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2009年8月の2件の記事

2009/08/26

自己実現のための勉強法(13)―「自分自身のテーマあるいは視野の広げ方」編(8)

自己実現のための勉強法の13回め。今回は、「自分自身のテーマあるいは視野の広げ方」の8回めです。

これまで何の話をしていたかを簡単にまとめます。確固たる自分の専門分野を築き上げつつ、長期的な活動も視野に入れて専門分野と異なるジャンルにも触れる。そうして、自分の中の知的な井戸を何本も形成するということについてでした。

その具体例として、私がよく知り、いろいろな面で参考にさせていただいている山口昌男先生の方法を取り上げてきたわけです。これまで御紹介した山口先生の方法は、大量の書籍を購入し、これだと見込んだ著者の本はとにかく全て集め、サブ・カルチャーにも目を配るというものでした。

今回はその続きで、山口先生の発想法とは何かということを述べてみたいと思います。というのも、この発想法は、これまでと同様、たいへんな力わざですが、しかしそれを実行するだけで、自動的に自分の中の知的な井戸が増えていってしまうという代物だからです。

では、山口先生の発想法とはいったい何かということですが、一言で言えば、それは「連鎖する関係を重視する」というものです。これについては、このシリーズの第4回目「自己実現のための勉強法(4)」(2009年1月15日)で書いた記事が参考になりますので、再度ここで引用してみましょう。

昨年のことですが、私が自宅にいた時、山口先生から電話がかかってきました。内容は、「市村弘正氏が面白い」というものでした。いったいなぜ市村先生の名前が出てきたのか、よーくお話を伺うと、まず山口先生は、2008年6月28日から8月31日まで、北海道立文学館で開かれた、吉増剛造展に行くために、吉増氏の著書を読み直していたようなのです。ところが、その時、吉増氏と市村先生が対談した『この時代の縁で』を読み、市村先生が面白いと思って、今度は市村先生の本をがーっと読み直し、「市村弘正が面白いのを、あなたと分かち合おうと思って」、電話をくださったという次第なのです。

(ちなみに、なぜ山口先生が私と市村先生の面白さを分かち合おうと思ったかということですが、それは私が市村弘正先生の授業のもぐり聴講生だったことを、山口先生がご存じだったからです。)

さて、以前に私がなぜこのエピソードを書いたかというと、吉増剛造展に行く日を自分で締切日と定め、吉増氏の本をその締め切り日までに読んでいくという、山口先生流の知識の蓄え方を述べたかったからでした。ところが、このエピソードには同時に、「連鎖する関係を重視する」という先生の発想法がよくあらわれてもいるのです。

つまり、山口先生は、そもそも吉増剛造展に行くために、吉増氏に関連する本を読み直していたわけです。ところが、その途中で、市村弘正という思想史家の面白さに再び気づいた。

ここで「再び」というのは、もともと山口先生は市村先生の著書を読み、面白いと思っていたので、その著書を集めていたのですが、その集めていた本の面白さに、吉増剛造展をきっかけとして再会したという意味です。

そして、今度はその再会をきっかけにして、市村弘正先生の本を読みまくる。

要するに、ある対象をできるかぎり多く吸収しようとすると、必然的にその過程で、興味深い事柄が枝のように分岐してくるわけです。今回の場合で言うなら吉増剛造氏の本を読みまくると、市村弘正氏の本にぶつかる。そうしたら、それをないがしろにせず、そちらの方にも目配せをする。

別の言い方をすれば、いついかなる時でも自分の頭の中に「面白アンテナ」を張っておいて、そこにひっかかったものに対して、まずはちらっと触れてみる。

それが自分にとって非常に面白いとわかったら、取りあえず、今とりかかっているものを時間の許す限り脇に置く。

そして、新しく登場してきた面白いものに対して、まずは「がーっと」収集し、集中的に読んだり、見たり、聞いたりする。

これは、「連鎖する関係を重視する」という難しい言い回しよりは、「逸脱」あるいは「脱線」という言葉で表現した方がぴったりくるかもしれません。「脱線」は、普通ならあまりいい意味では用いられていませんが、 山口先生の場合、 知の形成において非常に重要な役割を果たしているようです。

というのも、「脱線」とは、自分の現在の知識や視野を、完成されたものと思って、囲い込まないことを意味しているからです。常に、関連する事柄をチェックすることによって、現在の自分の知識や認識が拡大し、流動化する。その動的な力に自分を任せることでもあります。

しかも、そうやって、連鎖関係にあるものを次々に追求していけば、当然のことながら、知的な井戸が一本、また一本と増えていくことになります。出会った本にとどまらず、人とのつながりや、本の中に出てくる芸術作品などにも手を伸ばしていくと、それだけで、自然と世界が広がっていくわけです。

Yamaguchilecture この山口先生流の「脱線」もしくは「連鎖関係の重視」を肌で感じたい方は、先生の最新刊『学問の春 <知と遊び>の10講義』(平凡社新書)を読まれるとよいと思います。

この本は、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』をテキストに、山口先生が札幌大学の学生に向けて行った講義を再現しているものですが、『ホモ・ルーデンス』のきっちりとした解説を期待しているとかなり裏切られます。

というのも、この本は、『ホモ・ルーデンス』の一節を解説しようとして、大幅な「脱線」、また「脱線」。

「いったい『ホモ・ルーデンス』はどこへ?」という疑問が最初は浮かび、次にはそんな疑問すらきれいさっぱり忘れた頃に、脱線が一巡して、また『ホモ・ルーデンス』に戻っていくという、そういう循環の構成をとっているからです。

これはまさに山口昌男的発想法そのものです。

(ただしこの本、日本神話などについて述べている箇所には、若干の誤記があります。が、増刷の際に訂正予定との連絡をいただきました。)

ところで、これとかなり近いことを清水幾太郎も述べています。これは私もおおいに参考になった箇所ですので、少々長いですが、引用してみたいと思います。

私の読書法とは何か。

ジャーナリストとして生活していると、いろいろな雑誌や新聞の編集者から、或るテーマを与えられ、締切日までに、四百字詰原稿用紙十枚なら十枚書いて貰いたいという風に頼まれる。これは私だけの流儀ではないかも知れないが、私は、頼まれたのをチャンスに、そのテーマについてわざと大袈裟(おおげさ)な準備をすることにしている。

例を挙げた方が早い。たとえば、「最近の日本人のレジャー生活」という題で十枚ばかり軽く書いて下さい、と編集者が頼んだとする。そういう原稿は、書こうと思えば、その日のうちに書けてしまう。しかし、そうはせずに、私は、事情の許す限り、大がかりな勉強を始める。

レジャーというのは、元来、労働から解放された時間という意味であって、何もパチンコやマージャンのことではないから、それを論じた古今の哲学的文献は探せば見つかる。それを読んでみる。日本や諸外国の労働時間、その短縮の過程を調べてみる。増加した自由時間に成り立つ活動の諸形態ースポーツ、観光旅行、パチンコ、釣……ーを分類してみる。これらの諸形態に対応する諸産業があれば、その発展を辿ってみる……。

つまり、十枚の原稿の執筆には不必要な大規模な準備を故意にやるのである。五十枚か百枚ぐらい書けば書けそうな準備をやるのである。事情が許さなければ、諦めるほかはないが、長い間、私はこの流儀を頑固に守って来た。

それで自分が少し高められたとか、少し豊かになったとか、そう言うつもりはないけれども、十枚頼まれたから十枚分の準備、五枚頼まれたから五枚分の準備という、その日暮らしの生活に比べれば、あまり自分を貧しくしないで済んで来たようには思う。

尋ねられるたびに、私は右のような流儀について卒業生諸君に話して来た。私の職業は、かなり特殊なものであるから、私の流儀がそのまま彼らに通用するとは思われないが、会社での仕事と直接関係がある実用書だけでは心細いと感じるような場合には、哲学の本などに飛びつくよりは、当面の仕事に関する読書を、不必要を承知で、徹底的に広くかつ深く進める方がよいのではないか。

そんな風に考えている。
清水幾太郎『本はどう読むか』講談社現代新書、p63-64、1972年。適宜改行を施している。)

山口昌男流の発想法も、清水幾太郎の読書法も、基本は同じです。

片方はある対象を読みながら、そこから派生するものに目を光らせる。
もう片方は、時折依頼される小さなエッセイをチャンスととらえ、必要以上の読書に勤しむ。

このようにして、小さなきっかけを軽視せず、それに「がーっと」本気で取り組み(=「脱線」し)、それをいつの間にか大著を執筆できるくらいにまで成長させ、自分の中の知的井戸を何本も形成するわけです。

私が思うに、その時ポイントとなるのは、「脱線」を面倒だととらえるか、好機だととらえるかの姿勢の違いのような気がします。

2009/08/09

今年の夏の楽しみ

といえば、家の近くのレンタルDVDへ行き、夏休みスペシャル価格の一本100円で、旧作を借りまくること。

ここ2、3日で見たのは、長らく映像で見たいなあと思っていたソーントン・ワイルダーの原作を映画化した『サン・ルイ・レイの橋』。

それから、トム・クルーズ主演の『ワルキューレ』(これは旧作ではなく新作です)。

(ちなみに、トム・クルーズといえば、現役のアメリカの大学生の間では、どうも名前を出すだけで、おかしい存在のようです。私は山梨県の都留文科大学で、UCLAをはじめとするカリフォルニア大学群の留学生を教えているのですが、「そういえば、『ラスト・サムライ』にトム・クルーズが出てましたね」と言っただけで、なぜか留学生全員が笑います。。。トム、気の毒すぎます

そして、昨日は、イーブリン・ウォー『ブライヅヘッドふたたび』を映画化した『情愛と友情』を見ました。

どれもこれも、運命とは何かということを考えさせる映画でしたが、とくによかったのは『情愛と友情』でしょうか。とくに前半は緊張感があり、映像も美しく、感心しました。

また物語の中に、いくつものテーマが張り巡らされていたので、これを見ていたら、今、書いているのとは違うテーマで文章が書きたい衝動にかられました。

どこかで発表できるといいですが……。

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