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2007/05/27

(2)「聖剣の謎」の巻ー北欧・ヘイムダルの剣ー

なぜ私がしつっこく神話の出典にこだわったのかというと、それは、実のところ、『「世界の神々」がよくわかる本』の監修を引き受けたときの、苦い経験があったからなのです。

それは、北欧神話に出てくる「ヘイムダル」という神が使う剣の名前に関することでした。

ですが、これがどういう経験だったかを述べる前に、まずは、それがどういう状況からもたらされたのかをお話ししておきましょう。

これは『神々』の監修をしてわかったことなのですが、ある意味、神話学者(というより、ずばり私)以上に、神話に登場する神々やモンスターや剣などの名前に詳しい人たちが、世の中にはたくさんいるのです。

その理由は、ゲームやライトノベル、ファンタジー小説などの中で、神話のモチーフが頻繁に使われていて、それに触れている人にとっては、あまりにも身近になりすぎているからだろうと推測します。

そうそう、こんなことがありました。

ある授業の時に、私は、思想家ハンナ・アーレントの本から、

近代の宗教の基礎に流れている感情は「神は死んだ」という感情だ
(ハンナ・アーレント2003[1994]『精神の生活 上 第一部思考』佐藤和夫訳、岩波書店、p12)

というヘーゲルのことばを紹介したのです 

(ちなみに、「神は死んだ」と最初に宣言したのは、通常はニーチェだと思われていますが、アーレントによれば、ヘーゲルだということです。)

ところが、このヘーゲルの言葉を紹介すると、学生の中には、目をキラキラさせながら、何度も頷いて聞いている人がいるのです。

いったいぜんたい、日本人に理解しがたい、こんなに難しい事柄を、なんでそんなにうれしそうに聞いているのかと思ったら、後からわかったことですが、なんと神の死とは、ラノベ(ライトノベル)に出てくる事柄だった! 

ここでちょっと注意しておくと、ラノベの中に出てくる「神は死んだ」と、ヘーゲルやニーチェの「神は死んだ」は、使用されている言葉は同じでも、その意味内容は全く別のものなんです。

ヘーゲルやニーチェの「神は死んだ」は、キリスト教のみならず人間の生き方の根幹にかかわる、非常に大きな問題です。

つまり、神(=存在の意味を与えるもの)が死んだのであるならば、人間は何のために道徳や規律を守っているのか、わからなくなるわけです。

むしろ、道徳なんか守る必要など、ないではないかという議論が成り立つ。

なぜなら、道徳的にめちゃくちゃであったとしても、裁かれるのは現状の人間界に法によってであって、死後、神によって裁かれることはなくなるわけです。

とすると、現状の法律に触れなければ、何をやってもよいのではないか。

そういう切実な問題が「神の死」という事態によって生じるわけです。

ですから、ヘーゲルやニーチェのいう『神の死』は、私のようなキリスト者でない者にとって、心の底から理解するのが非常に難しい事柄だと思うのです。

だから、ほとんどの学生にとっても、この問題はきっと難しいんだろうなあと思いながら、授業で話すわけです。それなのに、学生はなぜか興味津々の様子。

つまり、学生にとっては、「神の死」や「世界の終わり」は、非常に身近な、ある意味で面白く、心浮き立つ事柄なのです。

学生にとっては、ライトノベルや漫画の中で、「神は死んだ」とか、ラグナロク(世界の終わり)という神話に題材をとったモチーフが頻発するので、とにもかくにも、それと関連づけて、ヘーゲルやニーチェの問題を理解しようとするんです。

そういう学生にとって「神の死」は、人間の生き方、さらにいえば今の自分自身の生き方とは、全く関係を持たない事柄になってしまうわけです。

話を元に戻しますと、『神々』の監修の時に、私が驚いたのは、

そんなふうに漫画やゲーム、ラノベで神話を身近に感じるようになった人たちが多く出てきたということ。

そして、そういう人たちが、インターネット上のホームページやブログで、ものすごーく気合いの入った、神々やモンスターなどの一覧リストを掲載しているということ。

この二つでした。

私も細々とブログを続けているので、よくわかりますが、ひとつの記事を掲載しようとすると、だいたい小一時間から二時間、多いときではそれ以上かかります。

だから、その膨大なリストを作るのに、どれだけの時間がかかることか……。
そう思うと、その熱意に本当に頭が下がるのです。

ところで、神々やモンスターなどが掲載されているホームページの神話リストを見ていると、その情報源の中に、必ずと言ってよいほど、新紀元社から出版されている“Truth in Fantasy シリーズ”の本があるということがわかりました。

新紀元社のこのシリーズ、私自身、存在は知っていたのですが、実際に読んだことはありませんでした。

正直に言いますと、『神々』の監修の際に、執筆陣がこのシリーズを参照していたため、初めてその内容を見たのです。

さて、問題はここからなのですが、『神々』に関連する項目をチェックしている時に、どうもここの記述は事実と違うなあ、と思う箇所にたびたび出会いました。

そして、これは、どの本を参照して、出てきた間違いだろうと思って、執筆陣が参考した文献を確認しました。

すると、だいたいがこの新紀元社のシリーズで、その中には決定的といっていい間違いがあることを知ったのです。

一例を挙げてみましょう。

新紀元社の“Truth in Fantasy シリーズ”の中に、『聖剣伝説』という本があります。その中に、北欧神話に登場するヘイムダルの剣について、以下のように書かれています。

ヘイムダルは、北欧の神々が住むアスガルドの入り口に常に座っている門番である。彼の剣ブルトガングは、彼の鋭い眼力とともに、アスガルドへやってくる巨人や怪物と戦う準備をしていた(佐藤俊之とF.E.A.R1997『聖剣伝説』新紀元社、p34)

そして、この『聖剣伝説』という本の巻末には、参考文献一覧がついています。そのリストの一番最初に、北欧神話の原典の翻訳である『エッダー古代北欧歌謡集ー』(谷口幸男訳、新潮社)が挙がっているのです。

ですから、『聖剣伝説』を読む読者は、執筆者が、原典である『エッダ』を読んで書いているのだろう、と思ってしまう。そして、みんな、ヘイムダルの剣の名前がブルトガングであることを信用してしまうわけです。

ところが、『聖剣伝説』で参照しているはずの『エッダ』の邦訳を実際に見てみると、ヘイムダルの剣の箇所は、次のように書いてあるだけなのです。

ヘイムダルという神がいる。<白いアース>とも呼ばれている。この神は偉大で神聖だ。(中略)彼は神々の見張りで、山の巨人らから橋を守るために天の隅にいるのだ。(中略)ヘイムダルの剣は<頭>と呼ばれている。(「ギュルヴィたぶらかし」27、『エッダー古代北欧歌謡集ー』谷口幸男訳、新潮社、1973、p247)

ということで、『エッダ』の翻訳を見ると、ヘイムダルの剣は、ブルトガングではなく、<頭>と呼ばれていることがわかります。

要するに、ヘイムダルの剣をブルトガングというのは、間違いなんです。

ここまでの話は、実はインターネット上で、かなり盛り上がっている事柄なので、興味のある方は、検索エンジンで「ブルトガング」を入力してみてください。かなりたくさんのホームページが出てきます。

それらを見てみると、ヘイムダルの剣の名前がブルトガングであるという『聖剣伝説』の記述そのままのホームページがかなりあります。

そして、それに対して間違っているという指摘が飛び交っているページもあります。ブルトガングがいったいどこから出てきたのか、かなり詳しく推察しているページもあります。

つまり、間違いが広まっている一方で、その間違いを指摘する行為も、インターネット上で、かなり行われているのでした。

ところで、私が冒頭で述べた『「世界の神々」がよくわかる本』での苦い経験というのは、このブルトガングに関係しています。

つまり、この『聖剣伝説』に依拠した記述、つまりヘイムダルの剣の名前がブルトガングであるという誤りの記述が、『神々』の初版の段階で残ってしまったということなんです。

 『神々』の時は、実質10日間という、とにかく時間のない中での原稿チェックだったので、訂正はしたつもりだったのですが、いろいろなところに思わぬ誤りが残ってしまったというのが正直なところです。

(初版を買って下さった方、本当にごめんなさい。この訂正については、私のブログ内の「著書などの訂正」の箇所に載せてあります。またその後の増刷で、できる限り誤りを直してあります。この失敗を踏まえて、『世界の「神獣・モンスター」がよくわかる本』では、チェックのための時間をできる限り多くもらうようにし、約5ヶ月かけて、がんばってチェックしたつもりです。)

幸いなことに、こんな誤りがあったにもかかわらず、『神々』の初刷はあっという間に売り切れ、二刷のお知らせが来たのです。

そこで、私は、二刷ではできるかぎり正確な記述を反映させようと思い、ヘイムダルの剣について、さらにいろいろと調べることにしました。

その結果、この剣については、少なくとも、二つの解釈があることがわかりました。

<1>(それが何を指すかはわからないけれども)とにかく何かの頭が、ヘイムダルの剣と呼ばれているという解釈。

スノッリのエッダ(散文のエッダ)の翻訳をこの方向で行っているのが、『北欧神話』の著者である菅原邦城さんや英訳者のヤングです。

ちなみに、エッダには二種類あります。
一つは、古代北欧語で書かれているエッダ。
もう一つは、十三世紀にスノッリ・ストゥルルソンが書いた詩学入門書としてのエッダ。

前者は、「古エッダ」、ないしは「韻文のエッダ」と呼ばれ、後者は「スノッリのエッダ」ないしは「散文のエッダ」と呼ばれます。

まず、ヤングの英訳を見てみましょう。この「スノッリのエッダ」に書かれている、ヘイムダルの剣の箇所を、次のように翻訳しています。

頭の名前はヘイムダルの剣である。
=A name for the head is Heimdall's sword. 

(Snorri Sturluson,1992[1954]“The Prose Edda”, translated by Jean I. Young, University of California Press, p54)

 

この文自体、現在の私たちでは、どういうことを述べているのか、よくわからない文だと言えます。

菅原氏の邦訳もこれと同じで、「頭は『ヘイムダッルの刀」と呼ばれている。」となっています(『北欧神話』東京書籍、1984、p227)

何かの頭がヘイムダルの剣と、単に呼ばれているのでしょうか?

それとも、ずばり何かの頭が剣の機能を担っているのでしょうか!? 

少々分かりづらいのです。

ところが、もう一つ、どちらかというとわかりやすい解釈があります。それが、

<2>ヘイムダルの剣が「(人間の)頭」の意味であるというもの。

この解釈の出所は、私が信用している二つの辞書です。そこには以下のように書かれています。

・彼(ヘイムダル)の馬はグッルトップと呼ばれ、彼の剣はホーフンド(頭)と呼ばれている。
=his[=Heimdall's] horse is called Gulltopp and his sword, Hofund(head).

(A. S. Mercatante & J. R. Dow, “The Facts on File Encyclopedia of World mythology and Legend (2nd Edition)”, vol.1, Facts On File, Inc. p412)


・ヘイムダルの剣は、ホーフド(人間の頭)と呼ばれている。
=Heimdall's sword is called Hoefud(man-head).

(Rudolf Simek, “Dictionary of Northern Mythology”, trans. by Angela Hall, D. S. Brewer., p135 ただし、Hoefudは英語の表記に直してある。)

つまり、この二番目の解釈によると、ヘイムダルの剣は、ホーフンド(もしくはホーフド)と呼ばれており、(人間の)頭という意味であることがわかります。

これは、先に挙げた『エッダ』の邦訳とも一致します。

そこで、私は、『「世界の神々」がよくわかる本』の二刷では、こちらの二つの辞書の記述を採用し、ヘイムダルの剣の名前を「ホーフンド(頭)」と記しました。ただし、これはヘイムダルの剣の正式名称ではないようです。

ということで、剣の名前一つとっても、実際、調べるのはたいへんな作業なのです。

 

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