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2010/02/26

やっぱり、すさまじい、橋本進吉の古代国語の音韻

そういえば、昨日のインタビューのために、ここ数日間いろいろな本を読み返していて、やっぱり、これはちょっと他の本とレベルが違うと思ったのが、橋本進吉『古代国語の音韻に就いて』(岩波文庫)

私は、修士で、学部の時の専門(人文地理学)ではなくて、比較神話学に専攻を変えたのですが、指導教授(吉田敦彦先生)の所属は日本語日本文学研究科。

そこで、大学院に入学する前に、日本語学の勉強もしておく必要があるだろうと踏んで、とある先生に相談したところ、勧められたのが東條操の『国語学新講』(筑摩書房)でした。

これを読破して、なんとか入試を突破し、修士に入ってからは学部の授業にも出席し、古典研究のやりかたを勉強しながら、英書の翻訳(これは後に『海からの花嫁』というタイトルで法政大学出版局から出版されました)と、吉田先生のレヴィ=ストロースの『神話論理』の講読の授業、さらには比較神話学の勉強に取り組みました。

着手して間もなく、翻訳には翻訳の難しさ、一流の研究者の著作の読解には読解の難しさがあることがわかったのですが、日本の古典研究には、めまいと絶望みたいなものを感じたのです。一朝一夕には到達できない日本の古典研究の底の厚さというか、重厚さのようなものと言っていいかと思います。

たとえていうなら、真に正統派の学問が奏でるクラシック音楽を、初心者がいきなり弓を渡されて、「さて今からあなたにも弾いてもらいましょう」と言われた時、「私にひけるだろうか」とかなりの不安と躊躇を感じるようなもの。

そして、そのめまいと絶望と不安の源は、なんといっても本居宣長の業績、とりわけ『古事記伝』を紐解いた時に起こったのです。とにもかくにも、そのすさまじさといったら! 圧倒されたと言ってよいような状態でした。

ところで、宣長が自分の古典研究を進めるうちに気づいたこと、けれども時間がなくて自分では研究を進めることができなかったことを、宣長の弟子の石塚龍麿(いしづか たつまろ)が膨大なデータにあたって達成しました。

その研究がなにしろ画期的! 発想自体が当時の日本にないわけで、いわゆる読者にパースペクティブの転換を強いてくるような類の研究なのです。

そして、この時のいきさつと研究内容を初心者にもわかりやすく解説しているのが、冒頭で述べた橋本進吉の『古代国語の音韻に就いて』です。

石塚龍麿をまねしたわけでもないのに、石塚と同じ見解(いわゆる上代特殊仮名遣)を持つに至った橋本進吉だからこそできる、非常にわかりやすい、みごとな、力わざの解説となっています。

ソシュール言語学やウィトゲンシュタインの言語観を知ってしまった今となっては、この本に書かれている言語観には賛同出来ない部分があるものの、今のようにコンピュータに入力されたデータを検索して結果を容易に入手するのではなく、コンピュータのない時代に手作業で、こういう成果を生み出していたことに、感動すら覚えます。

これは一読の価値あり! です。

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