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2008年9月の4件の記事

2008/09/28

西郷信綱先生の思い出

国文学者の西郷信綱(さいごう のぶつな)先生が25日にお亡くなりになりました。

私はここ数日、都留文科大学の学生と一緒に合宿をしていて全くニュースを見ずに昨日帰ってきましたので、不覚にも今日になるまで亡くなられたというニュースを知りませんでした。

本当は、合宿その他のことをブログに書こうと思っていたのですが、やはり今日は西郷先生の思い出を記しておきたいと思います。長くなりますが、ご興味がありましたら、お読み下さい。

私は、たった一度だけ、当時89歳の西郷先生に直接お会いしたことがあります。

当ブログのプロフィールのところにも書いてありますが、そのきっかけをつくってくださったのは、文化人類学者の山口昌男先生です。

山口先生は私の『クソマルの神話学』を読んで下さり、「あなたは西郷信綱を彷彿とさせる。西郷さんにひきあわせるから」となんとも恐れ多いことをおっしゃってくださって、忘れもしない、2004年2月上旬の寒い頃に、歴史学者の大隅和雄先生と山口先生と私の3人で、西郷先生のご自宅にお伺いしたのでした。

山口先生は、西郷先生のご自宅に伺う前に、「『クソマル』を西郷さんの自宅に送っといて」と軽くおっしゃったのですが、私は西郷先生と全く面識がありませんでしたし、西郷先生といえば大西郷(だいさいごう)と呼ばれた大学者、殿上人のような存在でしたので、その西郷先生になんといってお手紙を書いたものやら、とにかくたいへん悩んだことを思い出します。

しかも、私は、この本の中で、西郷・山口両先生のことを批判しておりまして、自分が批判するお2人に加えて、大隅先生という、巨匠3人に挟まれて、西郷邸のソファーに座っているということがなんとも信じられないという思いでした。

このエピソードを話すと、よく聞かれるのが、「西郷信綱ってどんな人?」ということ。それほど、最近の西郷先生は人前にあまり出ずに研究と執筆をなさっておられたのでした。(そう言えば、その時、西郷先生は、集英社新書で刊行された『日本の古代語を探る』の原稿を書き上げられたばかりで、生の手書き原稿も拝見しました。)

で、肝心の私の西郷信綱先生のイメージですが、「一言で言えば、西郷先生はとてつもなく、かっこいい!」というもの。とても89歳に見えない、精悍(せいかん)な筋肉質の肉体と、深い思索の跡がうかがえるお顔をしていらっしゃったのです。

驚いたことに、西郷先生は、横浜市立大学を55歳で退職後、ご自宅近くで30年以上もの間、自ら畑を作り、ほとんど自給自足のような生活を続けてこられたと言います。

これに関して、面白いエピソードがありまして、先生が近くの荒れ地を開墾して畑にしていたら、近所の人から、「先生、そこには何の遺跡があるのですか? 土偶か何か出るのですか?」と尋ねられたとか。確かに、西郷先生が土をいじっていたら、そう見られてもおかしくありません。

そして先生は、「遺跡じゃないよ、これからここで畑をつくるんだよ。みんな、手伝ってー!!」と返したとか。これには一同、大爆笑でした。ちなみに、私に向かって、「健康で長生きする秘訣は畑を耕し、野菜を食べること。野菜を食べなさい」とおっしゃっておられたことも、教訓の一つとして私の中にしまってあります。

さて、西郷邸に伺ってから後、私は拙著『猫はなぜ絞首台に登ったか』(光文社新書)を書き上げ、西郷先生にお送りしたところ、先生から恐れ多くも感想のハガキと電話をいただきました。

また電話では「ロンドンやパリもいいけれど、日本の○○○(カタカナ3文字)をやりなさい。僕がやろうとして、いろいろ勉強したけれども、結局手をつけなかったテーマだ」とおっしゃっていただきました。

○○○とは、その言葉を聞いたとたん、「あまりのテーマの深さに、目がくらみます。」とお答えしたほどの、それこそ一生をかけて取り組むべき遠大なテーマでした。○○○については、実は、注意を払ってはいるのですが、いまだに手がつけられていないのです。

Saigosign_5 そして、今考えれば、これが先生との最後の交流だったのですが、ちくま学芸文庫から『梁塵秘抄』を出版された時、ご本を送っていただきました。

(新聞紙上に西郷先生の写真が掲載されていますが、私がお会いした西郷先生に一番近い写真はこの本のものです。)

その後、西郷先生はお体の具合を悪くされ、今年のお正月に、山口先生と大隅先生に混ざって、私も西郷先生のご自宅に伺う予定が延期されて、26日の訃報に接することになりました。

今後、西郷先生級の学者は誕生するでしょうか。若い世代の学者の中から西郷先生のお仕事を超える者は果たして出てくるでしょうか。はなはだ心許ない状況ではありますが、なんとか頑張っていかなければと思っています。

西郷信綱先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

2008/09/13

ちょっと芸術のハナシ 藤沢昌子先生

二、三日前、新潮社出版部の今田京二郎さんと打ち合わせをしていた時のこと、今田さんが芸術関連、とくに書道にたいへん詳しいので、すっかり自分の大学時代を思い出してしまいました。

実は、私、大学4年間、かな書道部だったのです。

書道部ではなくて、かな文字を中心とする「かな書道部」というところがミソ。部の先生は、藤沢昌子(ふじさわ しょうこ)先生とおっしゃって、NHK連続テレビ小説の「はね駒」とか「凛々と」などの題字を担当なさっていた、有名な先生でした。

先生は「はね駒」の撮影の見学に行かれたとかで、出演者の樹木希林さんのセリフ回しが圧倒的にうまいとか、小林稔侍さんはとても人なつっこい方だとか、エピソードをいろいろとお話ししてくださったこともあります。

どうしてこんな方が、学生の部活動で教えてくださっていたのか、今考えても不思議な感じがします。先生の2003年のインタビュー記事がありますが、本当に、女性が憧れる、めちゃくちゃかっこいい先生でした。

そういえば、藤沢先生、ご本もいくつか出されています。ご興味のある方はこちら からどうぞ。

我々は無謀にも、学生時代に神保町の画廊・共栄堂を借りて、展覧会をしたこともありました。共栄堂といえば、カレーでたいへん有名なところなのですが、当時の私は、画廊の下にカレー屋さんがあるとしか思いませんでした。ちなみに、私は共栄堂ではカレーしか食べたことがないのですが、焼きりんごもおいしいという情報を得ています。

さて、話は画廊つながりで、ちょっと飛びますと、私の都留文科大学での教え子である齋藤佳緒里(さいとう かおり)さんから、展示会の案内をいただきました。開催場所は、代官山のUPSTAIRS GALLERYです。みんな、社会に出ようと頑張っているのだな、と、少ししみじみしてしまいました。

2008/09/10

雑誌の未来……?

先日、ある舞踏公演を見に行った時、偶然にもK社(出版社)の校閲部の方とお知り合いになったのですが、今の出版事情を裏付けるようなことを伺って、やっぱりと思ったことがあります。

その方は、以前、週刊誌を発行する部署にいたということなのですが、廃刊になり、校閲部にまわったとのこと。

そういえば、最近、雑誌の廃刊、ないしは休刊のニュースばかり。この前は、『論座』休刊のお知らせ、昨日は、小学館の男性ライフスタイル誌『ラピタ』と、保育雑誌『Latta』の休刊のニュースが流れていましたが、そのK社の方いわく、特に男性誌の売り上げの凋落が激しいらしいのです。

保育系雑誌の凋落原因は少子化でしょ、で済むかもしれないのですが、男性誌も売れない。それだけでなく、女性誌もかなり落ち込んでいて、病院や美容院によくおかれていた『女性○○』とか、かつて女子大生のバイブルと言われた『○○』も売れていないとか。

いったい、みんな、何を読んでるんじゃー??

けれども、翻って自分のことを考えてみると、確かに、単なる情報だけを得ようとするなら、雑誌や本ではなく、インターネットが便利なので、雑誌を以前ほど見ていないのです。

例えば、「今日のお昼御飯、何にしようかな? 冷蔵庫には卵と挽肉とトマトが残っているのだけど、その3つを使って何かおいしいものができないかな?」という時。

これまでだったら料理本や料理雑誌をひっぱりだすのですが、ここ数年この材料を3つともGoogleに入力して、最後に「レシピ」という単語を加えて検索するということをしています。そうすると、検索結果が大量に出てきて、簡単に自分の好きなレシピが選べます。

ところが、雑誌の場合、巻末の材料索引を見て、いちいち頁を繰って、当該箇所を見て、「あっ、このレシピはこの材料が欠けているから作れない。もう一度別の本を見なくっちゃ」なんていうことが、ままあるわけです。

この前、オタクの中のオタクとも言える三田平凡寺(みた へいぼんじ)を調べようとしたら、『日本近代文学大事典』に載っていなかったのにウィキペディア には載っている、他のHPには写真まで載っているという事態に遭遇しました。


この時点でインターネットの勝ち(となっても、仕方ないかもしれません。。。)

インターネットのコマ切れの情報はとても便利。誰かに聞きたいことがあれば、ネットに書き込みをすれば、誰かが、真剣か茶化しかは抜きにしても、何らかの形で答えてくれますし。

とすると、確かに、雑誌は、データ量と伝達の速さ、検索システムの便利さという点で、インターネットに負けてしまうということになります。

これは、活字に携わる人間全てにとって、ゆゆしき事態だと思います。今後、この事態がどんなふうに変貌を遂げていくのでしょうか。

2008/09/09

何が可笑しいかって

昔々、学生の時に聞いた講義の中で、他の事柄はすっかり忘れてしまったが、どうしてもこれだけは忘れられない!というものが誰にでも一つはあると思います。私の場合、それは、地口(じぐち)。

地口というのは、よく知っていることわざを、音の似ている言葉で置きかえて、全く別の面白い表現にしてしまうというものです。

例えば、『大辞泉』に載っていることわざと地口の例としては、

ことわざ「猫に小判」
 →地口「下戸(げこ)に御飯」(なるほど(゚ー゚))

ちなみに、私が受けた講義の中で、担当の先生が「地口を即興で一つ書けという試験問題を出して、あまりにもその地口の出来が素晴らしかったので、他の問題の出来が良くなかったけれども、満点を出してしまった」とおっしゃっていた、最強の地口は次の通り。

ことわざ「住めば都」
 →地口「産めば親子」( ̄▽ ̄)

とすると、もしや試験に地口が出るのでは?と思った私、しばらくの間、ひたすらにことわざを見ては地口を一つひねり出すという訓練をしてました。今覚えている私の過去の作品はこれ!

ことわざ「善は急げ」
 →地口「膳は急げ」(お粗末様でした

この瞬間、私は井上ひさし大先生にはなれないと悟ったのでした。。。

ちなみに、ワタクシの弛まぬ努力の甲斐なく、結局のところ、地口は試験に出ませんでした。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 

ところで、地口ではないのですが、最近ぶはっと笑った駄洒落的商品を2つ御紹介します。一つはナイス蚊っち、もう一つはカマンビール。

この2つ、どうも私の笑いのツボを特大のお灸で刺激したらしく、今見てもくすくす笑ってしまうほどなのですが、みなさんは、いかがですか?

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