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2012/03/10

クマが……

出ました。クマが! 

目の下に。

さまざまな仕事と行事が一気に重なってしまって、睡眠不足が続いています。

いつもなら、ハードスケジュールでも、どこかに何か面白いものを見つけることができるのに、ここ数日は、そんな些細な余裕もなくなってしまいました。2月にやるはずだった仕事の大半が3月にずれこみ、本の監修のための調査旅行もあるというのに、今からこんなことで、3月後半はどうなるの?

でも、そういう中にあって、自分なりに「なるほど」と思ったことがありました。

もうすぐ頼まれていた書評を書き終えることができそうなのですが、普段の生活で悩んでいたり、悲しかったり、怒っていたり、反対にものすごーく嬉しかったり、楽しかったり、……というように、心が波打っていると、(当然すぎるほど当然ではありますが)文章って書けないものなのだということ。

文章を書く時だけは、そういうものを一切忘れないといけないということ。これはたぶん論文や書評や学術的な書籍などの場合で、小説やエッセイなど、自分の感情に素直になって書く場合とは異なると思います。

というのも、私は、大事にしていた思い出に関するエッセイを、それこそ号泣しながら書き上げたことがあるからです。そして、そのエッセイに対して、思いがけずに、本当にいろいろな方が好意的な感想を寄せて下さった時、泣きながら文章を書いてもいいんだと思ったこともあります。

しかし、書評のような文章を書く時は、やはり思考を日常生活から切り離す必要があるようです。

こういうことを書いていると、もうお亡くなりになられた西郷信綱先生のご自宅に、山口昌男先生に連れて行っていただいた時のことが思い出されます。

その時、89歳だった西郷先生は、「ボクの家に来た人みんなに言っていることだけれども」という前書きをつけられた後に、私に「あのね、文章というものはね、毎日書かなければいけないよ。たとえ1字でもいいから」とおっしゃったのです。

今考えると、西郷先生は、日常生活の一切を忘れて、執筆に没頭することの大切さを教えてくださったのだと思います。(ちなみに、このセリフの後に、「そうはいっても、学術書の場合、本を読まなきゃいけないから、なかなか毎日書くのは難しいんだけどね」ともおっしゃっておいででした。)

西郷先生の教えがなかなか守れない私ですが、文章、とくに学術的な文章を書く時には、西郷先生の言葉を思い出します。

さらにいうと、この後、西郷先生は「野菜を食え! 野菜が寿命を伸ばす」ともおっしゃっておられました。大学を退職された後に筆一本で食べるために、経済的に逼迫した時に備えて、ご自分で畑を耕され、野菜を作っていらっしゃいました。

それから「ふくらはぎを揉め」とも。テレビを見ていたら、ふくらはぎは第二の心臓と紹介されていたからだそうです。

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