« 展覧会 Cosmic Fusion のお知らせ | トップページ | 自己実現のための勉強法(12)―「自分自身のテーマあるいは視野の広げ方」編(7) »

2009/05/10

自己実現のための勉強法(11)―「自分自身のテーマあるいは視野の広げ方」編(6)

自己実現のための勉強法の11回め。今回は、「自分自身のテーマあるいは視野の広げ方」の6回めです。

前回は、自分の専門と異なるジャンルに触れ、自分の中の井戸をたくさん持つ事例として、山口昌男先生を取り上げ、とくにその本の買い方について、量の側面からお話ししました。

自分の中の井戸に水を満たすためには、せっせと情報収集に努めなければならないわけですが、そうすると、持っている井戸の数に応じて、読まなければならない書籍の数も増えていくことになるわけです。つまり、その人が持っている書籍の数は、ある意味で、自分の井戸の数のバロメータにもなるわけです。

ですから、山口先生が買って持っている書籍の多さというのは、先生の井戸の多さを示しているといえるわけです。

さて、今回のトピックは、山口先生が買っている本の質の面(つまり、先生の井戸はどういう性質を持っているのか)についてです。

私が一番驚いたのは、山口先生は一度「この人の書くものは面白い!」と思ったら、その人の書いたものをとにかく収集しまくる、ということです。

けれども、これだけだと、私が何に驚いたか、ピンとこないと思いますので、あるエピソードを御紹介しましょう。

ある時、私が山口邸を訪れていたときのこと。先生がこの前、東京堂から買ってきたという新刊書が、居間のテーブルの上に積み上がっておりました。先生と雑談しながら、私は新刊書を一冊ずつ手にとって見ていたのです。

すると、ちょうど私にコーヒーを出してくださっていた奥様が、私の手元を見て、「あら?」と言うではありませんか。

不思議に思って、自分が持っている本のタイトルをじっくり眺めてみると、それは次の本だったのです。

鷲田小彌太・広瀬誠『論文レポートはどう書くか―テーマの決め方から文章上手になるコツまで』日本実業出版社

奥様はそれを見て、
「お父さん(=山口先生のこと)、なんで論文の書き方なんか、買ってるの? もう一度、論文の書き方を勉強するの?」
とおっしゃるのです。

「ええーっ!! 必要ないでしょう、先生!」と心の中で叫んだ私。奥様の言葉を聞いて心底驚いたのですが、先生がおっしゃった言葉を聞いて、二度びっくり。

「いや、彼(=鷲田小彌太氏)の本を集めてるんだ」。

要するに、ある人の仕事が面白いと思うならば、子供向けに書かれていようと、学生向けに書かれていようと、共著であろうと、本の性格を問わず、その人の書いたものを全て集める。おそらく、それは、書籍の形になっているものだけでなくて、大学紀要に書かれた論文も、別の人が書いた文庫本の後ろについている短い解説であっても、別の人の単行本の帯についている短い推薦文でさえも、その人が書いたものであるなら、問答無用で収集するということなのでしょう。

75歳を過ぎ、100冊以上もの本を世に送り出している山口昌男先生が、論文の書き方の本を買っているのを見て、私は、この情報収集力は本当にすごいと感服したのでした。

そして、私は、おそらく山口先生は、ご自分の著作に必要なデータもこの持続的な収集力によっているのだということに思い至り、なんというか、「先生の仕事は信じられる」というような感慨を持ったのです。

なぜなら、ここまで徹底して情報収集をした後で、情報を取捨選択して、本当に必要な情報だけを自分の著書に投入しているわけで、調査不十分のまま、ありあわせの情報だけで本を書いているのではないということになるからです。

インターネットが発達し、コピー&ペーストでレポートができてしまうこの時代、山口先生の情報収集の仕方は古いのかもしれません。ですが、こだわりの著者を持ち、その仕事を追っていくという地道な作業は、その著者を通じて自分の知らなかった世界を知るという点においても、必要なことなのだと思います。

*本文とは関係ありませんが、私自身、これまで大学で教えてきて、学生のコピー&ペーストによるレポートで随分がっかりしてきました。当初は、このレポートはなかなか面白い、あの学生は優秀だと思っていても、ネットで調べてみると、あるホームページの写しだったということが多々あったのです。

レポートがコピー&ペーストによって書かれていると気づいた年は、提出されたウン百枚のレポート全てに対して、ネット上で検索を行い、コピー&ペーストによって書かれたレポートかどうかの判定を行ったこともありました。

その作業で疲れ果てた私は、その後、不本意ながらレポートはすっかり止め、代わりにテストを行うようになりました。学生の素の実力を知るには、それしかないと考えての措置なのですが、非常に残念な事態です。

何十枚ものレポートでなくても、ほんの少しの文章(たとえば、誰の本が面白いとか、誰の何の曲がよいというような感想程度のもの)を書くのでも、インターネット上の誰かの見解を参考にしなければ書けない学生もいます。そうすると、これは知の形成という点で、これからますます大きな問題となっていくと思います。

さて話を元に戻しますが、山口先生流の知の収集方法は、『遊星群』でその蒐書家(しゅうしょか)としての力量を窺い知ることのできる、書誌学の権威・谷沢永一氏によっても推奨されています。引用してみましょう。

(前略)自分のひいきの作者、ライターを持つことである。どの領域でも良いし、誰でも良い—松本清張でも、吉行淳之介でも、長谷川慶太郎でもいいが、その人物の全著作を、別に読まなくても良い、集めることで、自分の手許にひいき力士を抱えているような、一つの知的な、余裕のある楽しみを持つことが必要であると思う。

男のいちばんの道楽は、横綱に肩入れすることだといわれる。有望な力士を幕下のころから後援する。そしてその力士が横綱になったときに、たとえば「おい、今晩はこの座敷に北の湖を呼ぼうではないか」そこで北の湖が本当にやってくれば、男としてこれほど豪華な遊びはなかろう。東京一の名妓を呼ぶなどの比ではない。つまりそこにタニマチの醍醐味がある。

とするならば、われわれは自分のささやかな家に一人のひいき作者の書物の一群を蓄えることによって、私はこれをひいきにしているのだという余裕、あるいはゆるやかな気持の楽しみをもつことができるはずである。(谷沢永一『論より証拠 谷沢永一の読書術』潮出版社:p27-28)

もし、世に出たばかりの著者に目をつけ、その著者が徐々に有名になっていったとしたなら、自分の眼力が正しかったことになります。そういう醍醐味もあると、谷沢氏は述べているわけです。

« 展覧会 Cosmic Fusion のお知らせ | トップページ | 自己実現のための勉強法(12)―「自分自身のテーマあるいは視野の広げ方」編(7) »

私の勉強法・道具箱」カテゴリの記事

Amazon

無料ブログはココログ