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2009/03/03

自己実現のための勉強法(8)―「自分自身のテーマあるいは視野の広げ方」編(3) 西郷信綱の場合

自己実現のための勉強法の8回め。今回は、「自分自身のテーマあるいは視野の広げ方」の3回めです。

前回、最低でも一カ国語、できれば複数の外国語を取得することが、リソースフルな人間になる近道であるということを書きました。

森鷗外は、外国語を習得し、 東洋と西洋の文化を一本ずつの足で立っている人物のことを、「二本足」で立つ人物と評したわけですが、この二本足の人物は、リソースフル人間になるだけでなく、視野狭窄を免れたバランス感覚に満ちた人間であるということになります。

さて、こういうふうに述べてくると、「ああ、あの人も二本足だ」、「この人も二本足だ」と、思い浮かぶ人物はたくさんいるのですが、とくに私が二本足の学者だと思うのは、実は、平成20年9月にお亡くなりになった古典学者の西郷信綱先生なのです。

私が西郷先生のご自宅に伺った時のこと。西郷先生は、次の仕事として、以前から気になっていた平家物語に取り組もうとしているのだと話されました。これは著書としてはまとまらずに、結局お亡くなりになられたのですが、かなり強い情熱を傾けていらしたようです。

で、西郷先生は、『平家物語』の話になった時、私に、外国人研究者が書いた一冊の英書を示し、「平家の研究をするには、この本を読まなければならないんだけれども、日本の平家研究家は、ある人を除いて、ほとんどといっていいほど、この本を無視している。これは必読文献だ」と言われました。

それを伺った時、私はまさに、鷗外の言う二本足の学者を目の当たりにしているという感覚を持ちました。

ところで、その時、私は西郷先生と初対面だったのですが、実は以前から西郷先生の著作を読んでいました。そして私は、先生が日本文学者には珍しく、洋書を読まれていることを知ってはいたのです。

たとえば、昔、西郷先生の著書を読んでいた時のことですが、先生がフッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』メルロ・ポンティの『知覚の現象学』を、邦訳が出るかなり前に英訳で読まれているのを知って、口幅ったいことを言うようですが、たいへん驚き、たいへん感心したことを覚えています。

というのも、私の知る限り、日本文学者で、現象学を取り入れようとする学者はたいへん少なく、しかも、それを外国の日本文学者の論文や現象学の解説書からでなく、直接フッサールやメルロ・ポンティを読んで吸収しようという学者はごくわずかだったからです。

そして、平家物語の研究に関する洋書を示された時、私は、一瞬にして、西郷先生が現象学といった研究上の方法論のみならず、平家物語に関する洋書の研究書(それは驚くことに、ご自分の専門ではない!)を読み、なおかつ、ドッズの『ギリシァ人と非理性』といった古代ギリシア関係の本も英書で読み、文学批評の最新理論の書籍も英書で読み、……といった状況に思い至って目が眩み、なんというか、西郷先生の底の深さを痛感したという次第なのです。

ちなみに、話はすこし飛びますが、山口昌男先生という方は、人物の「一言批評」に長けているのですが、その山口先生が唯一、「柔軟だ」と批評したのが西郷先生。

鷗外が一本足の人物は「偏頗(へんぱ)」であり、二本足の人物は、調和的、つまりバランス感覚に優れていると言ったことを連想させて、たいへん面白く、的確な人物評だと思います。

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