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2006/11/15

「できません」が言えなくてー他人指向的コミュニケーションの現在形(2)

手間のかかる仕事の方はまだまだ続いているのですが、風邪の方はすっかり良くなりました。

その仕事の方はそのうち報告することにいたしまして……。

間があいてしまいましたが、今回も、現代の若者のコミュニケーションの問題を考えてみたいと思います。

現代の20歳前後の若者の多くは、他人の意見を重視する他人指向型の性格を持っている。

これが私の診断なのですが、そうだとすると、この若者たちがいずれ就職して世の中に出ていく頃、つまりあと1、2年くらい経つと、あちこちで予期せぬ問題が生じてくるのではないかと思うのです。

なぜなら、彼らの上司となる人物、つまり40代〜60代後半の中高年は、彼らと異なるタイプであるため、彼らとうまく折り合いがつかないのではないかと推測されるからです。

この40代〜60代後半の人々というのは、だいたい1940年代から1960年代に誕生しています。このエポックに、日本人は、第二次世界大戦での敗戦とその後の急激な経済成長という、社会的・文化的な激変を経験したわけです。

そして彼らの多くは、自分の中に多かれ少なかれ、なにがしかの目標を持っていて、それに向かって前進することを良いことだと思っている人々だと言えるでしょう。

例えば、
社会的に重要な地位に就きたい、
経済的な成功をおさめたい、
良い学校に入って高い学歴を積みたい、
一所懸命に働いて会社の実績を上げたい、
自分の人生をゆとりのあるものにして楽しみたい、
社会を良くしたい、etc。

こういった目標に向かって、信念を持って生きる(コミットする)という生き方を、今の40代〜60代後半の人々の多くはしてきたし、現在もしているわけです。

この価値観は、その名残を私自身もある程度、共有しているものなので、よくわかります。

一言で言えば、いかに独自の価値を実現するのか。
そういうことに主眼を置いている生き方だということです。

ただ、この手の目標は、最初から自分自身で持っていたわけではないのですね。
なんとなく自分の周囲(親や学校や社会など)で良い目標とされていて、それを引きついだにすぎません。

一例を挙げると、ワシントンや野口英世、ナイチンゲールや二宮尊徳、エジソンや坂本龍馬といった偉人の伝記が多く書かれていて、それを子供に読ませることに典型的にあらわれています。

つまり、まさに『巨人の星』に見られるように、「星(スター)を目指してガンバレ!」というメッセージがそこに込められているのです。

(ちなみに、ものすごーく面白い現象だと思っていることがあります。

それは、ウチの近所の大型レンタル・ビデオ店で、最近『巨人の星』のDVDが置かれたのですが、全くと言っていいほど借りられていないということなのです。本家本元の読売巨人軍の人気の凋落以上に、何かを目指すという生き方そのものが、時代錯誤ということなのかもしれません。)

とにかく、自分の中に、他の人には邪魔されたくない路線があって、それを達成すべく内なる羅針盤に従って生きていく。

こういう人間のタイプのことを、リースマンは、「内部指向型の人間類型」と呼んでいるわけです。

一方で、現代では、自分の中に目標があって、それを達成しようと生きるのではなく、他人の意見を重視するタイプ(他人指向型の人間類型)の若者が多くなりつつあります。

おおざっぱに言えば、中高年は、他人に揶揄されても自分の生き方を崩さないことに価値を置くわけです。

それに対し、若者は自分の意見を曲げてでも他人とうまくやっていくことを選択する方が良いと考えているということです。

デジタルARENAに載せたエッセイの例で言えば、私(教師)は「やる気のある学生に、学生自身のためになるような勉強の機会を与えよう」と思い、選択制のレポートを課します。

ところが、私からすれば信じられないことなのですが、彼らは自分がやりたいかどうかでなく、私がやってほしいと思っているかどうかを考えてしまう。

そして、レポートの期限が過ぎても、「できませんでした」のたった一言がどうしても言えないのです。

それは、 たぶん、私との友好的な関係に、ヒビが入ってしまうのが怖いからに他なりません。

これは場合によってはかなり深刻な事態を招くことになります。

年上の者は、自分が受けてきた教育や慣習、あるいは経験から獲得した信念に従って、自分が正しいと思っているやり方を若者に教えようとします。

すると若者は、「ふむふむ」と素直に聞いている。だから、年長者は自分の考えが伝わったかと、こっそり一人でほくそ笑むわけです。

ところが、実のところ、若者は年上の者が教えた内容が良いと思ったから頷いているのではありません。

それは「ぬかよろこび」というもので、若者はただ相手の機嫌を損ねたくない、怒らせたくない、まずいつきあいをしたくないという理由で、年長者に合わせているだけなのです。

ですから、時折、年長者が教えたこととは全く違うことを平然とやってくる。すると、オジサン・オバサンは、

なんじゃ、こりゃ!? ワシの言うこと、わかっとるんか!!

と驚き、あきれ、しまいには怒りに転ずるというわけです。

かつてのワタクシが、まさにそうだったのですが。コホン。。。

一方、他人指向的な若者だって、いつまでも他人に合わせているわけにはいかなくなってくるわけです。要するに、我慢にもホドがあるというわけですね。

そこで、にっちもさっちも行かなくなった彼らの行き着く先は、エッセイにも書きましたが、ジレンマにおちいった挙げ句、コミュニケーションの切断を引き起こすということだと思います。

ですから、年長者は若者に、「がんばれ、がんばれ」とか「自分の信念を持って」などと言わない方がよいこともあるのです。

そう言うと、若者は自分の本当の意思に反したことでも頑張ろうとしてしまい、挙げ句の果てにコミュニケーションを遮断し、自己のうちに閉じこもるしかなくなる。そういう結果になるからです。

では、どうしたらよいか。

実は、私には、おおよその対処の仕方がわかっています。そして実際、そのやり方でもって、彼らと接し、ある程度の効果を上げてきました。

それはさておき、私が今、考えているのは、他人指向的な若者は近い将来、避けて通ることのできない大きな問題、内部指向的な人々が遭遇しなかった問題に直面するだろうということなのです。

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