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2011/04/13

わたしの道具箱 文献事典補遺

前回の「わたしの道具箱」では『日本思想史文献解題』を紹介いたしましたが、このような、いわゆる文献の中身を知りたい場合に紐解く本として、たとえば社会学だったら『社会学文献事典』(弘文堂)、文化人類学だったら『文化人類学文献事典』(弘文堂)などがあります。

これらの文献事典のメリットは、そのジャンルの膨大な文献を実際に読む前に、あるいはどれを読もうか迷った時に、あらかじめ見通しがつけられるという点にあります。

ただし、文献内容の要約については、一人の人物が最初から最後まで作り上げた辞書/事典と異なり、個々の担当者によって紹介記事の出来にバラツキがあることも確かです。

これについて今でも思い出すと笑ってしまうのは、かつて『社会学文献事典』を読んでいて、椅子から転げ落ちそうになった記述のことです。

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それは、私の「師匠」山口昌男先生が自著『道化の民俗学』を自ら内容要約した箇所。(ちなみに、山口先生によれば、どうも私は先生の「最後の弟子」ということになるようです。)

実際にこの本を広げて、この箇所を読んでいただくと、この面白さが伝わると思うのですが、どうして椅子から転げ落ちそうになるほど面白いのかというと、一番最初に「道化=知識人論を意図して書かれた本書の構成は以下のとおりである。」という、たった一行の紹介文の後に、各章のタイトルが箇条書きに並んでいて、その説明があるかと思いきや、その後に出てくるのは次のような記述なのです。

英文学者高山宏は後に、毎月全共闘のバリケードのなかでコピーをむさぼり読んだと言ってくれた。(中略)

[雑誌『文学』での]連載の途中から岩波書店から単行本化をすすめられたが、この種の本は当時の岩波書店の刊行物の間に収まっては意味が薄れるという理由で遠慮して、一番先に申し込みのあった新潮社から出ることになった。正しい決断だと思っている。

1997年来日した歴史学者ナタリー・ゼーモン・デビスと対談した折、彼女はこの本のことを知り、彼女の30年前の関心と私の関心とまったく併行していると大いに喜んだ。

どこが内容要約?……(笑)

 「『社会学文献事典』の編集委員は、山口昌男の暴走を身を呈して止めないと!」と秘かに突っ込みを入れましたです。私も自著の要約がひどく苦手なのですが、先生もご一緒のような? 

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けれども、ここに書かれていることは噓ではなく、たとえば引用文中に出てくる高山宏先生は、著書『ブック・カーニヴァル』(自由国民社)の中で、

境界領域へ手を広げてみたいという欲望がたしかにみんなにあって、こういう「知」への深まりと広がりの、何となくしかし形が与えられないで鬱々としているところに——山口昌男氏の連載「道化の民俗学」が現われて、そうして若い人の学問イメージがしだいにはっきりと形をとり始めたのであった。それがフール研究史上の「驚異の年」、1968年のことである。この山口論文のコピーを、ぼくなども、バリケードの中でむさぼり読んだ。それから二月ほどして、安田講堂が「陥落」した。

と書いています。

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ちなみに、山口先生の文章の中に出てくるナタリー・ゼーモン・デビスはたとえば『愚者の王国 異端の都市』(平凡社)を書いている有名な歴史学者で、拙著『猫はなぜ絞首台に登ったか』(光文社新書)の中で私も引用しています。

しかし、こういう特殊事例はあるにせよ、いやあるからこそ、事項によって書き手の異なる、この手の文献事典は面白く、読み応えがあると思うのです。

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