へるめす通信39
—(村人A)
つまり、あっしが仮に裁判員に選ばれたとしたらですよ。
「良心に従って、誠実な判断を下します」って誓う場合、
前提となっているのは
「他の人との共通の感覚」だってことですね?
—(ジョルジュの孫)おおざっぱにいえば、そう。
宣誓っていうのは、(文章のどこにも書いていないけど)
知識を共有する共同体のようなものを、
暗黙の前提にしているということになるのね。
ただし、もちろん、「良心」って言葉は
歴史的な変遷を遂げてるから、
本当はそう単純にはいかないんだけど。
それに、古代ギリシア・ローマ世界の「良心」と、
キリスト教世界の「良心」じゃ、
意味が違ってくるだろうし。
もちろん、近現代の「良心」ってのは、
もっと複雑だと思う。
—(村人A)ははあ、いろいろと、
ややこしいんですね?
—(ジョルジュの孫)そう。それだけで、
一冊じゃすまないくらいの本が書けるくらい。
だけど、ここで重要なのは、
「良心」という言葉の言説史的・思想史的な
変遷じゃないってこと。
そうじゃなくて、現代の私たちが宣誓をする時に
基準としている「良心」っていうのが、実は、
「なんらかの慣習に支えられた共同存在」とか
「共同体」とか「共通感覚」 みたいなものを
暗黙の前提としているということだと思う。
—(村人A)ふーん、なるほどね。
そこで、ちょっとわからないのは、
「共通感覚」っていう言葉だなぁ。。。
—(ジョルジュの孫)
今、私が述べた「共通感覚」について、
一番重要なのは、
……ヴィーコかなぁ?
—(村人A)……またもや、ややこしい名前が
出てきましたね。
誰ですか、それ?
—(ジョルジュの孫)
17世紀から18世紀のイタリアの哲学者よ。
ヴィーコはね、「共通感覚」というのは、
あるグループ全体、ある民族全体、ある国民全体、
あるいは全人類によって共通に感じられている、
なんらの反省を伴わない判断のことである
というようなことを述べてるの。
(以上、ヴィーコ『学問の方法』上村・佐々木訳、岩波文庫、p159
および ハンス=ゲオルク・ガダマー『真理と方法Ⅰ』轡田ほか訳、
法政大学出版局、p29などを参照)
—(村人A)?
ある集団に共通だってのはわかりますが、
「反省を伴わない」ってのは、どういう意味なんです?
—(ジョルジュの孫)つまり、ある判断に対して、
心の中で吟味したり、よく考え直してみるということを
しないで、習慣的に受け入れてしまっているってこと。
「常識」って言葉に置きかえてもいいと思う。
「常識」っていうのは、ある集団に共通していて、
それがいちいち正しいかなんて考えもしないで、
従っているでしょ?
—(村人A)……なるほどね。



















