へるめす通信35
—(村人A )まあ、正直に言えば、
宣誓する時には何も考えてませんでしたよ。
そうやって言えばいいかと思って……。
なんてったって、選手宣誓ってカッコイイじゃないですか。
だから、宣誓の内容よりも、
どうやって、カッコよく見せようかと、そればかり……。
いや、えーっっと、それに、あれ、形式的なものでしょ?
—(ジョルジュの孫)そう、宣誓は形式なのよ。
そこで、前にも言ったホッブズの問題に戻るわけ。
前にも言ったけど、ホッブズは次のように言ってるの。
おさらいしとくと、
第一に、宣誓者がいつもやっているやり方以外の
形式や儀礼で行われた宣誓には意味がない。
第二に、宣誓者が神と考えないものによる宣誓は
意味がない。
とすると、裁判や選手宣誓での誓いが意味を持つためには、
その誓い方が習慣的なものであり、
なおかつ当事者にとって神のような存在に対して行う
ということが重要なわけ。
—(村人A)うーん。
……それで、実際、宣誓する選手とか、
裁判員とかに選ばれたら、
われわれ、何に対して誓うんですか?
八百万(やおよろず)の神々ですか?
—(ジョルジュの孫)いんや!
まずは、選手宣誓の場合、
『「スポーツマン・シップ」にのっとって』
と言うわけだから、
スポーツマン・シップなるものが重要でしょう。
それから、ちょっと、思い出してもらいたいんだけど、
例えば、かつて日本中を騒がせた耐震強度偽造問題。
あの時、国会で証人喚問やったよね。
姉歯元設計士さんたち、こう言って、
宣誓書にサインしてました。
「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、
また何事も付け加えないことを誓います。」
—(村人A) つまり、現代の日本人は、
「スポーツマン・シップ」とか「良心」とかに従って
誓いを立ててるんですね。
それって、……?
—(ジョルジュの孫)そう!
裁判の上では、現代の日本人にとっての「神」とは、
それぞれの人間が持つ「良心(conscience)」
ということになるわけ。
スポーツマン・シップはある意味で、その派生型だと思う。
—(村人A)それって、たいへんな問題じゃないですか?
あっしらの良心て、そんなに信頼に足るものでしたっけ?
—(ジョルジュの孫)そうなんだよね。
そこがとっても重要だと思う。
日本の裁判員制度の導入には、
いろいろな問題が想定されてるよね。
例えば、一般人がどうやって忙しい仕事との
折り合いをつけるのかとか、
裁判っていうものをそもそも経験したことのない人が
果たして人を裁けるのか、とかね。
でも、それ以上の問題は、
裁判員が厳正な裁判を行う際の基準が、
個々の「良心」になっているという点だと思う。
もちろん、裁判員制度が始まる前だって、
国会の証人喚問や裁判の証人になったが最後、
「良心」に誓うわけだから、
ことは裁判員制度の問題じゃすまないわけ。
—(村人A)だけど、なんで「良心」が
神に代わって宣誓の時に出てくるようになったんですかね?
というより、良心って、何なんですか?



















