『ゴドーを待ちながら』と「あめふりくまのこ」
いつだったか、漫然と聞いていたラジオから流れてきた童謡の「あめふりくまのこ」(鶴見政夫作詞・湯山昭作曲)。
それが流れたとたん、激しく感動して思わず涙ぐんでしまったことを、今日、CDの片付けをしながら唐突に思い出しました。
そこで、「もう一度聴いても感動するかな?」と、なかば挑戦するような気持ちで聞き直してみたのです。
すると、やっぱり期待に違わず、なぜかしみじみ……。
何度聴いても良い歌だな、とつくづく感じ入ってしまいました。
湯山昭氏の曲ももちろん素晴らしいのですが、鶴見政夫氏の歌詞も良い!
そこで、有名ではありますが、歌詞を少し抜粋してみましょう。
おやまに あめが ふりました
あとから あとから ふってきて
ちょろちょろ おがわが できましたいたずら くまのこ かけてきて
そうっと のぞいて みてました
さかなが いるかと みてました
ところが、雨でできた小川ですから何もいません。ですが「くまのこ」は、手で水をすくって飲んだり、小川をのぞき込んだりしながら、魚をずーっと待つのです。
しかし、いつまでたっても、雨は止みそうにありませんでした。そこで「くまのこ」は、
かさでも かぶって いましょうと
あたまに はっぱを のせました(以上、鶴見政夫氏の作詞からの抜粋)
「くまのこ」はこの後さかなに出会ったのでしょうか。あるいは、お母さんの待つおうちに帰ったのでしょうか。
それらは、歌詞の中で一切何も触れられていないのです。
降り続く雨の中でさかなを待っている「くまのこ」。本当にいじらしく、頭をなでてやりたくなります。
けれども、この歌を聴いて感動するのはたぶん、「くまのこ」のいじらしさ以上に、いくら待っても「くまのこ」が待ち望む「さかな」はやって来ない。そのことを、私たちが知っているからじゃないかと思うのです。
待つ甲斐のないものを、ただひたすら信じて待つ。「くまのこ」は、ある意味で、私たち現代人の姿であると言えるかもしれません。
実は、この「あめふりくまのこ」と類似したテーマが、サミュエル・ベケットの二幕の戯曲『ゴドーを待ちながら』に描かれています(以下、ベケット『ゴドーを待ちながら』安堂・高橋訳、白水社より抜粋)。
表題の「ゴドー」とはゴッド、つまり「神」のこと。
ヴラジミールとエストラゴンという二人の主人公が、来るあてのない「ゴドー」(つまり神)を待ちながら日々を送るという内容なのですが、この戯曲の最後のところには、次のように書いてあります。
(ヴラジミール) それより、あした首をつろう。(間)
ゴドーが来れば別だが。(エストラゴン) もし来たら?
(ヴラジミール) わたしたちは救われる。
しかし、いくら待ってもゴドーは来ません。そして突然、二人は首吊りの話を忘れたかのように、ここで別れると言い出すのです。
(ヴラジミール) じゃあ、行くか?
(エストラゴン) ああ、行こう。
これで戯曲は終わりです。が、ト書きには「二人は、動かない」と記されています。ようするに、二人は、今までと同じく、来るか来ないか判然としないゴドーを待ち続けるということなのです。(ちなみに、一幕目の終わりも同じ構成となっています。)
つまり、「神が死んだ」と言われる今日のキリスト教の伝統の中で、現代人がどのような状況に置かれているか。それを、ベケットは、ヴラジミールとエストラゴンという二人の姿で描いているのです。
ある日、生まれた。ある日、死ぬだろう。同じある日、同じある時、それではいかんのかね? 女たちは墓石にまたがってお産をする、ちょっとばかり日が輝く、そしてまた夜。それだけだ。
神が存在しないなら、生きる価値も死ぬ価値もなくなる。人生の意味もなくなり、人は死ぬためだけに生まれてくる。つまり、人の生は死と同価ということになる。時間の経過にも何の意味もない。
だからこそ、人は、ただ生きるだけの虚無の状態から救ってくれるゴドーの到着を熱望しているわけです。
ところで、ゴドーを待ちつづけているのは、キリスト教文化圏の人々です。しかし、そうでない日本の童謡に、類似したテーマがあった。このことに驚くばかりです。
では、「あめふりくまのこ」が待っている「さかな」とは、いったい何なのでしょうか。
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