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2011/12/02

チェーンメールの流行 大正時代

石井研堂の『明治事物起源』を読んでいたら、興味深い記事を発見しました。

大正15(1926)年夏に、いわゆる「チェーンメール」が流行したというのです。

当時のチェーンメールは、「貴下の幸運の為めに」と題され、その内容は、

この手紙を受取ったら、早速友人三人に対し、之と同様の文句にて発信せられたし。幸運立(たちどこ)ろに来るべく、若し発信せざれば悲運来らん……

という、「幸福の手紙」と「不幸の手紙」がごっちゃになったようなものだったそうです。

そういえば、私も中学校の時に「不幸の手紙」の方を受け取った記憶があります。差出人の箇所には、こういうものをもらったら信じてしまい、出すか出さないかをきっと悩んだであろうと思われる、私の友達の名前が書かれていました。

この手紙、私自身は誰にも転送しませんでしたが、多感な中学生はほとんどみんな反応したようで、当時、私の周囲で受け取らなかった女の子がいなかったほどの大流行でした。

そして、これと同じ事態は大正15年にもあり、あまりにも多くの手紙を受け取ることになってしまった著名人が悲鳴を上げ、ついには警視庁が手紙の差出人に罰金5円を科すという事態に発展したとのこと。それが功を奏したかどうかはなんともいえませんが、とにかく収束に向かったということです。

ちなみに、私が「不幸の手紙」を受け取った時、クラスの男の子たちはそんな手紙をバカにしていたので、私はきっとこういうのは女の子の習性なのだと思ったのですが、どうも女の子の習性とばかり言えないようです。

というのも、大正15年の時に罰金を科されたのは、赤坂青山南町に住む吉田興作ほか6名だったからです。チェーンメールを他人に送ってしまった吉田興作なる人物、いったいどういう人物なのか、その人となりが気になります。

ちなみに、『明治事物起源』(ちくま学芸文庫版だと全8冊)は、明治時代に初めて出現した新しい制度や文化、流行などを書いているものなのですが、挿絵も豊富で面白く、かなりの確度で信頼できるという評判のものなのです。

著者である石井研堂は、吉野作造や宮武外骨といった明治文化研究会の面々がそれぞれの専門にしたがって執筆した『明治文化全集』(24巻)の編集・執筆者でもありますが、チェーンメールが現在にも流行していることを考えると、項目の選定眼には、なみなみならぬものがあると言えそうです。

明治維新の前後で、私たちの生活の何が変わったのか、知りたい方にはオススメの1冊です。

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