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2011年3月の5件の記事

2011/03/30

わたしの道具箱 『日本思想史文献解題』

そういえば、本ブログでは、「わたしの道具箱」というコーナーがひっそりと立ち上がっておりました。

釣りには釣り竿。易者には筮竹。料理人にはマイ包丁。ヤンクミにはジャージ。

といったように、ある職業には職を遂行するための道具が必要です。もちろん、学術活動も例外ではない。

ということで、「私が使っていて、これは研究にとって非常に便利、非常に有効」と思ったものを、思いついた時に紹介していく。これが「わたしの道具箱」のテーマなのですが、今日は、その2回目。

Photo 今回紹介するのは、タイトルにもあるように、『日本思想史文献解題』です。

(「わたしの道具箱」1回目は、「蔵書管理用便利ソフト Books for Mac OS Ⅹ」の紹介でした。よく考えてみると、この時、全く何の宣言もしていませんでした。。。)

さて、この本が非常によいと思ったのは、次のようなことがきっかけです。

Photo_4 ある時、私は、昭和21年に出版された内藤湖南(虎次郎)の講演集、『先哲の学問』の中に、山崎闇斎に関係する次のような記載があるのを見つけました。

(前略)闇斎学派の人で、少し後になって闇斎先生と行き方が異って居ります人で、感服して居る神道学者があります。それは名古屋の吉見幸和という人であります。

この人は、恐らく日本神道の学問に、一つの革命を与えたと云ってよろしい人であろうと思います。この人は、従来の神道、つまり日本で神道という学問が盛になりましたのは、鎌倉の晩年からでありますが、鎌倉の晩年から徳川の中頃に至るまでの間の歴史に出て来たところの神道の学問に対して、一大革命を与えたのであります。そういうえらい人であります。これがやはり闇斎先生の孫弟子に当ります。

私はこの人の著述を、初めから知って読んだんじゃありません。それは、この人の著述は色々あります。私の読みました神道に関する本では、「五部書説弁」 「増益弁卜抄」「宗廟社稷答問」、こういう本でありますが、こういう本があるということを知ったのは、平田篤胤の著述の中に、そのことを云ってありましたからで……(後略)

この部分を読み、私は「吉見幸和(よしみ よしかず)」なる人物に興味を持ちました。そこで、百科事典で「吉見幸和」をひいてみたところ、17-18世紀の神道家で、名古屋東照宮の神主だったということがわかりました。

百科事典には、そういう吉見本人の情報とともに、たとえば、吉見の書いた「五部書説弁」は「神道五部書を偽書と論証した」書物であるという説明も付されていました(小学館の百科事典『スーパーニッポニカ 日本大百科全書』など)

けれども、この書籍の内容をもう少し詳しく知りたいという時。けれども、すぐに入手できそうもないという時。

そういう場合に登場するのが、今回紹介する『日本思想史文献解題』なのです。

Photo_3 では、この本で「五部書説弁」をひいてみると、どうなるか。画像を載せておきましたが、要約すると、こうなります。

「五部書説弁」は元文元(1736)年に書かれ、全部で12巻。「五部書説弁」は、「神道五部書」が、豊受(とようけ)大神神宮の神主の度会(わたらい)氏によって、1177年から1298年の間に偽作されたことを論証している本である。が、これに対し、度会側は反論している。

なるほど。これを読むと、「五部書説弁」がいかなる本か、だいたいわかります。

ちなみに、引用文中の「神道五部書」とは何か、疑問を持った場合、今度は百科事典の「神道五部書」を調べます。そうすると、「神道五部書」とは、度会神道(伊勢神道)の根本教典であること、あるいは五部書の具体的な名称、といったことが次第にわかってくるわけです。

今回は、近世の文献の例でしたが、この『日本思想史文献解題』は、上代から慶応四(1868)年までの文献が選択の上、掲載されています。私が持っているのは旧版ですが、1992年には新版が出されています。

(以上の引用文中では、旧漢字は新漢字に、歴史的仮名遣いは現代仮名遣いに、漢数字を算用数字になおしています。また、適宜改行しています。) 

2011/03/26

災いを受けた時の行動と心理

知らず知らずのうちに、大震災のインパクトを受けていたようで、気がつくと、このところ、予期せぬ災いを受けた時の人間の行動や心理に関する本ばかりを読んでいました。

具体的には2種類あって、1つめはいわゆる「買いしめ」や「流言」などの集団行動を分析したもの。もう1つは、ナチス・ドイツ下の強制収容所での体験記。

Photo 集団行動に関する本は、なかなか興味深く、買いしめを行ったり、流言を広めたりするのは、どういうタイプの人なのか。しないのは、どういうタイプなのか。それから、このような集団行動は、どういうプロセスをたどって収束するのか。そういったことが書かれていました(たとえば、J.B.ペリー, Jr./M.D.ピュー『集合行動論』東京創元社

私の目の前でおこっている現在進行形の集団行動を見ていると、これらの分析はみな「なるほど」と思うものばかりだったのですが、とくに納得したのは、次のような記述でした。

いったん流言が確固たる地位を得ると、地方自治体の当局者から出される権威ある声明でさえ、勢いを得た流言を押し潰すことは容易ではない。

つまり、政府が「物は充分にあります」「冷静な対応をお願いします」と訴えても、買い占めや流言はなかなか収まらない。このことは、過去の事例から見ても、実際の現象を見ても明らかであるということです。

そこで、私は次に、買いしめや流言という行動は、どのようにしたら人為的に止めることができるのか、という点に興味を持ったのですが、これについては収めるのがなかなか難しいということもわかりました。

Photo_6

唯一、今回の日本の例に参考になるかもしれないと思われたのは、藤竹暁氏が『事件の社会学 ニュースはつくられる』(中公新書)の中で書いている、昭和48年の第一次オイルショックによる物不足パニックの例でした。

で、日本ではオイルショックの時、どのようにこの物不足パニックが解消されたかというと、

それは情報によってたち切られたのではなくて、事実によってであった。品物が店頭に積まれたことによってである。

つまり、人々は、メディアから受け取る情報によってではなく、目の前に商品がたくさん置かれているという事実の方に反応するようなのです。

オイルショックの時代から私たちの心性が変化していないとすれば、現代の日本の生産と物流の力によって商店に商品が積まれるさまを、人々が実際に目の当たりにしてはじめて、今回の買いしめという集団行動が収束を迎えるということでしょうか。

ここまで読んできて、次に知りたくなったのは、極限状況に置かれた時、人間がどのように行為し、どのような心理を持つのか、ということ。

Photo_3

これについて、名著の呼び声高い、フランクルの『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)と、エリ・ヴィーゼルの『夜』を読んでみました。いずれも新版が出されていますが、私は旧版の方で。

Photo_4

どちらにも共通しているのは、非常に内省的であるということです。興味深かったのは、地震や津波に関する報道を聞いたり、余震にびくっとなったりしていると、次第に落ち着かなくなってくるのに、過酷な体験を綴っているこれらの本を読んでいると、不思議と心が波立たなくなってくるということでした。

Photo_5この後、フランクルの『意味への意志』(春秋社)なども読んでみましたが、フランクルの次の言葉がとても印象に残りましたので、記しておきます。

収容所におけるすべての人間は、われわれが悩んだことを償ってくれるいかなる幸福も地上にはないことを知っていたし、またお互いに云い合ったものだった。われわれは「幸福」を問題とはしないのである。われわれを支えてくれるもの、われわれの苦悩や犠牲や死に意味を与えることができるものは「幸福」ではなかった。

もう一つ。

未来へ、未来の目的へと方向づけられていた捕虜、未来において充たすべき意味へと方向づけられていた捕虜こそ、最も容易に生き延びることができたのです。

2011/03/19

地震と中野重治

大地震と大津波の後、東京にも余震が日に何度も襲ってきましたが、ここ2、3日はその回数も減ってきました。

世界各地で地震や津波の被害が伝えられても、どこか他人事のように感じていた私。しかし、人生で初めての震度5弱の揺れを体験し、インターネットで津波の映像を見たりすると、地震や津波というものの恐ろしさを痛感するようになりました。

奇妙な偶然というべきか、地震の翌日に読んだ中野重治の「広重」という作品のなかに、同じような感覚が、とても力強いのに絶妙に抑制された文章で書かれているのを見つけたのです。昭和23年の福井地震の体験を記したものと思いますが、心惹かれたので、ここに挙げておきます。

[戦争後]しばらくして私の郷里の方に地震があった。私の村は震源地のうちだったからぺしゃんこにやられた。

私の家もつぶれ、私のいとこなぞも二人三人と死んだ。幸か不幸か―むろん幸にちがいなかったが―私の母、ふたりの妹、妹の子供などはからだに別状なかった。

私は無理をして郷里へ行った。汽車も自動車も駄目になって、私は真夏の汽車線路みちを歩き、割れ目に足をとられぬ用心をして歩いて母親たちのところへたどりついた。

そこへ大雨が来た。大雨は三日降りつづき、そのあと小雨になってまだ降りつづいた。 二日目にはもう洪水になっていた。一里ほど南にある二十里ほどの川の堤が切れて、水は夜なかにはいって、提灯で見ている下で五分、一寸と高くなって行った。

屋敷の木立に棒をくくりつけて、仮小屋をつくってやっとしのいでいた私たちは見すぼらしく弱った。 仮りの便所で弱っていたところへ、すべてが水づかりになって食事のこともろくすっぽできなくなる。つぶれた家財道具が、引きだせば使えるものがあるかも知れぬまま、濁水にひたされて行くのを雨漏りの下で見ているのはつらかった。

私はそういうなかで、人間の知恵のことで私たちが欠けていることを感じた。智恵とか知識とかいってはあたらぬかも知れない。

鍋も釜も炭もないときどうして食うものをつくるか。寝る屋根がないときどうして小屋がけをつくるか。水で村がひたされたときどうやって筏舟(いかだぶね)をつくるか。鉈(なた)も鋸(のこ)も流れてしまったときどうして竹や木材を処理するか。

そういうことで私に知識がないのだった。それはほんとうに無力ということを私に感じさせた。

(『ちくま日本文学全集 中野重治』筑摩書房より。適宜、改行と補充を行った。)

2011/03/11

地震

日本の観測史上、最大規模の地震発生で、

大きな揺れが頻発しています。

みなさま大丈夫ですか?

私の住んでいる東京でも発生から休むことなく余震が続いています。

特に最初の揺れが長くて甚だしく、
体の方はなんともなかったのですが、
本棚に入れておいた本が飛び出て足の踏み場がなくなりました。
とりわけ二段組みにして無理に詰めておいた本が床に全部落ちてしまいました。

東京でもこの状況ですから、
震源地に近い多くの皆様は、
もっと大変だろうと思います。

多くの人々が無事でありますように、
そして被害ができるだけ少なくてすみますように、
心よりお祈り申し上げます。

2011/03/03

わたしの道具箱 蔵書管理用便利ソフト“Books for Mac OS Ⅹ”

今日の話は、マックのパソコンを使っていて、しかもなにかいい蔵書管理の方法がないか探している方むけです。

ここ1ヶ月半くらい、「Books for Mac OS Ⅹ」というオープンソースソフトを使っているのですが、これがとても便利。

なぜかというと、ソフトに、本のタイトルやISBNなどを入力しただけで、アマゾンコムなどから書籍データ(著者、出版年など)や書籍の画像まで引っ張ってきてくれるからです。自分で、書名、著者名、出版年などを入力する必要が一切なし。入力した本に関しては、すぐに検索できます。

そして、本の感想を自分の言葉でつけ加えたり、星5つの範囲で本の評価をつけておいたり、読了日をつけたりすることもできます。

アマゾン上に本の画像がない場合には、自分でスキャンした画像を貼り付けることもできます。

読書カードとしての利用はもちろんなのですが、私の場合、それとは別の目的でも利用しています。たとえば、ある本が気になっていたため、図書館でその本を借りて、実際中身を見てみたら、「む。期待していたのとちょっと違う。これは別に読む必要がないし、ましてや購入する必要はないなあ」と思って返却するということがよくあります。

ところが、時間が経つと、その本が必要だったかどうかをすっかり忘れ、また借りることになる。そして、「しまった、この本はもう必要なかったのだった……」というようなことが、これまで本当によくあったのです。

ところが、このソフトに、本のタイトルを打ち込み、「コレコレの理由で、借りる必要なし」とコメントしておくだけで、二度借り、三度借りを非常に簡単に防ぐことができるというわけです。

しかも、1冊、2冊ならまだしも、一度に大量の本を借りた時には、全部の本について、いちいち本のタイトル、著者名、出版社名、感想etcを入力していると、あまりのめんどくささに、本の管理自体を挫折することになりがちですが、このソフトによって、その手間は最大限と言っていいくらいに排除されます。

とてもオススメなので、マックユーザーの方は是非チェックしてみてください。

※どうも、OS X Mountain Lionになってから、このソフト調子が悪くなっていますので、ご利用の際にはご注意ください。

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