« へるめす通信39 | トップページ | 「フジヤマ」から「ちびまる子ちゃん」へ »

2007/06/17

へるめす通信40

—(ジョルジュの孫)てな具合で、
 ヴィーコにとっての共通感覚とは、
 哲学者ガダマーによれば、
 次のようなものだと言うの。

正しいことと万人の幸福についての感覚であり、すべての人間のうちに息づいている。(中略)それぞれの生活の共同性によって獲得され[たものである]。
(ハンス=ゲオルク・ガダマー『真理と方法Ⅰ』轡田ほか訳、法政大学出版局、p31、[ ]内筆者補充)

—(村人A)はあ。。。 (-_-)zzz

—(ジョルジュの孫)こらぁ、気合い入れて聞けぃ!

 ところでね、ポイントは、この共通感覚を、
 青年たちに対して、おおいに教育すべきだって、
 ヴィーコが考えていたこと。

 つまり、たとえて言えば、
 共通感覚への志向っていうのは、
 すべての人類の中に種(たね)として
 存在しているけれども、
 種が芽を出すためには教育が必要だってことなの。

 共通感覚は、自然発生的なものじゃないわけ。

—(村人A)ふーん。
 そうすると、現代社会において、
 共通感覚を前提とする「良心」にのっとって
 宣誓をするってことは、ですよ。

 現代社会では、まず共通感覚を育成する教育を
 行っているし、あっしらの社会はこの教育によって、
 みんなが共通した感覚を持っている
 一種の共同体であるってことになりますね?

 これが正しいかどうかじゃなくて、少なくとも、
 裁判員制度はそういう仮定を前提としているってことですよね?

—(ジョルジュの孫)そうなるわね。

 でもね、私自身は、現代社会では、
 共通感覚を共にしている共同体、あるいは「共同存在」は、
 崩壊寸前だと思う。

 それに、教育によって、それを補うのは、
 なかなかたいへんじゃないかなあ?

 だから、裁判員制度を成り立たせる基盤が
 成立しなくなっているんじゃないかって気がするけど。

—(村人A)だけど、現代はグローバル社会だから、
 いろんなメディアを通じて、
 日本の中の大小の共同体を超えた
 世界共通の感覚みたいなものが、
 育成されつつあるんじゃないですかね?

—(ジョルジュの孫)確かに、その側面もあると思う。

 だけど、「良心に誓って、誠実な判決を下します」
 っていう場合、
 その「良心」が暗黙のうちに前提にしているのは、
 グローバル社会なのかな?

 もっと小規模の集団が共有する感覚なんじゃ
 ないだろうか?

 そういう問題がやっぱりまだ残っていると思うけど……。

« へるめす通信39 | トップページ | 「フジヤマ」から「ちびまる子ちゃん」へ »

「へるめす通信」カテゴリの記事

Amazon

無料ブログはココログ