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2006年9月の14件の記事

2006/09/30

イラストレーター・長野剛さんの展覧会のお知らせ

『「世界の神々」がよくわかる本』の表紙を担当してくださったイラストレーター・長野剛さんの展覧会がもうすぐ開催されます。

Photo_29 左のイラストは、長野さんからいただいた展覧会の案内ハガキ裏面です。(クリックすると、拡大します。拡大して、じっくりとご覧下さい。)

これをご覧になるとおわかりだと思いますが、今回は時代物の作品のようです。

展覧会の名前も、「ごめんなすっ展展」。

出品者は、長野剛さんのほか、いずみ朔庵さん、おうみかずひろさん、大西政英さん、コヅカヒロミさん、照紗さん、清水紗羅巳さん、立澤準一さんです。


日時は、2006年10月5日(木)から10月12日(木)の11時30分から18時15分まで(最終日は17:00まで)で、日曜日と祝日はお休みです。

場所は、バートックギャラリーにて。

私もぜひ伺おうと思っています。ご興味のある方はこの機会にぜひどうぞ。

2006/09/29

桜島よ—鹿児島紀行(9)

9月16日(土)、この日は鹿児島滞在の最終日。

私が鹿児島に行って初めて、きれいに晴れました。ただ、台風が来ていたので、明日には天気が崩れてしまうということ。帰京するのに、ちょうど良いタイミングでした。

さて、飛行場へ向かう途中、やっと桜島がきれいに見えました。

Photo_26 左の写真は、有村溶岩展望所から見た桜島です。

「我が胸の 燃ゆる思ひに くらぶれば
煙はうすし 桜島山」(平野国臣)

平野国臣が詠んだ歌碑もありました。

この歌はとても有名な歌ではありますが、こんなにきれいな桜島を見ると、たしかに、この歌を口ずさみたくなります。

Photo_32

こちらは、別角度から撮ったもの。

手前右側に溶岩。

写真の真ん中下に、避難壕があります。

桜島が噴火した時に、この穴に入るのだそうです。

へぇぇ〜。

この桜島に見送られて、私は帰途についたのでした。グッバイ・かごんま!

2006/09/28

馬に近づけば—鹿児島紀行(8)

9月15日(金)、鹿児島五日め。

この日は、志布志(しぶし)湾沿いに都井岬(といみさき)に向かいました。

Photo_22
昼食は、志布志のマルチョンラーメン。

地元でとてもおいしいと大評判のお店です。







Photo_27 ところで、なんにでも、漬け物(たくあん)がついてくるのが鹿児島の特徴。

お茶うけにも、たくあん。

当然のことながら、ラーメンでさえ、例外ではありません!



昼食後は、都井岬に向かいました。

都井岬は、天然記念物に指定されている野生馬の地。

Photo_24 ゆっくり車を走らせると、馬がいたー!

しかも、寄ってくるー!

うひゃーっと近づこうとすると、
「馬の後ろに回ってはいけません。馬の口元に近づいてもいけません。」
という注意が、地元民の連れから発令されました。

なんでも、後ろに行くと蹴飛ばされ、口元に近寄ると、バックリと嚙まれることがあるとか。

要するに、胴体に対して横から近づけってこと!?

でもでも、馬の方は私の袖に顔をすり寄せてくるんです。

あら〜ンと思って、私も顔を近づけてみると、

くさっっ!」

野生馬ですもの、臭いんです。

馬をやり過ごした後、太平洋を見下ろすソテツの自生地へ。

Photo_25 写真は、そこから見上げた御崎神社です。

ここは海難よけと縁結びの神様です。







Photo_23

さらにその後、都井岬の灯台にのぼり、

日向灘と太平洋を一望しました。




Photo_30



右の地図は都井御崎牧組合のパンフレットに載っていたものです。

帰り際には猿の親子にも出会いました。


それから、ダグリ岬にある国民宿舎「ホテル・ボルベリア」のお風呂に入り、

車を走らせ、うまいと評判の鹿屋市の珉珉亭(みんみんてい)の「幻のあんかけ焼きそば」とギョーザを食しました。

ラーメンその他のメニューはありますが、地元の人は、ほとんどこの「幻のあんかけ焼きそば」を注文するのだそうです。

Photo_31

スープの中で泳ぐようにたたずむ焼きそばを、しばしご覧下さい。



あんまい、ぅんめで、ひったまがった!!

あぁ、至福。

2006/09/27

石山貴美子さんの写真展

昨日(9月26日)のことですが、山口昌男先生とご一緒に、お台場のホテル・グランパシフィック・メリディアンで開催されている石山貴美子さんの写真展に行ってきました。

石山さんは、作家の五木寛之さんのコラムに写真を載せていらっしゃる写真家で、その作品は、『石山貴美子写真帖 1984‐2005—五木寛之「流されゆく日々」より』という題で出版されています。

今回の展覧会は、被写体をマネキン人形に設定した、たいへん斬新なもの。

ホテルの展覧会場の美しさと、壁にかけられている写真が、絶妙にマッチしていました。

石山さんの写真展について、ご興味のある方はこちらをご覧下さい。

2006/09/26

知覧猫—鹿児島紀行(7)

鹿児島滞在の4日めの午後は、知覧(ちらん)に出向き、知覧特攻平和会館知覧武家屋敷群を見学。

特攻平和会館は、時間の都合で本当に駆け足。じっくり見られませんでした。ここから雨がちらちら。

武家屋敷群では、なぜか私の後ろを付いてくる猫が一匹。

Photo_19 私が武家屋敷の中に入ると、猫も一緒に入ってくる。

私が出ると、猫も出る。

だから、こいつ、私のことが気に入ったのねと、ニンマリしていたら、どうも違ったようです。

あるところまで来ると立ち止まり、それ以上、ついてきませんでした。それどころが、新しく来た別の見学者の後をついて、元来た道を帰って行ったのです。

ゲンキンなヤツですが、あの猫、今ごろ、どうしているでしょう。。。

ところで、知覧の風景は一面の茶畑と言っても過言ではありません。雨だったので、写真は撮ってきませんでしたが、とにかく見渡す限りのcha、cha、cha、cha、cha! 茶の一大産地です。

この茶畑の間を通り抜け、鹿児島市内に行きました。桜島フェリーに乗ったところ、自衛隊の潜水艦が近くに見えました。

Photo_20 天気が良い日には、潜水艦の上に人が立っていることもあるとか……。

この潜水艦を見て、自然と出てきた鼻歌は、「イエロー・サブマリン音頭」。

本家本元ビートルズの「イエロー・サブマリン」ではありませんよ。金沢明子嬢の「イエロー・サブマリン音頭」です。なんといっても、薩摩の潜水艦には、こちらが合う!

ところで、夜に入ったのは、桜島の白浜温泉(さくらじま白浜温泉センター)。ここの塩湯のおかげで、西郷洞窟での虫さされがだいぶ良くなりました。

Photo_21パンフレットに載っていた写真(左)の通り、茶色のお湯です。

お湯の質がものすごーく良く、毎日入りたい!という感じでした。超おすすめです。

あぁ〜、鹿児島(かごんま)は、まっこて、よかとこ、ごわんな!

2006/09/25

東シナ海とカツオ—鹿児島紀行(6)

鹿児島の四日め、9月14日(木)。この日は薩摩半島を探索しました。

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大隅半島の根占(ねじめ)から、フェリー「ぶーげんびりあ号」に乗って、薩摩半島の山川に到着しました。



やはり、この日も曇り時々雨で、桜島は見えず、おまけに台風が近づいているらしい。どうなることか、と心配しました。ですが、外に出ている時には一度も雨に遭わなかったのは、ラッキーでした。

Photo_17 さて、まずは「薩摩冨士(さつまふじ)」の異名を持つ開聞岳(かいもんだけ)。

頂上が少しけぶっていますね。


そこから東シナ海を見ながら車を走らせ、カツオ漁で有名な枕崎へ。

昼食は、枕崎港近くの「南薩地域地場産業振興センター」の一階にある食堂で、トロカツオ丼。

Photo_18 何気なく入ったこの食堂が、大当たり!! 

激・美味でした!! 

全然臭みがなく、本当においしい。そして、安い。これは本当にすごい。
鹿児島の醤油は、砂糖が入っているため、甘い(!)のです。

が、その甘い砂糖醤油がトロカツオに合っている。なるほど。

やはり、ダテではない、枕崎のカツオ。とくに、トロカツオがオススメです。

みなさんも、ご賞味あれ。

ただし、食堂で食べようと思っている方は、開店時間の確認をお忘れなく。

ちなみに、この枕崎に、1707年に紀州からやってきた森弥兵衛という男が鰹節の製法を伝えたとのこと。詳細はこちらをご覧ください。

実は、房総半島にも、紀州からやってきた男が鰹節の製法を伝えているのです。

この房総半島における紀州文化の伝播と集落形成という問題が私の卒論のテーマだったので、同じ紀州文化を持つ枕崎がすっかり気に入ってしまいました。

2006/09/24

なんだ、そうだったのか—鹿児島紀行(5)番外編

そういえば、内之浦の宇宙空間観測所へ行ったときのこと。

Photo_12

観測所の入り口(地図の1)から、テレメータセンター(地図の5)やKSセンター(地図の7)をまわり、いったん入り口に戻りました。

それから、M(ミュー)センター(地図の8)に行こうとすると、係員のおじさんに止められ、宇宙科学資料館までしか行けませんでした。

どうも何かの実験をしているらしいのです。

確かに基地内が若干あわただしいような……?

ふーんと思っていたら、詳細が9月24日付けの読売新聞の社説に出ていました。

つまり、最後の「固体燃料ロケットM5」を80億円かけて飛ばそうとしていたわけですね。

あと数日待っていたら、ロケットの発射が見られたのかと思うと、少々残念。

科学の日—鹿児島紀行(5)

9月13日(水)、鹿児島に来て三日め。
この日は、大隅半島の下半分をまわりました。

国見山(886m)を抜ける国見トンネルを抜け、
鹿児島宇宙センター内之浦(うちのうら)宇宙空間観測所」へ。

今ではお株をすっかり種子島にとられてしまいましたが、ここは日本初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げられた場所です。

Photo_13

パラボラアンテナ

(写真はクリックすると拡大します。)







Photo_15


実物大のロケットの模型









Photo_16

宇宙科学資料館に展示されている衛星の模型



などを見てきました。






途中、勤務している職員の呼び出しが聞こえたりして、こういうところで毎日を過ごしている人もいるのだと感じ入った次第。

毎日、地道な勤務を積み重ねているのですね。ジョディ・フォスター主演の『コンタクト』という映画を思い出しました。

その後、内之浦を海岸沿いに走り、田代町を通り抜けました。

ちなみに、このあたり、以前は、歩く民俗学者・宮本常一をもってしても、「全く不便をきわめている」と嘆くほどの難所で、一筋の道が唯一の交通手段でした(宮本常一『大隅半島民俗採訪録』慶友社)

案内の方によると、昭和40年代の頃は自動車が通らないので、オートバイでしか来ることができず、来ると物珍しさから子供たちが寄ってきたということ。

私たちが通った経路は、20年前だったら一日では回りきれない距離だったようです。

そんな風景の激変の話を聞きながら、本土最南端の佐多岬(さたみさき)にほど近いところにある風力発電所に到着しました。

3

私が真下にいたときには無風で、動いていなかったのですが、その大きさは「迫力」の一言。









ただ、帰り道、車の中から後ろを振り返ったら、ものすごい速さで回っているではないか! ぐるんぐるん回っているではないか!! 

あのね、回る気があったのなら、もう少し早くまわってくれー!

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ところで、「自宅に一機、欲しい」と言ったら、案内の方に「億かかりますよ」と返されました。


ハイ、そうですか……。


2006/09/23

茶碗虫とアブラムシ—鹿児島紀行(4)

わりと有名な話ですが、鹿児島には「茶碗蒸しの歌」というのがあります。

どんな歌かというと、「茶碗蒸し」という食べ物を知らない薩摩人が、「チャワンムシ」という言葉を聞いて、何かの「虫」かと勘違いしてしまう、という滑稽なもの。

歌詞はこうなっています。

 うんだもこら、いけなもんな(=あらまあ、ビックリ、どうしたことでしょ)

 あたいげどん 茶碗なんだ(=私の家の 茶碗なんか)

 日に日に三度も洗(あろ)もんせば(=毎日三回洗いますので)

 きれいなもんごわんさ(=きれいなものでございますよ)

 茶碗に付いた虫じゃろかい(=茶碗に付いた虫でしょうか)

 めごなど けぁるく虫じゃろかい(=目の荒い籠をはいずり回っている虫で しょうか)

 まこて げねこちゃ わっはっは(=本当に 恥ずかしい、わっはっは)

「chawan.mov」をダウンロード (「茶碗蒸しの歌」の試聴ができます。知人に歌ってもらいました。よかったらお聞き下さい。)

あまりに強烈な歌詞とメロディーに、脳髄まですっかりヤられてしまい、ふとした折に口をついて出るようになってしまいました。

ところで、鹿児島には、もう一つ、印象深い虫がいます。

それは、ズバリ、アブラムシ

「ぎゃーっ!! アブラムシが出たーっ!」という声に、植物の茎にべったりくっついている緑色の虫を想像しながら振り向いた私。

ところが、そこに緑色のモノは一切見えませんでした。そのかわり、テカテカ光り、すばしっこく動く、おなじみの黒い物体が……。

そうなんです。鹿児島で、アブラムシとは、ゴキブリのこと。

なんでアブラムシに、ぎゃあぎゃあ言うのか、ようやくその理由がわかった次第。

2006/09/22

極楽、極楽—鹿児島紀行(3)

鹿児島滞在の二日め。この日は、宮崎まで足を伸ばしました。
私たちの拠点は、大隅半島の鹿屋(かのや)市。
そこから、自動車で、次のようなルートでまわってきました。

鹿屋→都城→綾町→小林→えびの高原→韓国岳(からくにだけ)→国分→輝北町(きほくちょう)→鹿屋

綾町では、昼食がてら、酒泉の杜(しゅせんのもり)を見に行きました。

(ちなみに、ここのレストラン「綾ぐるめ」は、とっても美味。また行きたいです。)

酒泉の杜は、陶芸や染め物、竹細工、ガラスなどの工房が集まっているところですが、今回、私はガラス工房(グラスアート宮崎綾工房)で、ペンダントを購入。

この工房は、「現在の名工」に選ばれたこともある黒木国昭氏の工房で、私が購入した「光琳」という名のペンダントは、黒木氏の代表作シリーズの一つでもあります。

(ここだけの話、ペンダントが一番安いのです。高いものとなると、壺一つ300万円というお値段で……。間近で見ないとわからない微妙な工夫がなされています。)

このガラス工房を見学した後照葉大吊 へ。


Photo_8 この吊橋、歩ける吊橋としては、水面からの高さが世界一なのだそうです。

驚いたことに、背の低い人はわりとスタスタ歩けるのに、身長が高いほど足がすくんでしまう。

なんでだー?と思って観察してみると、背の高い人ほど、視界が広がるからなのですね。

微妙に揺れる中、私は、わりにスタスタ歩きました。好調、好調と思っていると、途中、板ではなく、格子になっている箇所があり、そこから足下が見おろせるのです。

さすがに足がすくみました。。。


そのあと、車は、一路、えびの高原へ。うっすらと霧が立ちこめる中、ゆっくりと車を走らせると、なんとそこには、鹿の姿が……。


Photo_10 奈良の鹿ほど人間に慣れてはいないものの、なかなか、かわゆいではありませんか。

この後、

♪花は霧島、煙草は国分♬

の「鹿児島おはら節」で有名な国分(こくぶ)の日当山(ひなたやま)温泉にある「ホテルのき」のお風呂につかったのでした ♨

はァ〜、極楽、極楽。

(「鹿児島おはら節」は試聴できます。クリックして、飛んだページの19番をクリックしてください。)

2006/09/19

「西郷でごわす」—鹿児島紀行(2)

鹿児島に到着した第一日目、つまり9月11日(月)に、飛行場から真っ先に向かったのが「天文館」。

Photo_2 天文館(てんもんかん)というのは地名でなく、
この辺り一帯の通称とのこと。

その名前の由来は、江戸時代の25代薩摩藩主、島津重豪(しまづ しげひで)の時代にさかのぼります。

重豪が、この地に、暦や天文学の研究を遂行できるよう、1779年に明時館、別名天文館を設立したのだそうです。

この由緒正しき天文館で、昼食に、念願の「こむらさき」のラーメンを食した後、

意気揚々、鹿児島市立美術館と黎明館(鹿児島県歴史資料センター)へ向かったのです。

途中、5m76cmの巨大な西郷隆盛の銅像がありました。

Photo_5

曇り空ですが、西郷さんもおるぞー!!

すっかり楽しくなった私は、「あ、西郷さんだー!! 西郷でごわす! 西郷でごわす!」とはしゃいでみたところ、地元出身の連れが、冷たく「あのね、『ごわす』は地元ではほとんど使わないよ」という、なんともショーックなお答え。

え? だって、鹿児島と言えば「ごわす」でしょ?

そうたたみかける私に、連れは「いや、それを喋っている人、聞いたことがない。『西郷でごわす』はテレビの見過ぎ」ときっぱり。

そうなんです。

「ごわんな・ごわしたな(=ございます・ございました)」は使うみたいなんですが、「ごわす」とは地元では使わない言わないようなんです。これはオドロキ・桃の木・山椒の木でした。

ちなみに、その後、美術館も黎明館も、月曜日でお休み(!)だったので、

(地元民よ、事前にしっかりチェックしろーい!)

しようがなく、西郷さんが自決した洞窟、通称「西郷洞窟」に足を伸ばしました。

Photo_7
地元民である連れは、「西郷洞窟は単に穴があいてるだけ」と言って渋ったのですが、せっかく鹿児島にやってきて、西郷さんの死に場所を見ないなんて! と粘りました。

この時にはお日様が照ってきて、汗だくになりながら、坂を上り、やっとたどり着くと………

確かに穴が開いているだけ。。。

しかも、ここで、ひどく虫にさされてしまい………。

 

やけくそになった私は、もと来た道をとぼとぼ帰るだけでは腹の虫が治まらず、この後、巨大なシロクマを一網打尽に退治したのでした。

あっぱれ!

2006/09/16

シロクマ、討ち取ったり!—鹿児島紀行(1)

いやー、帰ってきました、東京に。

曇り空の日が多く、きれいに晴れたのは今日の午前中のみ。帰京直前でした。

でも、滞在中、ずーっと霧が立ちこめて、ハッキリ見えなかった桜島も、
今日の午前中にはなんとか見ることができました。

ところで、前回宣言していました鹿児島の巨大怪獣・シロクマ。
私、見事、初日に討ち取ってまいりました!

下の写真は、いまだ討ち取られる前のシロクマです。

Photo これは、さすがに名にし負う難敵だけあって、
征服するのに骨が折れました。

なんといっても、デカい

ホントに、想像を超えた大きさです。

さらには、途中から、シロクマの吐き出す氷の息吹によって、半袖から突き出た私の腕に、鳥肌が……。

シロクマの恐ろしさを再確認した次第です。
何度、征服をあきらめようと思ったことか……。

が。

そこは、女ヘラクレスの異名を持つ(?)この私。

ヘラクレスの棍棒ならぬ銀のスプーンを何度も繰り出して敵を切り崩し、苦労の甲斐あって、見事、仕留めたのでありました。

ちなみに、シロクマ、味も、並ではありませんでした。

なんといっても、氷が尖っていなくて、柔らかく、いくらでもいけてしまうのです。コンビニの簡単シロクマとは、かなり違います。

ところで、怪獣シロクマを飼っている鹿児島の洞窟、
「天文館むじゃき」の入り口の写真も撮ってきました。

Photo_4

なんと、60年もシロクマを飼っているらしい。

お店は、地元の人や旅行者であふれかえり、行列ができる程でした。

 

2006/09/10

女ヘラクレス(?)のシロクマ退治

9月11日から遅めの夏休み(のようなもの)をとりますので、
次回の更新は少なくとも16日以降になってしまいます。

今回の行き先は鹿児島。
どうも空模様が怪しそうです。

どうなることやら。。。

ところで、ギリシア神話に登場する英雄ヘラクレスは、
これまで誰もやったことがない偉業を
12個もやってのけています。

ちなみに、その12個の偉業とは、

(1)ネメアの森に棲む不死身の獅子の皮をとってくること。

(2)沼沢地(しょうたくち)レルネに棲むヒュドラ(水蛇)を退治すること。

(3)金色の角を持つケリュネイアの鹿を生け捕ること。

(4)エリュマントス山に棲む猪(いのしし)を生け捕ること。

(5)エリスの王アウゲイアスが持っている、広大で、30年の間、誰も掃除したことがない汚らしい厩(うまや)をたった一人で、しかも一日で掃除すること。

(6)ステュンパロスの森にいる鳥を追い払うこと。

(7)クレタ島に棲む、ポセイドンの牡牛を連れてくること。

(8)トラキア王ディオメデスの人食い馬を捕らえること。

(9)アマゾンの女王ヒッポリュテの帯をとってくること。

(10)ゲリュオネスの牛をとってくること。

(11)ヘスペリデス(「宵の明星」の娘たち)が護っている金の林檎をとってくること。

(12)冥府から、番犬のケルベロスを捕らえてくること。

(呉茂一著『ギリシア神話』新潮社ほかを参照)

どれもこれも、たいへんそう。
それを12個もやっているんですから、ヘラクレスはさすがです。

私も、ヘラクレスを見習って、
雨が降ろうと、ヤリが降ろうと、
難敵シロクマ退治の偉業だけは達成しようと心に決めています。

鹿児島の怪物シロクマ……?

そう、知る人ぞ知る、
天文館むじゃきの白熊退治です!

乞う、ご期待!

2006/09/03

ツクツクボウシの民俗学

9月に入りました。
まわりでは「ツクツクボウシ」が鳴いています。

私の実家のあたりでは、
「ツクツクボウシ」を、「オーシンツクツク」と呼んでいるので、
どうも「ツクツクボウシ」という呼び名には違和感があります。

「ツクツクボウシ」の「ボウシ」を先に持ってくると「ボウシツクツク」。
それが「オーシンツクツク」になったという俗説も……。

ちなみに、『蜻蛉日記』をみると、旧暦の八月、つまり現在の九月頃に鳴く蝉の声が「クツクツボウシ」であったことがわかります。(『かげろふ日記 日本古典文学体系』、岩波書店)

「ツクツク」が「クツクツ」になっていて、おもしろいですね。

どの呼び方がしっくりくるか、こちらから飛んで、実物を聴いて確かめてみてはいかがでしょう。

ところで、「ツクツクボウシ」と鳴く蝉は、
春に芽を出す土筆(ツクシ)と関係が深い。

このちょっと意外なつながりを指摘しているのは、民俗学者の柳田國男です。(以下、「野草雜記」『定本 柳田國男集22巻』所収を参照。)

「ツクシ」は「ツクシンボ」、京都では「ツクツクシ」や「ツクツク」と呼ばれ、どうも「澪標(みおつくし)」と関係するようです。

「澪標(みおつくし)」とは、海の上を航行する船に、海の深さや通り道などを知らせるために、浅瀬に立てられた標識の棒。つまり、「ツクシ」とは、突っ立った柱を意味するというのです。

一方、「ツクシ」を「ホウシ」と呼ぶ地域もあったようで、この「ホウシ」は法師(ほうし)を意味すると、柳田は指摘しています。

面白いのは、この法師、普通なら僧侶を意味するだろうと思ってしまうのですが、「小さい者」の意味もあったとのこと。かつて、カナホウシや吉法師、三法師などの幼児名が見受けられたということです。

ようするに、「ツクシ」は、土手に突っ立った柱や小さ子を連想させるもので、春の彼岸の頃に現れます。

一方、夏の終わりから秋のお彼岸の頃、樹にとまって鳴く蝉の名は「ツクツクボウシ」。

つまり、お彼岸という季節の変わり目に、この世の無常を知らせてくれるもの。これが「土筆(ツクシ)」と「寒蝉(ツクツクボウシ)」なのかもしれません。

「ツクツクボウシ」にまつわる風景が、近世の俳人、横井也有(よこい やゆう)が著した『鶉衣(うずらごろも)』に描かれています。紹介しておきましょう。

つくつくぼうしといふせみは、つくし戀(こい)しともいふ也。筑紫の人の旅に死して此物(このもの)になりたりと、世の諺にいへりけり。(『近世俳句俳文集 日本古典文学体系』、岩波書店)

横井也有の時代、筑紫の人が旅に出て死に、「ツクツクボウシ」というセミになったという伝説が流布していたことがうかがえます。

「ツクツクボウシ」は故郷を思慕する旅人の泣き声でもあった。

長い年月を過ごした地中からやっと出た刹那、命を限りに彼岸を告げ生涯を閉じる。そんな小さなセミの儚(はかな)さが、このような死にまつわる伝説を生んだのかもしれません。

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