« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007年8月の1件の記事

2007/08/18

ルクレティア伝説

「いったいぜんたい、なんでこんなに燃えてるの?」と聞きたいくらいに、昨日まで、とてつもなく暑かったですね。(関係ありませんが、最近、夜な夜な『てなもんや三度笠』を見てまして、財津一郎氏の「ヒジョーにキビシーッ!」がマイ・ブーム。)この「ヒジョーにキビシーッ」暑さのため、冷房のかかった室内にいても、ぼおーっとしてしまう今日このごろ。

Rimg0005 あまりの暑さに、日中、仕事がはかどらないので、いっそのこと、どこかに出かけようと思い立ち、やってきたのが国立西洋美術館。

いえ、ホントのことを言うと、そのお隣の国立科学博物館でやっている「インカ・マヤ・アステカ展」を見に行こうと思ったんです。

ところが、思いおこせば、今は夏休みのまっただ中。上野駅を出れば、お子様づれの御家族が手に手をとって、私と同じ方向にテクテクと歩いていくのです。嫌な予感と熱風に、汗がたら〜り。

そう、着いてみれば、国立科学博物館は、「20分待ち」の立て看が立っていました。なんてったって、「インカ・マヤ・アステカ展」は太っ腹! 中学生以下は無料!! 混むはずです。。。。。

そこで、「インカ・マヤ・アステカ展」は今回は断念し、お隣の国立西洋美術館に急遽、目的地を変えました。

8月26日まで、国立西洋美術館では、「パルマ イタリア美術、もう一つの都」と「祈りの中世 ロマネスク美術写真展」の二つの展覧会を開催しています。

Parma
パルマといえば、サッカーの中田英寿選手が一時期、この街のチームに所属していたことで有名になりましたが、チーズ(パルミジャーノ・レッジャーノ)と生ハム(プロシュート)の産地としてもお馴染みです。

今回は、比較的渋い(?)企画なのか、館内は落ち着いた雰囲気。人の流れもスムーズでした。




Lucretia とくに印象に残ったのが、パルミジャニーノの描いた『ルクレティア』。(チラシより転載)

ちょっと画像があらいのですが、右の乳房を出し、右手で持った短剣で胸を突き刺している女性が、ルクレティアです。顔と胸の赤みが印象的です。 

ところで、このルクレティア、古代ローマが王政から共和政へと移行する発端となった人物です。

このあたりのエピソードは、例えば、古代ローマの歴史家リウィウス(B.C.57-A.D.17)の書いた『ローマ建国史』や、古代ローマの詩人オウィディウス(B.C.43-A.D.18)の『祭暦』にも登場します。

さらには、かのシェイクスピアが、戯曲ではなくて詩、そのものズバリの「ルークリース凌辱」という詩を書いたりもしているんですね。ルークリースとは、ルクレティアのこと。文学や絵画では非常に有名なモチーフだったようです。

ところで、なぜ彼女が自分の胸を短剣で突いているのかというと、シェイクスピアの詩のタイトル「ルークリース凌辱」からも察せられるように、ルクレティアは、凌辱(つまりレイプ)されてしまい、それを恥じたからなのです。

『ローマ建国史(上)(鈴木一州 訳 岩波文庫)に書かれているエピソードを、かいつまんで述べてみましょう。

まずルクレティアなる女性は、タルクィニウス・コッラティヌスという人物の妻でした。美しさのみならず、その筋金入りの貞節さは、夫が自慢のタネにするほど。

ところが、ローマ王の息子セクストゥス・タルクィニウスが、彼女の美貌と貞節さに恋心を抱き、剣を手に、力づくで自分のものにしようとしたのです。

最初、彼女は殺されてもかまわないという、キッパリした態度で、頑としてセクストゥスを拒みます。せつせつと恋心を伝えても効果がなく、剣をつきつけて死の恐怖をあおってもなびかない。

これではいつまでたっても思いは遂げられないと悟ったセクストゥスは、今度は彼女に、「死後の恥辱を与えるぞ!」と脅迫します。

「お前を殺し、裸にする。そして、その隣に、裸の奴隷の死体を置く」というのです。つまり、セクストゥスは、彼女に、奴隷との姦通のさなかに殺されたという汚名を着せるぞと、脅したわけですね。

これには、さすがのルクレティアも承伏せざるを得なかったのか、とうとうセクストゥスは彼女を攻略するわけです。

で、満足した(?)セクストゥスが立ち去った後、彼女は沈みこみながらも、夫と父親と彼らの友人1人ずつ、合計4人を呼び寄せて、コトの次第を告白します。そして、必ずセクストゥスを罰するという約束をさせた後で、自害したのでした。

この自害のくだりを、シェイクスピアはこう記しています。

彼女はその邪心のない胸に
それを害する短剣を突き入れ、魂をそこから解き放つ。
一撃、魂はそれまで息づいていた
けがれた牢獄の深い苦悶(くもん)から解放される。
悔恨のため息が空の雲へと
 霊魂を飛び立たせ、
      傷口から
 永遠(とわ)の命が宿命を逃れて飛び去る。
(柴田稔彦編『対訳シェイクスピア詩集 イギリス詩人選(1)』岩波文庫、p235)

で、今回見たパルミジャニーノの絵は、この場面を描いているのです。ちなみに、絵画では、彼女の顔が赤く染まっていますが、これはオウィディウスの『祭暦』にそう書かれているからで、告白の際、彼女は涙を落とし、ほほに赤みが広がったといいます。

この後、ルクレティアの夫タルクィニウスの友人であるブルトゥスが中心となって、王、さらには王の2人の息子を、ローマから追放しました。そして2人の息子のうちの一人、ルクレティアを凌辱したセクストゥスは、亡命の途中で、恨みを持っていた人々に殺されてしまうのです。

というのは、セクストゥスの悪事は、ルクレティア凌辱だけではなく、どうも常日頃から殺人や財産強奪といった行為を平然としていたようなのです。ですから、そういうさまざまな事柄が積もり積もって、その報いを受けたということになるのでしょう。

王が追放されたローマでは2人の執政委員が選出され、次第に共和政への道をあゆみ始めます。この時の執政委員は、ルクレティアの夫タルクィニウス・コッラティヌスと、その友人ブルトゥスでした。

ブルトゥスは、ルクレティアの告白の場に居合わせ、彼女の死体から短剣を抜き取った人物です。時は、紀元前509年のことでした。(ただし、平凡社の百科事典の解説によれば、ルクレティアの伝説は史実と認められないとのことです。)

ちなみに、比較神話学者のジョルジュ・デュメジルによれば、共和制時代のローマに、レギフギウム(王の逃亡)という謎の儀式があったとのこと。この儀式、名前の通り、ルクレティア凌辱伝説に由来するローマ王一家の追放を記念していたようです。(ジョルジュ・デュメジル『ローマの祭 夏と秋』大橋寿美子訳、法政大学出版局、p156-157)

ところで、近年、私は期間限定の特別展以上に、その美術館の所蔵品の展示(いわゆる常設展)の面白さにやっと気づき始めました。今回も、パルマ展・ロマネスク美術展の後に行った常設展で、ゴッホの迫力やピカソの洗練、ゴーギャンの味わい、ロダンの格調に出会い、なかなかの体験をしました。

とくにロダンの「考える人」は、かつて、山口昌男先生とご一緒した「ロダンとカリエール」展でも見ているのですが、何度見ても興味深い。現物を見る前に想像していたのよりも、サイズがはるかに小さいにもかかわらず、非常に鮮鋭なのです。

それから、思わず笑いたくなったのは、ロダンの「鼻のつぶれた男」の彫像。

この彫像は鑑賞する人の顔の位置と同じくらいの高さにしつらえてあり、鼻のつぶれ具合をつぶさに鑑賞することができます。それが裏目に出て、どうも、みんな、このつぶれた鼻を触ってみたくなるらしく、鼻の一部がこすれていました。そして、その彫像の下には、「お手を触れないでください」の注意書きが……。ぱっと見た限り、他の彫像には、この注意書き、いちいちついてなかったみたいなんですけど?

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

Amazon

無料ブログはココログ