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2006/10/30

銭湯通いの日々来たる?

困りました ( -_-)

いきなりお湯が出なくなってしまったのです。

お湯をひねっても冷たいので、ヘンだな?と思っていたら、なんと給湯器が故障。
しかも、給湯器から水がぽたぽた漏れ、給湯室の床が水浸しに。下の階にも水が漏れているという始末でした。

ところが、修理を頼もうとしたら、昨日は日曜日……。
当たり前ですけれど、すぐには来てくれません。

秋深いこの時期に、水風呂に入れってこと?!

ということで、修理が完了するまでの間、

銭湯♨

に行くしかなさそうです。

銭湯なんて、本当に久しぶり、というより、ウン年ぶり。

思い返せば、東京に来たばかりの頃、私は、元のフジテレビの近くにあった、賄い付きの下宿に住んでいたのです。

三畳一間で、布団を敷いたら他には何にも置けず、トイレは共同、小さい冷蔵庫も共同、ガスコンロも共同のものが一台あったっきりでした。

もちろんお風呂は銭湯。

なぜに銭湯の壁のタイルには富士山が描かれているのかということを、皮膚がただれそうに熱い(本当に熱すぎる)お湯の中で、ぼんやりと考えたこともありました。

これでは、まるで「神田川」ではないか!
(ただし、ひとりきりの「神田川」ですが……。サミシイ …>_<…)

そうそう、ちなみに、「神田川」をめぐって、言語哲学者の丸山圭三郎がとっても面白いことを指摘しています。これを最初に読んだ時、私はゲラゲラ笑ったほどです。すっごく面白いので引用しておきますと、

 数年前になりますが、在日アジア人留学生と日本の学生が協力して、それぞれの国で親しまれているポップスや民謡を翻訳しあいました。(中略)
 ところが、翻訳作業はまことに困難を極めました。 
 ただ単語を置きかえていくなどという仕事ではないことは覚悟していたそうですが、文法上の問題以上に彼らを悩ましたのは文化そのものの違いだったのです。
 たとえば、かぐや姫が歌ってヒットした「神田川」をマレー語に訳したマレーシアの留学生には、まず「風呂屋」という語が翻訳不可能であったし、「同棲」は母国では恥ずべき行為。
 まして「洗い髪が芯まで冷え、小さな石鹸がカタカタ鳴る」まで待たされた女が、「あなたのやさしさが怖かった」などと言うその心情は、マレーシア人には到底納得できなかったと言っています。
(丸山圭三郎1994『言葉とは何か』夏目書房より。ただし適宜改行を施した。)

(^◇^)

もとい。

私の場合、「神田川」と違うのは、やけに贅沢なご飯を食べていたことです。
なんたって、学生相手に、オックス・テールからとったダシで煮込んだビーフ・シチューなんてのが出ていたんですから。あれですっかり舌が肥えました。もちろん体も例外ではなく……。

そんな記憶がよみがえってきました。

てなわけで、面倒だなと思う一方、

どこの銭湯にしよっかな♫

と物色したりしています。

例えば、温泉がいいなとか、ジャグジー付きも良いぞとか、やっぱりサウナかなといった具合です。

ちなみに、東京の銭湯は、場所や設備などがなんと検索できるのです。これも新しい発見でした。ご興味のある方はこちらから、どうぞ。

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