« 地震と中野重治 | トップページ | わたしの道具箱 『日本思想史文献解題』 »

2011/03/26

災いを受けた時の行動と心理

知らず知らずのうちに、大震災のインパクトを受けていたようで、気がつくと、このところ、予期せぬ災いを受けた時の人間の行動や心理に関する本ばかりを読んでいました。

具体的には2種類あって、1つめはいわゆる「買いしめ」や「流言」などの集団行動を分析したもの。もう1つは、ナチス・ドイツ下の強制収容所での体験記。

Photo 集団行動に関する本は、なかなか興味深く、買いしめを行ったり、流言を広めたりするのは、どういうタイプの人なのか。しないのは、どういうタイプなのか。それから、このような集団行動は、どういうプロセスをたどって収束するのか。そういったことが書かれていました(たとえば、J.B.ペリー, Jr./M.D.ピュー『集合行動論』東京創元社

私の目の前でおこっている現在進行形の集団行動を見ていると、これらの分析はみな「なるほど」と思うものばかりだったのですが、とくに納得したのは、次のような記述でした。

いったん流言が確固たる地位を得ると、地方自治体の当局者から出される権威ある声明でさえ、勢いを得た流言を押し潰すことは容易ではない。

つまり、政府が「物は充分にあります」「冷静な対応をお願いします」と訴えても、買い占めや流言はなかなか収まらない。このことは、過去の事例から見ても、実際の現象を見ても明らかであるということです。

そこで、私は次に、買いしめや流言という行動は、どのようにしたら人為的に止めることができるのか、という点に興味を持ったのですが、これについては収めるのがなかなか難しいということもわかりました。

Photo_6

唯一、今回の日本の例に参考になるかもしれないと思われたのは、藤竹暁氏が『事件の社会学 ニュースはつくられる』(中公新書)の中で書いている、昭和48年の第一次オイルショックによる物不足パニックの例でした。

で、日本ではオイルショックの時、どのようにこの物不足パニックが解消されたかというと、

それは情報によってたち切られたのではなくて、事実によってであった。品物が店頭に積まれたことによってである。

つまり、人々は、メディアから受け取る情報によってではなく、目の前に商品がたくさん置かれているという事実の方に反応するようなのです。

オイルショックの時代から私たちの心性が変化していないとすれば、現代の日本の生産と物流の力によって商店に商品が積まれるさまを、人々が実際に目の当たりにしてはじめて、今回の買いしめという集団行動が収束を迎えるということでしょうか。

ここまで読んできて、次に知りたくなったのは、極限状況に置かれた時、人間がどのように行為し、どのような心理を持つのか、ということ。

Photo_3

これについて、名著の呼び声高い、フランクルの『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)と、エリ・ヴィーゼルの『夜』を読んでみました。いずれも新版が出されていますが、私は旧版の方で。

Photo_4

どちらにも共通しているのは、非常に内省的であるということです。興味深かったのは、地震や津波に関する報道を聞いたり、余震にびくっとなったりしていると、次第に落ち着かなくなってくるのに、過酷な体験を綴っているこれらの本を読んでいると、不思議と心が波立たなくなってくるということでした。

Photo_5この後、フランクルの『意味への意志』(春秋社)なども読んでみましたが、フランクルの次の言葉がとても印象に残りましたので、記しておきます。

収容所におけるすべての人間は、われわれが悩んだことを償ってくれるいかなる幸福も地上にはないことを知っていたし、またお互いに云い合ったものだった。われわれは「幸福」を問題とはしないのである。われわれを支えてくれるもの、われわれの苦悩や犠牲や死に意味を与えることができるものは「幸福」ではなかった。

もう一つ。

未来へ、未来の目的へと方向づけられていた捕虜、未来において充たすべき意味へと方向づけられていた捕虜こそ、最も容易に生き延びることができたのです。

« 地震と中野重治 | トップページ | わたしの道具箱 『日本思想史文献解題』 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Amazon

無料ブログはココログ