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2007/06/10

やはり、今回も良かった!

昨日のことなのですが、「ザムザ阿佐ヶ谷」へ、
寺山修司の『青ひげ公の城』の舞台を見に行ってきました。

Aohige



演じているのは、劇団☆A・P・B-Tokyo

昨年、この劇団が、同じく阿佐ヶ谷で、
寺山修司の『田園に死す』を上演し、
あまりに良い舞台だったので、
次の公演も逃さず見ようと
思っていたからです。


行ってみると、前回の舞台を見た方々は
みな私と同じ感想だったのか、
もう超満員の観客でした。

私はなんとか座れましたが、中には立っている人も。

このぎっしり感は、唐十郎のテント劇場に行ったとき以来です。

そして、舞台の方は、……。

正直言って、途中まで、
これは何をテーマにした話なのか、
よくわからないなあと思いながら見ていたのですが、
最後まで見ると、なるほど!

いや、なるほどなんてものじゃなく、
感動しました!!

こんな難解なテーマの戯曲を
人に感動を与えるまでに仕上げてくるとは!

これは、寺山の戯曲の良さはもちろんのこと、
演じている役者さん達の熱意や演出のうまさにも
よるのだろうと思います。

とにかく、全体として、
とても真剣かつ真摯なものを感じました。
途中から、座席の窮屈さが
ぜんぜん気にならなくなるのです。

ところで、
戯曲のテーマは、(私が思うに)
ずばり現実と虚構。
あるいは、現実の演劇性といったところでしょうか。

別の言い方をすると、
エスノメソドロジー的な問題を、
戯曲で表現しているということです。

すごいなあ、寺山修司。
天才だとつくづく思ってしまいます。

そういえば、
私に寺山修司の戯曲を紹介してくださった
山口昌男先生と、以前に、
寺山の天才について話したことがあったのです。

その時、あの山口先生が、
「寺山の作品があれば、僕の本なんかいらないね」
とおっしゃっていたので、びっくり。

その時は、
「いえ、先生と寺山修司では役割が違いますから」
と答えた記憶があります。

それは今でもそう思っていて、
学者と芸術家では同じことを表現するにしても、
表現方法が違うし、社会の中での役割も違うと思うのです。

けれども、その一方で、
山口先生のおっしゃることも
よくわかる気がするのです。

学者は理詰めで、時として難解な言葉で
表現せざるを得ない部分がありますが、
芸術家はアレゴリカルな表現が可能です。

だから、どんな人もその世界に
すうっと入り込むことができ、
なおかつ人間の感情を
激しくゆさぶるという点では、
学問は芸術には勝てないのかなと
思ったりもするのです。

ということで、『青ひげ公の城』、
今日が最後の公演です。

もしかすると、立ち見の可能性もありますが、
ご興味のある方はお見逃しなく!
オススメです。

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