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2006年12月の2件の記事

2006/12/29

当選!&『神々』22刷

すみません (・_・)(._.)
本当に忙しく、あまりに忙しく、ブログがぜんっぜん更新できてません。
もうクリスマス・イブとかクリスマス、それ以降の年の押し迫った感覚を楽しむ間もなく、ドトーの仕事、仕事、仕事……。
ワタシに正月は来るのか、ちょっと心配です。

ところで、そんな、がんばるワタシに遅れてきたクリスマス・プレゼントがっ!

12月まで私が使っていたブログのテンプレートは「モノクロブー」なのですが、これを使っている人だけが応募できるプレゼント・キャンペーンに応募してみたのです。

そしたら、なんと、こんなものが当たったァ!!

_3
そうなんです。
CDが入れられるボックスの中に、モノクロブーのぬいぐるみをはじめ、メモ帳2種類、モノクロブーのイラストの入った付箋紙、消しゴム、携帯ストラップ、マスコット・ホルダー、ハミガキ粉のチューブ・カバーなどなどが詰め合わさってきたのです。

うひひひ。

と、思わず笑いが洩れしまい……。

Mypicture_1

こちらのモノクロブーのぬいぐるみの後ろで広がっているのは、肩掛けバッグです。

疲れた身に、ぬいぐるみのふかふかの手触りが心地よい……。

あー、ありがとうございました。
ホントに、思いがけない嬉しさです。

話は変わりますが、『「世界の神々」がよくわかる本』、

おかげさまで22刷が出ました。

リストガーデンスクエアでは、なんと文庫部門の年間売り上げで、

第6位!!

なんと、あの細木数子さんの1コ上ですよー。かの宮部みゆきさんの2コ上ですよ。すごいー!!

ということで、みなさま、今年一年、本当にお世話になり、ありがとうございました。
お元気で、良いお年をお迎え下さい。 <(_ _)>

2006/12/03

『世界の神々』のポストカードと小林秀雄の仕事術

あぁ、ここ最近の私は、大学での授業の他に、二つの仕事を同時並行的に進めなければならず、頭の中がわやわや……。

とくに、片方の仕事は、気を抜くと、すぐに相手に切り込まれてしまうため、常に真剣を携え、きぇーっと敵が襲いかかるや、ひらりとかわしながら返す刀でバッタバッタと倒していく。

そんな風情があります。

わが聖剣エクスカリバーが倒した死屍累々の数々については、そのうち、このブログで公表したいと思いますが、今はまだちょっと内緒なのです。

しばらくお待ちあれ。

ところで、昨日、このブログで紹介した、イラストレーター・長野剛さんの展覧会に行ってまいりました。

長野さんにご挨拶した後、作品を拝見していると、はて? 

何やら、作品の下に四角い紙がちらほらと……。

そう思い、手に取ると、それはナント、『「世界の神々」がよくわかる本』の表紙のポストカードではありませんか!

うひょーと思い、すかさず、1枚購入!

(後で考えれば、1枚なんて、ドケチのやることだった、もう少し買っておくのだった……と後悔しましたが、その時は夢中で……。)

いやー、自分が監修した本の表紙がポストカードになり、それで誰かに葉書を送ることができるなんて! シアワセー。。。

Photo_38ところで、ご覧になるとわかると思いますが、この表紙には四柱(よはしら)の神々が並んでいます。

左から、ギリシア神話のゼウス・アテナ、ケルト神話のモリガン、インド神話のシヴァとなっています。

ちなみに、神様は一人(ひとり)二人(ふたり)ではなく、一柱(ひとはしら)二柱(ふたはしら)と数えます。『古事記』にそう書いてあるのです。

この素晴らしい表紙、私は何から何まで長野さんの完全創作だとばかり思っていたのですが、実は、編集者その他の要求に応じて描いているとのこと。

例えば、モリガンは入れてくださいとか、どこどこにタイトルを入れるのでそのスペースを空かすとか……。

つまり、クライアントの要求を踏まえ、いくつかの制約を受けながら、長野さんはその個性を発揮されているわけです。

この表紙をはじめスターウォーズなどの迫力ある原画を見ていたら、私はふと、小林秀雄の『モオツァルト』の一節を思い出しました。

モオツァルトの作品の、殆(ほとん)どすべてのものは、世間の愚劣な偶然な或(あるい)は不正な要求に応じ、あわただしい心労のうちに成ったものだという事である。

制作とは、その場その場の取引であり、予(あらかじ)め一定の目的を定め、計画を案じ、一つの作品について熟慮専念するという様な時間は、彼の生涯には絶えて無かったのである。

しかも、彼は、そういう事について一片の不平らしい言葉も遺してはいない。

これは、不平家には難かしい、殆ど解き得ぬ真理であるが、不平家とは、自分自身と決して折合わぬ人種を言うのである。

不平家は、折合わぬのは、いつも他人であり環境であると信じ込んでいるが、環境と戦い環境に打勝つという言葉も殆ど理解されてはいない。

ベエトォヴェンは己れと戦い己れに打勝ったのである。

言葉を代えて言えば、強い精神にとっては、悪い環境も、やはり在るがままの環境であって、そこに何一つ欠けている処(ところ)も、不足しているものもありはしない。

(以上、小林秀雄『モオツァルト・無常という事』新潮文庫より。適宜改行し、ふり仮名を施した。)

どれもこれも、すさまじい箴言です。吐こうとしたって、普通の人には吐けない類のものだと思います。

ただ、私が思うのは、これはモォツァルトのことを語っているようでいて、実のところ、小林秀雄は自分自身のことを語っているのではないか、ということです。

小林秀雄は、今でこそ「批評の神様」とあがめられているけれども、これを書いた昭和21年(当時44歳)の頃は、いまだ、発展途上の批評家であったと想像されるわけです。

つまり、「批評」という、ある意味で小難しく、ある意味でとっつきにくいジャンルの文章を、質的なレベルを維持しながら、職業としても成立させる(要するに売れる)という難しさ。

しかも、売文家は、その都度その都度の仕事をこなして金を稼ぐ必要があり、まとまった暇な時間やまとまった金もない。

そういう売文家なら誰しもが悩む問題に対する解決策を、彼は天才・モオツァルトの生き方に見てとったのではないでしょうか。

つまり、その人物の評価を決するのは、「いつか金に余裕が出来て、時間が余った時にやろうと思っている、とてつもなく大きな仕事」なのではなく、日常生活の中で、次々にやってくる依頼者の要求に、ただひたすら、文句も言わず、真摯にひとつひとつ取り組んでいった結果なのだ、ということ。

そうして積み上がった成果の中に、まごうことのない、その人の個性がきらめくのではないでしょうか。

そして、それが、モオツァルトおよび小林秀雄の生き方であり、世に名を残した芸術家の生き方なのではないかということです。

『サタデー・イヴニング・ポスト』の表紙を描き続けたノーマン・ロックウェルもその一人でしょう。

私も大好きで、彼の作品のポストカードを買っています。

彼の絵は1960年には10万4000円で取引されていたようです。それが現在では17億8000万円の値が付いたという報道が先日ありました。

ということで、私も今の仕事をがんばろ! と思った次第であります。

そうそう、長野剛さんのイラスト集第二弾が発売になっています。ご興味のある方はこちらからどうぞ。

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