わたしの道具箱 『増補改訂 哲学・論理用語辞典』
今回紹介するのは、ちょっと他にはない(と私が考える)ユニークな辞書/事典。そういうテーマならばと、まっさきに考えついたのは、やはりコレ。
思想の科学研究会編の『増補改訂 哲学・論理用語辞典』(三一書房)。
この辞典の何がユニークか。それをよく表しているのは、1958年6月10日の日付の記載が入った「まえがき」の箇所なのですが、そこには、こう書かれています。
(前略)この辞典には、つぎのような特色をもたせてあります。
1)わかりよいこと。これまでの哲学辞典は、専門家の隠語で書いてありました。だから、すでに哲学を一応知っている人たちが、定義を《たしかめる》のには役立っても、シロウトが、意味を《知る》のにはサッパリ、つまり、辞典としての本来の機能を果たしていませんでした。この辞典では、わかりやすさを第一とし、多くの実例や用例をあげて説明してあります。そして、出来上がった原稿を、高校初年級の人たちに読んでもらい、わかるまで書きなおしました。
2)(以下、略)
へぇ、と思いながら、さらに読み進めていくと、「まえがき」の終わりの方の謝辞の部分に書かれている箇所を読んで、びっくり。そこにはこう書かれています。
また、原稿を読んで、理解度をチェックして下さった、大阪府立淀川工業高等学校定時制生徒、東京都武蔵高校生徒の諸君にも、感謝します。
なるほど。この辞典は当時の高校生が理解できるまでに表現をかみ砕き、何よりも「わかりやすさ」を優先して作られているらしい。
ならば、実際の項目の記載はどうなっているかというと、確かにこの辞典は「わかりやすい」! 「現象学」の項目などを読むと、それは一目瞭然です。
では、この辞書がどれほどわかりやすいかを示すために、まずは『岩波 哲学・思想事典』の「現象学」の項目にどんなふうに書かれているか、記しておきます。
(フッサールによって)『イデーン』期に構想された方法である<現象学的還元>の理論は、まず先哲学的状況にある知の態度である自然的態度から脱却し、隠れて機能している志向性の全関連を主題化する態度に移るための方法的理論である。
というのは自然的態度は、「自然的実践的に経過する人間の全生活の遂行形式」として人間の本性に深く根ざした習性的構えであり、対象への直進性・帰依性・自明性・意識の自己忘却性などの特性を有するために、哲学的なすべての実体化的な解釈がそこから発生してくるからである。
それゆえ現象学的還元の第一歩は、まず自然的態度の根底に働くもっとも根強い習性、すなわち世界の存在への暗黙の確信である一般定立を停止しなけれればならない。
フッサールは、この方法をエポケー(判断停止)の方法とよんでいる。……(以下、略)
うーん、上記のような文章表現は、私が学生の時に「哲学」に対して持っていたイメージそのままです(読んでいると、ボーッとしてきて、うっかりすると寝てしまう……)。
では次に、『哲学・論理用語辞典』の「現象学」の項目、いってみましょう。
フッサールのはじめた、心理的な、哲学上の方法。
心に<思いつくことを、(それが正しいか正しくないか、なぜこんなことを思いつくか、などという問題をぬきにして)、そのまま記していき、こうして得られた資料を分類するという方法>。
つまり、思うままのことを無批判に記述し分析し分類するという方法である。(以下、略)
確かに、わかりやすい! そして、初めて学ぶ時には、こんなふうに理解しておいて、何の問題もないと思うのです。このようなわかりやすさは、この辞書の随所に現れています。
ちなみに、この辞書は初版が1959年、若干の改訂を加えた増補改訂版が1975年に出されていて、記述内容に時代的な要素がかなり含まれています。そのため、記述を抜本的に新しくした新版が1995年に出されました。
私はどちらの版も持っていますが、面白いと思うのは、圧倒的に古い方の辞書(つまり、増補改訂版の方)。
たとえば、旧版の方には載っていたのに、新版では削除されてしまった項目があります。一例を挙げると、次のようなものです。
権威【authority】
(前略)権威は大別して二種類に分れる。
(1)《理性的権威》。医者が「ガンです」といえば、シロウトはそのまま信ずる。これは、医者のもつ科学的知識の合理性とその妥当性を、ナットクづくで承認し、その権威を認める結果である。
いわゆる、科学上、理論上のことに関して、ぼくたちシロウトがおカドちがいの部門において行動するときの指針となり、自己の力で思索する代用品の役割をする。
この合理的権威は《理性的な手つづきでその内容をテストできる》という点で、次の(2)と区別される。
(2)《非理性的権威》おえら方の発言や、天皇のオコトバにその内容を考えることなく、無条件にペコンと最敬礼して従うもの。
いわゆる伝統的権威とか、社会通念的権威がこれで、その承認は理性的手つづきによるものではなく、風習、インネンその他、社会的、個人的なモヤモヤとした心情であり、日本のように村落共同体的思考様式(「お互いに日本人ではないか。そうむきにならず仲よくやろう」などにもとづく考え方)が依然として一般的な社会では、この種の権威が非常に多い。《カリスマ的権威》はこの典型。
これは(1)とチガイ、その内容をテストできない。
表現その他に、「思想の科学」特有の考え方が見え隠れし、時代的な状況を反映しているとはいえ、こういう平易な説明はやろうと思っても、なかなかできないなあと、感心してしまう側面があります。
というようなわけで、旧版(増補改訂版)を私は学生に勧めています。興味のある方は御覧になってみて下さい。
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