ウィキペディアに載りました
今日、ある知人から、私のことがウィキペディアに載ってるよ、とのお知らせをもらいました。
「えー?」と思って見てみると、確かにウィキペディアに私のページがありました。これまでなかったのに、有り難くもどなたかが書いてくださったようです。
(「自分で書いたのでは?」と心中で突っ込みを入れておられる方へ。正真正銘、本当に本当、私自身が書いたのではありませぬ。)
ウィキペディアは私自身もよく参照するのですが、いったいどういう方がここに書き込んでおられるのでしょう?? 私のことを書くだけでも、ある程度は調べてから書くわけですから、けっこうな時間を要しているはずです。
ウィキペディアは不正確だとか、執筆者がわからないので信用に足らないとか、いろいろと問題点が指摘されていますが、みんなで自分の知っている知識を出し合って、体系的な辞書をつくりあげようとしている姿勢は、あのOED(Oxford English Dictionary、 オックスフォード英語辞典)を彷彿とさせます。
では、OEDはどんなふうにして出来上がったのかというと、これについて渡部昇一氏が書いていますので、少々長いですが、その一部をご紹介したいと思います。
OEDという辞典の特色は、各単語のいろいろな意味が、いつ、どのように用いられたかを、実際の用例をもって示し、しかもその用例がのっている文献が最初に出版された年代もついていることである。
もちろんこのようなことは、小数(ママ)の編集者にできることではなく、千数百人という、イギリス内外の学者や読書人が、無償で用例文を供給してできあがったのである。
このように用例を見つけて送ってくれる人を「読み手(リーダー)」といっているのであるが、OEDが最初に完成したとき(1928年=昭和3年)、こうしたリーダーが送ってくれた用例文は、その中に約二百万も使われていた。
このような奉仕的な、勤勉な、学問のあるリーダーはどういう人たちだったかというと、田舎の牧師が多かったという。
そういう牧師はオックスフォードかケンブリッジの卒業生である。生活の心配はない。余暇があり、勉強好きである。しかも奉仕精神に富む、といったようなわけで、OEDという、イギリスが世界に誇る大辞典は、牧師という知識階級に負うところがはなはだ多かった。ただしこれは昭和初年までの話である。
第二次大戦後に本格的な補遺を作るにあたって、リーダーには女性が急増した(中略)。一人で25万以上の例文を送った女性が二人もいるのだ。
つまりOEDという仕事に関する限り、かつての牧師の位置を女性が占めるようになった、ということである。(以上、渡部昇一『続 知的生活の方法』講談社現代新書、1979年、p179-180。適宜行替えを行った。)
OEDのリーダーに女性が増えたということから、渡部氏は知的生活における女性の地位の向上を見るわけです。とするならば、ウィキペディアの執筆者を見ると、現代日本の知的生活者の層が理解できるということになるのかもしれません。
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