けしてやっと暑くなったかと思うと、台風が来て大雨に見舞われるという、
なんだか落ち着かない夏ですね。

「はっきりせんかい!!」と言いたいところです。

私はといえば、もうすぐ、このすっきりしない日本を脱出し、スイスの湖畔にて優雅なバカンスを過ごし……

たい! 

ですが、なかなか忙しく、東京の片隅の狭い部屋で、湖畔の風ではなく、冷房風に吹かれながら(最近、冷房が寒く感じるようになりまして。。。)、せっせとパソコンに向かっております (T_T)

それになにより、優雅なバカンスのためには、元手がなくては! (・o・)

ところで、おかげさまで、
『「世界の神々」がよくわかる本』、18刷が決定いたしました\(^O^)/

新刊の帯を見ていただくとわかると思いますが、すでに20万部を突破しております。

『神々』に負けないよう、私もがんばらなくちゃと思います。
みなさまも、お元気でお過ごし下さい。

2006/08/08

寺山修司は「神話」の宝庫である(2)

以前、手を出すのをためらった『田園に死す』という映画を見た時、
私はなぜ寺山が登場人物の何人かの顔を真っ白に塗りたくったのか、
その理由がわかったような気がしました。

それは単に不気味さを醸し出して観客を圧倒するためでもなく、
奇をてらったわけでもない。

一種の「農村型社会の人間」・「共同体的人間」の存在のあり方を示す表現だったと思うのです。

なぜなら、十五歳の「私」も、「私」の母親も、村の人々もみな白化粧をしているのに、少年時代の「私」が憧れている隣家の若妻は、みんながしているその化粧をしていないからです。

彼女は東京から青森の恐山に近い村に嫁いできたことになっています。

また、現在の「私」、つまり東京の生活に慣れ、映画制作に携わる三十五歳の「私」も、顔を白塗りしていません。

つまり、「私」は、かつての白塗りの顔(=東北の田舎の人間)から、
生来の肌を見せ、喜怒哀楽がすぐに表情に出てしまう現在の顔(=都会で生きる人間)に、次第に変化したということです。

つまり、表情を消し去った、能面のようにのっぺらぼうな白い顔は、
共同体そのものの没個性の表現であるわけです。


面白いのは、これが通常の民俗知識の正反対の表現になっているということだと思います。

民俗知識では、共同体の外部の人間、すなわち「異人」が異形であるわけです。

例えば、ナマハゲにしろ、沖縄のアカマタ・クロマタにしろ、昔話の山姥(ヤマンバ)にしろ、共同体に属さないものが、「」という姿で具象化されていたのでした。

ところが、寺山は、共同体内部の人間をのっぺらぼうに塗ることによって、
共同体的人間こそが、現代では異形として現れてきつつあることを表現しているわけです。

つまり、すでに共同体的世界から離れた人間が、共同体的世界を省みて、その様態をビジュアル化しているということです。

しかしながら、共同体的世界からすっかり離れたように見える現在の自分に、
時折、ふっと過去がよぎることがある。

過去とズバッと手を切ったつもりでも、すっかり都会の人間になったつもりでも、実は、自分は過去(=共同体的社会)とつながっていたのだということに、現在の「私」は気づきます。

この過去、すなわち共同体的社会の象徴が「母親」です。しかも、それは無意識的で、記憶の中でのみきらめく事柄であるわけです。

ですから、最後、人々が行き交う東京の雑踏の中で、「母親」と現在の「私」がちゃぶ台をはさんで食事をするという、
なんとも革新的で、ただただ唸るしかない見事な場面が出てくるのです。

この場面を最後に持ってくることによって、寺山は、「私」というものの個人の中の「共同体」と、変貌しつつあった1974年当時の日本の中の「共同体」を描こうとしているわけです。

個人史と社会史の双方から、「共同体」の記憶を探っていると言い換えることができると思います。

要するに、「俺もあんたも、みな同根だ! 」ということでしょう。

こんなことをちらっと見ただけでも、この作品がいかに考え抜かれて作られた作品か、よくわかります。それに、文字で書くと比較的表現しやすいことを、具体的な物語の体裁をとって映像で表現するという、非常に高度なことを寺山修司は行っているのです。

カンヌよ、なぜ寺山修司の『田園に死す』にパルムドール(カンヌ国際映画祭・最高賞)を与えなかったのか。。。

そう、『田園に死す』はノミネートはされたものの、パルムドールの栄誉は逃しているのです。

けれども、この事態はよく考えてみると、案外深い意味を持っているのかもしれません。

つまり、寺山修司が描いたのは、
日本にもヨーロッパにも通じる普遍的な問題というより、
むしろ近代の日本人の問題、あまりにも日本的すぎる問題だったと私は思います。


2006/08/06

祝! 一周年

このブログを開設してから、昨日で丸一年が経ちました \(^_^

「ブログを見てます!」と言ってくださる方々が次第に増えていくのを目の当たりにすると、これからもできる限りがんばらなくちゃと思います。

みなさま、おかげさまで一周年を迎えることができました。。。

これからも、「東ゆみこのウェブサイト」をよろしくお願い申し上げます

<(_ _)>

2006/08/04

寺山修司は「神話」の宝庫である(1)

ある仕事の関係もあって、ここのところ、断続的にではありますが、寺山修司脚本・監督の映画を見ています。

その結果、私が彼に抱いた結論。
ズバリ、「寺山修司はまごうことなく天才だ。レベルが違う。なおかつ神話学的な分析の宝庫である」というもの。

もっと早くに見ておけばよかったなぁと思う反面、20代の私ではわからなかったかも、という気もします。

実は、私、2005年まで、寺山作品を読んだことも見たこともありませんでした。
もちろん、名前は知っていたので、
レンタルビデオ店で寺山作品を取り出してみたこともあったのです。

すると、ビデオのカバーになんともオドロオドロしい情景が……。
だって、役者が揃いも揃って、みーんな真っ白い、のっぺらぼうなメイクをしていて、どうも恐山と関係しているらしいんですもの。

一瞬、私の地元にある水子供養のお地蔵様にかかっている赤いよだれかけが、ひらひらと頭をよぎっていきました……。

ですから、これは間違いなく、ホラーとはいわないまでも、このテの作品なのねと片付けてしまっていたのです。
ちなみに、この作品は『田園に死す』なんですけど。

そんな私に、寺山修司を紹介してくださったのは、知の巨人、かの山口昌男先生でした。

2005年6月にシアターXで行われた「遊行かぶき 「中世悪党傳」誰がために鐘は鳴る」(白石征氏・演出)。
これは『太平記』を題材にとったもので、 この演劇を山口先生と見に行ったのです。
ストーリーは、楠木正成の霊に足利尊氏を誅殺させるという形で、足利家の崩壊を描くというものでした。

が、その筋立て以上に、その時、私が惹かれたのは、
寺山修司のあやつる「ことば」。

帰りのタクシーの中で、先生に「どうだった?」と聞かれたので、
すかさず私はこう答えました。

「ことばが見事だと思いました。最初の場面では平易なことばで観客を入り込ませ、殿上の場面ではピシリとした科白を語らせる。ことばの難易の使い分けができるんですね。」

すると、先生は深く深く頷かれ、「確かにそうだね」と賛同してくださり、
その後、ひとしきり寺山談義で盛り上がったのでした。
その時、いつか寺山の他の作品を見なくちゃと思い、また山口先生にもそう宣言していたのですが、最近になって、ようやくそれが叶ったというわけです。

では、寺山はどういう点で、神話学的な分析対象となるのかということですが、次回以降、これについて、ちょっと述べてみたいと思っています。

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