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2009/05/18

『國文學』休刊と教養の喪失について

ブログのアクセス解析を見ていると、このブログも様々なキーワードで検索されている事が解ります。その中でも時折、なんでこんなキーワードでウチに来るのかと首をかしげてしまう言葉に、「ブラジャー・フェチ」や「ハイヒール・フェチ」があります。

不思議に思って、過去に書いた記事を見てみたら、神話学の手帖(へるめす通信)のコーナーで、以前にフェティシズムについて書いたことがあったからでした。

でもきっとやってきた人は、全く違うものを目指して、このブログに辿り着いたんだと思うと。。。

期待したものでなくて、m(. ̄  ̄.)mス・スイマセーン

それから、「あーた、どうみても、レポートのための検索ね!」とついつい断言してしまうような検索ワードもあります。

ところで、当ブログにやってきた5月17日のキーワード一覧を見ていたら、「国文学 休刊」というものがありました。

なぬっ

と思って調べてみると、なんとあの日本文学研究を志した者ならば、一度は手に取った事があるはずの、學燈社の『國文學』が休刊になるというニュースが流れていたのです。

しかも、『國文學』だけでなく、受験の時にお世話になった人もいるはずの『學燈』も休刊とのこと。

そう言えば、この3月に『英語青年』も休刊になったばかり。

ですから、正直に言って、「うーん、そうか、やっぱり」という感じです。

そうそう、数ヶ月前に東京堂書店と紀伊國屋書店に行った時に気づいたのですが、日本文学の研究書の棚が、かなり縮小されていました。

とくに東京堂では、古代から近世までの研究書のコーナーが書棚一つになっていたので、もしかして、「日本文学は人気がないのか」とその時、痛感したのでした。

ところで、この休刊の背景を考えてみると、現代の若者が伝統的な教養を重視しなくなってきた文化状況が反映されているのかもしれない、と思ったりもするのです。

というのは、私の非常勤先の教え子で、ここ数年、日本文学(しかも古典研究)に進んだ学部学生が数人いるのですが、彼らや彼女らが読んでいる主な作品が、ライトノベル系列の本だという事を知って衝撃を受けたことがあったからです。

彼らは、古典とはいわないまでも、漱石・鷗外・芥川といった著名な作家が書いた文学作品や、それ以前の時代の書物を読む必要を感じていないようなのです。

そう言えば、以前、民俗学の研究職を志望していた学生がいたのですが、その理由を聞いたところ、ライトノベルやアニメの「もののけ」に興味を持ったからというものでした。

そして、学生が日本の文学作品の、中でも特に古典的な地位にあるものを軽視する状況は、海外の文学作品でも同じです。

たとえば、トルストイやドストエフスキーといった、一昔前なら、「やっぱり読んでおかないと恥ずかしいよね」と感じたであろう作品を気にも留めていないし、その事について、まずいとも思っていないようです。

昔、よく言われていたのは、日本の知識人の欧米崇拝。つまり、欧米の知識を重視する傾向が批判されていたわけですが、今は欧米の知識でさえ、吸収しなくちゃならないというような切迫感がなくなってしまっているのです。

ところで、アラン・ブルームが『アメリカン・マインドの終焉』(みすず書房)でアメリカの伝統的な教養の喪失と相対主義の問題等を論じたのは、1987年のことでした。その中から私が感じた問題と関連のある節を2つほど引用してみます。

いずれにせよ、また原因が何であるにしても、いまの学生は読書の習慣と趣味を失っている。彼らは本の読み方も知らなければ、読書から精神の悦楽や向上を期待することもない。文化を気取ることがなく、高級文化(ハイカルチャー)に対する形だけの偽善的な脱帽など拒絶する点で、彼らは「自己に誠実」であり、一世代前の大学生と対照をなしている(p57、下線部筆者。)

大学教授がこれは絶対に確実だと言えることがひとつある。大学に入ってくるほとんどすべての学生は、真理は相対的だと信じていること、あるいはそう信じて いる、と言うこと。もしこの信念が正しいかどうかには検証の余地がある、という異論がでた場合、学生の反応は予期に違わないものである。すなわち、学生は 異論を理解しようとしないだろう。誰かが真理は相対的なりという命題を自明ではない、と見なしでもしようものなら、あたかも2+2=4に疑問を差しはさま れているかのように、学生は驚く。(P17)

日本も20年遅れで、価値相対主義の常態化に加え、社会的な会話を成立させる教養の、本格的かつ根底的な破壊状況に直面しており、しかも最終局面に到達しつつあるということでしょうか。

もちろん、インターネットによるコミュニケーションが、この状況の進展を加速化させていることは間違いありません。

また、ブルームが「彼らが『自己に誠実』」といっている点も非常に気になる点で、これは、現代日本における価値相対主義の浸透や、村上春樹氏の著作が、世代を超えて10代の若者にも広範に受容されている現状などと密接に関連しており、そしてもちろん、この「自己に誠実」という文言の内容が問われるべき問題なのですが、これらについては、現在計画中の著作の中で考察する予定でいます。

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