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2010年3月の3件の記事

2010/03/25

足立巻一著『やちまた』(上下巻)読了

Yachimata 橋本進吉の『古代国語の音韻に就いて』を読んだのがきっかけで、ここのところ、国語学(日本語学)がマイブーム。

橋本進吉の本を読了後、「次に読むのは、そうそう、あれあれ、あの本だ!」とふとひらめき、長らく購入しておいたのに今までずっと読んでいなかった本を本棚から引っ張り出しました。

それが今回御紹介する足立巻一(あだち けんいち)の名著の呼び声高い『やちまた』(河出書房新社)です。

『やちまた』は、本居宣長の長男で、盲人の国語学者であった本居春庭(もとおり はるにわ)に焦点を当てた長篇小説です。

この『やちまた』というタイトルは、春庭の著書である『詞八衢(ことばのやちまた)』からとられています。

ちなみに、「やちまた」という言葉は、そもそも『古事記』の中の天孫降臨の場面で用いられて、天孫のニニギが天から地上に下ろうとする時、天と地を照らす神(サルタヒコ)が「天の八衢(あめのやちまた)に居」て、ニニギを出迎えたとされているのですが、その意味は、天から地上へ下る途中にあった沢山の分かれ道のことです。

そして、小説の『やちまた』も、春庭と春庭の著作をめぐって、著者があちこちの分かれ道に迷い込んでいく様が描かれています。

そのため、読者の私まで、小説を読みながら国語学の庭に迷い込んでいくような感じがしました。私の手元にあったのは河出書房新社版の上下2冊で、たいへん長く、しかも適宜、当時の国語学者の書いた原文の引用等があったため、読了するのにひどく時間がかかってしまいました。

この本に対する印象も読書の過程で適宜変化していきました。

たとえば、上巻を読み終わった時点では、「これは小説という形式を採用する必要があったのかな?」という疑問が浮かんでいたのですが、下巻の中ほどまで読み進むと、「なるほど、これは確かに小説という形を取るしかなかった」というふうに変わっていきました。

さらには、下巻の後半で述べられている新資料の発見の箇所では、「この筆者でなければ新資料は発見できなかったのだ。そして新資料というのは、発見されるにふさわしい状況と人材が揃って初めて発見されるのだ」という興奮が押し寄せてきて、それまでのなんともいえない、じれったいような感覚が一掃されるのを感じました。

私自身は、この本を読了した後でも、やはり春庭よりは父親の宣長、それから平田篤胤(ひらた あつたね)などの方に依然興味を感じるのですが、いずれにせよ、『やちまた』は国語学をテーマにした、一風変わった小説、しかも、この著者の春庭に対する執念が書かせた稀有な小説であることは間違いないと思います。

 

2010/03/20

「流行歌でたどる昭和史」のお知らせ

Araiemiko1 ノンフィクション作家の新井恵美子さんより、「流行歌でたどる昭和史」のお知らせをいただきました。

このブログでも何回か紹介しておりますが、私と新井さんとのおつきあいは、もう七、八年近くになるでしょうか。

その昔、私が日本女子大学に勤務していた頃、日本女子大学の教員と学生だけで構成していた『平凡』研究会に参加していたのです。

新井恵美子さんは、雑誌『平凡』を出版していた凡人社/平凡出版(現マガジンハウス社)の創始者である岩堀喜之助の御長女で、『腹いっぱい食うために—『平凡』を創刊した父岩堀喜之助の話』(近代文芸社)を出版しています。                        

               この本を読みまして、私が中心になり、新井恵美子さんに研究会に来ていただき、インタビューAraiemiko2 をさせていただいたのです。

それ以降、新井さんのお人柄の良さもあって、新井さんからご本を頂戴したり、こちらから『平凡』に関する論文をお送りしたり……、というようなやりとりを現在でも続けているというわけです。

岩堀喜之助については、その後、増補されて、『マガジンハウスを創った男 岩堀喜之助』(出版ニュース社)の形でまとめられています。

さて、今回の企画ですが、二代目松原操さんとの共演ということで、新井さんのお話と二代目松原操さんの歌の両方を味わうことができるようです。

ちなみに、二代目松原操さんのご両親は、歌手の霧島昇と松原操(ミス・コロンビア)だそうです。(二代目松原操さんのホームページはこちら。)

ご興味のある方は是非どうぞ。

2010/03/07

映画の話

もう長いこと、見たいな〜と思っていた古い映画が、2月に入ってから立て続けに上映されていて、最近頻繁に映画館に出かけています。

はっきりいって、映画を中心に日常が回っていると言っても過言ではないほど。

たとえば、ラピュタ阿佐ヶ谷では石坂洋次郎原作の映画特集があり、東京国立近代美術館フィルムセンターでは篠田正浩監督の作品が上映されています。私の場合、後者はとくに寺山修司が脚本を担当した作品が目当て。

石坂洋次郎も寺山修司も、どちらも『思想』で書いた論文「壊れた世界と秘匿された〝自然〟」の中で触れているのですが、この両者が原作ないしは脚本を手がけた作品には、DVD化(あるいはビデオ化)されていない作品がけっこうあります。

そういう作品は、ときおり、古い映画を上映する小さな映画館で上映されることがありまして、毎日のようにそういう映画館の上映作品をチェックしていたところ、ついに今回の上映を発見した!というわけです。

見つけた時にはとてもうれしかったのですが、実際、出かけてみると、けっこうたいへん。見たい映画が2本続けて上映されている場合には、体力的にきついのです。

それ以上にたいへんなのは、見たいのが1番目の上映作品と3番目の上映作品で、2番目の上映作品はすでに見てしまったから不要、というような場合。

1番目と3番目との間に1本入ってしまっているので、2番目が上映されている時間帯は、どこかで時間をつぶす必要があるわけです。

しかたなく、喫茶店とかファーストフード店などで、次の上映時間まで本を読みながら待機します。これが楽しい人にはなんてことないのかもしれませんが、私にはとっても苦痛。。。

しかも映画館での女の観客は私だけ、ということもしばしば。まわりはすべて男、男、男。。。なんたって、若い時の小百合ちゃん(注:吉永小百合さん)の映画が多いんですもの。ここにいる観客は、みな、サユリストか?! あなたも君も彼も、みんながみんな、サユリストなのか?と心の中でつっこむこともしばしば。

こういう積み重ねが功を奏して、かなりの未見作品を見ることができました。

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