« 銭湯通いの日々来たる? | トップページ | ただいま、風邪ひきにつき…… »

2006/11/03

他人指向的コミュニケーションの現在形

『日経BP net』の「デジタルARENA」に掲載された第2回めのエッセイの補足です。

私は、神話分析の具体例として、現代の日本のアニメを学生に見せて、それを実際に分析するという授業を行っています。

アニメの分析というと、ひどく幼稚に聞こえるかもしれませんが、そうは問屋がおろしダイコン! 

実際に私が分析をしてみせると、さりげなく描かれた場面から、心理学やら構造主義やら哲学やらの問題を発見できるのに驚く学生が少なからずいるのです。

確かに、現代の漫画家はいろいろなことを本当によく勉強し、しかも勉強しているだけでなく、それを作品という形にまで昇華させているのだと、感心することしきりです。

私の知り合いの編集者の方は、昔、漫画を担当していたというのですが、実は、彼から興味深いことを聞きました。

漫画家はみな中学・高校時代に、絵の勉強は必死にやるけれども、ストーリー作りはほとんど勉強してこない。しかも、若くしてデビューすることが多い。

だから、編集者が、これを読め、あれを読め、と言って、神話学や心理学、文学関係などの専門書を渡したり、教えたりして、ストーリー作りに役立つ知識を与えているのだとか。

アニメが神話分析の手法で分析できるのも納得ですね。つくづく、現代の日本文化を盛り上げているのは、漫画やライトノベル、そしてそれを映像化しているアニメだと感じ入るのです。

ところで、話の本題は、漫画家や小説家がよく勉強しているということじゃなく、アニメを鑑賞している時の学生の態度についてなのです。

そのアニメ、実は、問答無用に面白い。とにかく面白い。

私など最初に見た時、腹を抱えて、笑い転げたほどなんです。いや、大げさに言っているのではなく、文字通り、ごろごろ転げ回りました。本当にそれくらい面白いのです。

(ちなみに、ストーリーの内容は、回が進むにつれて、深刻になっていくのだけれども。)

しかし、学生は、そんな面白い場面に出会っても、くすりとも笑いません。

そこで、私はこう思いました。学生はきっと授業で鑑賞しているから、真面目に見ないとダメだと思っているんだろう、と。

そこで私は、鑑賞前に学生に向かって、「アニメが面白かったら、正直に笑っていいんですよ」と言ってみました。けれども、やはり笑わない。

それじゃあ、彼らにとって、その作品は面白くないのかというと、そんなことはないようなのです。

というのも、鑑賞後に私が「みなさん、面白かったですか?」と聞くと、学生はみな笑みをたたえながら頷くからです。

(じゃ、なんで笑わんのよ?!)と、すぐさま心の中で突っ込んでみる私。

……閑話休題。

些細なことにこだわっていると、思う人がいるかもしれません。けれども、私が見るところ、ここには現代の若者文化を考えるひとつの大きな問題が潜んでいると思うのです。

というのも、全く同じアニメを、今度は、生涯学習の世代、つまり現在40代〜70代の年配の学生に見せると、みんな大声を上げて笑うからです。

(……ちょっと、笑いすぎ……!)とすかさず突っ込む私。

つまり、同じものを鑑賞しても、40代〜70代の中高年の反応と、10代後半から20代前半の若者の反応がきっぱり違うという事態に、私はこの2、3年の間に直面しているのです。

ちなみに、4、5年前には、10代の学生でも確かに笑っていたのです。それが、ここ数年で急に笑わなくなりました。

もちろん、これは私が接している複数の大学の学生に限った話ですが、現在の大学生の感情の発現の仕方はストレートでないと言って良いのかもしれません。

では、彼ら、現在10代後半〜20代前半の若者たちは、どんなふうに感情を表出するのでしょうか。D.リースマンはこう述べています。

女の子が友だちといっしょに映画を見に出かけたとする。

彼女は映画を見ているあいだはべつに、友だちと話しあう必要はない。

だが、映画を見ながらも、ときどき次のような問題に直面する。

すなわち、悲しい場面で自分が泣くべきか、否かといったような問題がそれだ。

映画の進行に伴って、それぞれの場面でどんなふうに反応するのが望ましいかといったようなことが気になるのである。

アート・シアターのたぐいから出てくる観客たちを見ていると、あきらかに、かれらは次のような問題に当面しているように見える。

すなわち、自分は何らかの反応を示さなければならない。だがどんなふうにその反応を示したらいいのか?
( D.リースマン(加藤秀俊訳)『孤独な群衆(The Lonely Crowd)』みすず書房より引用。ただし、適宜改行を施した。)

ここに描かれているのは、見に行った映画について、「面白かったね」「つまらなかったね」という論評すら、自分ひとりの感情からではなく、友だちの顔色をうかがってから下す若者の姿です。

このように、他人に自分を合わせるように生きる人たち、
他人の複雑な欲求・感情を鋭敏にかぎわけることができるような人たち、
自分の感情を曲げてまで他人の意思を尊重する人たちのタイプを、
リースマンは「他人指向型の人間類型」と呼びました。

リースマンが描いた「他人指向的な生き方」という現象は、実は、1950年前後のアメリカ社会に出現してきた現象なのです。

けれども、これが、私のクラスを履修した10代から20代の若者のアニメ鑑賞の態度に似ているとはどういうことか! ここに非常に驚きを感じます。

私の学生は、まわりの人が笑っていないから、という理由で、笑いをかみ殺していた、そういう可能性があると思うのです。言い換えるならば、他人の反応を重視する「他人指向的な人間」だということになります。

もしそうだとすると、見過ごすことのできない問題が、これから生じてくるのかもしれません……。

« 銭湯通いの日々来たる? | トップページ | ただいま、風邪ひきにつき…… »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Amazon

無料ブログはココログ