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2015年10月の5件の記事

2015/10/27

舞台

このところ、舞台の報告が続いていますが、本日も懲りずに鑑賞した舞台の報告です。

前回のエントリから本日のエントリの間に見た、ライブビューイングを含めた舞台は4つあります。

1つめは、ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場による「オイディプス」(於 東京芸術劇場)。

この舞台は、ソポクレス作の「オイディプス王」と「コロノスのオイディプス」の2つを合体させた現代版で、オイディプスの死まで含んだ彼の後半生を描いていました。

個人的には、ソポクレスの「オイディプス王」を改変せずに、そのまま上演したものが見たいなあと思いました。

2つめは、あのヘンリック・イプセンの遺作にして、なんと未完のオペラ台本となる「山の鳥」(於 シアターX)。

これはノルウェーのオスロからやってきたフルソムへテン劇団による日本語字幕付の上演で、舞台衣装が見事でした。

イプセンは、晩年になるほど、どんどん作品が幻想的になっていくのですが、今回もそのような感じでした。

いずれにしても、イプセンがオペラを書いていたとは知りませんでした。非常に珍しい作品でした。

3つめは、ナショナル・シアター・ライブ2015の「コリオレイナス」。いわずと知れたシェイクスピアの作品です。

「コリオレイナス」はこれまでに2回ほど見ているのですが、今回はホンモノのコリオレイナス、ホンモノの軍人に見えました。

コリオレイナス役はすごい演技だったなー、と思いつつ、調べてみると、なんと彼は、このコリオレイナス役で、2014年のロンドン・イブニング・スタンダード・シアター・アワードの最優秀男優賞を獲っていました。そうでしょうとも!

しかも、彼―トム・ヒドルストン―はそもそも有名な俳優だったのですね。私、知りませんでした。

4つめは、新国立劇場演劇研修所の第9期生によるガルシア・ロルカの「血の婚礼」(於 新国立劇場)。

このタイトルの中で言われている「血」には2つの意味があります。

これを、ロルカが戯曲の中で、どんなふうに描いているのかというと、花嫁が、花婿の父親と兄を殺した一族の男と、婚礼の日にかけおちしてしまい、最後にはその男と花婿がナイフで殺し合って、二人とも死ぬという形になっています。

つまり、戯曲の中で、血は、具体的にナイフで殺されたときに出る赤い体液を指す一方、あらがうことのできない、血統とも呼べるようなものに呑み込まれ、意思に反して、それにしたがってしまうということを意味してもいます。

今回見た舞台はどちらかというと、前者の血の意味が強調されていたように思われましたが、前回2006年8月ベニサン・ピットで見たアリ・エデルソン演出の「血の婚礼」は後者の血の意味が強調されていました。

同じ戯曲でも、力点の置き方によって、ずいぶんと印象が異なるなと思いました。

2015/10/21

マクベスと谷間の女たち

まずい。これは本当にまずいです。

ナニがまずいかというと、今年は例年になく、良さそげな舞台が目白押しであること。

これは見ておかねばと、心の準備をしておいた戯曲・演出家の舞台が、例年になく多いのに加えて、昨年からメトロポリタン・オペラのライブ・ビューイングの視聴を課し、さらに、ナショナ
ル・シアター・ライブなるものも発見してしまった。。。

ということで、過日は、シェイクスピアの「オセロ」(ナショナル・シアター・ライブ)と、劇団昴「谷間の女たち」(アリエル・ドーフマン作)をはしごした結果、一日の合計視聴時間がなんと6時間!

お元気だった頃の山口昌男先生ばりのはしごスケジュールに、自分でも「なんで?」と突っ込みを入れました。

が、「どっちも見に行って良かった~、見過ごさないで良かった~」、と思ってしまったので、この劇場通い、映画館通いの勢いは止められそうもありません。

とくに、「オセロ」は本当にすごかった!

ナニがすごいって、俳優陣の演技力の高さ! イアーゴ役の俳優さんは、2014年ローレンス・オリヴィエ賞の最優秀主演男優賞を受賞したとか。

納得!

そういえば、昔、実物のローレンス・オリヴィエが演じた映画の「オセロ」を見た時には、「オセロ」の戯曲の意味がよくわからなかったのですが、今回は「オセロ」が嫉妬にまつわる人間心理の機微をよく描いていたことを再発見し、シェイクスピアは人間通であることに深く感心しました。

一方、ドーフマンは、ロマン・ポランスキー監督の映画の「死と処女」を見て、この戯曲はすごいと思ったのがきっかけで、着目していた作家。

「谷間の女たち」は、「死と処女」より前に書かれた作品なのですが、いずれもたいへんな緊張感があります。

しかし、私としては、「谷間の女たち」は少し惜しい作品でした。

最後の場面で、女の人たちが踊り出すのが私には意味不明。。。(などと書いている私のコメントも、舞台を見ていない人、戯曲を読んでいない人には、意味不明でしょうが。)

しかし、考えさせられる舞台なので、一見の価値があります。

「谷間の女たち」は2015年10月25日まで上演されています。詳細はこちら

2015/10/20

講演で魚津へ行ってきました

講演で富山県魚津高等学校に行ってきました。

数年前より、魚津高校の國香正稔校長先生からお話をいただいていたのですが、先日ようやくおうかがいすることができました。

今回は、魚津高校のPTAの方々に、「親子の自己実現と慈悲心(思いやりの心)」という題で、お話ししてまいりました。

あと1年~3年ほど経つと、今回いらしたご父兄の方々の息子さん、娘さんを、もしかすると、私が教えるかもしれないということで、今回は、いつもの講演よりも、私の大学での授業の時の経験を中心にしました。

実は話を聞いてくださる方々が、高等学校のPTAの方々のみというのは、私にとって初めての体験だったのですけれども、壇上からでもわかるほど、みなさん、たいへん熱心に聞いてくださいました。

来場してくださったPTAのみなさん、魚津高校の先生方、準備をしてくださった方々、本当にありがとうございました。

2015/10/07

ヴィトカッツイの「母」(2)

前回のエントリーの続きです。

前回は、山口昌男『文化人類学への招待』に書かれている、ポーランドの劇作家ヴィトカッツイと、文化人類学者マリノフスキーのオーストラリア旅行のエピソードを、途中まで紹介しました。

本日は、その後の話です。

(注:マリノフスキーが途中で別れたヴィトカッツイを探して)あるところへ行ったら原住民が興奮して歌を歌っている。大声をあげている。

見ると白人が一人、二つの棒のあいだにハダカで縛りつけられている。原住民たちは彼の体のまわりでタイマツを振り回している。

これはたいへんだというわけです。

よく原住民のマンガにある釜ゆでのさまをマリノフスキーは想い浮べたらしい。

「ヴィトカツィだ。たいへんだ、火あぶりにされている」。

マリノフスキーはとにかく鉄砲を持ってきて撃とうとした。そうしたら、ヴィトゲヴィッチが、

「おい、こら、ブロニスワフ(注:マリノフスキーのファースト・ネーム)、何しているんだ」

と言った。

マリノフスキーが

「おまえがたいへんな目にあっているから、撃とうと思っているんだ」

と答えると、

「よせ、よせ、よせ。まあ、いいから近くにこい」

とヴィトケヴィッチが言った。

ヴィトケヴィッチはマリノフスキーよりも一日か二日早く同じ場所に着いて、土地の人とすっかり友だちになっていた。

彼の体にダニがたくさんついていてしょうがないから、ダニの駆除法にはこれがいちばんいいと原住民が教えてくれて、ダニの駆除をやっていたのだ(笑い)というのですね。

マリノフスキーはそれを知らないで鉄砲を持って構えた。

これではどっちが人類学者かわからない(笑い)。

とってもおもしろくて、笑ってしまったエピソードですが、これを読むと、ヴィトカッツイは人類学者の要素を持っていることがよくわかります。

ところで、この『文化人類学への招待』という本、人類学の入門書として、たいへん優れていると私には思われます。

クラ交換の箇所など、ものすごくわかりやすく書いてあり、とても勉強になります。おすすめです。

2015/10/03

ヴィトカッツイの「母」(1)

今日は、ヴィトカッツイの「母」という舞台を見に、両国のシアターX(カイ)に行ってきました。

ヴィトカッツイとはポーランドの劇作家の愛称で、本当の名前はスタニスワフ・イグナツィ・ヴィトケヴィッチといいます。

この名前、どこかで見たような、と思ったのは、山口昌男先生の『文化人類学への招待』で紹介されていたからなのですね。

この本の中に、ヴィトカッツイが文化人類学者マリノフスキーと一時期、仲が良かったことが書かれているのですけれども、今日の演出にも、人類学的要素がちりばめられていて、主人公のお母さんが人類学でいうところの大地母神のような存在として描かれていました。

演出も音楽も、とても斬新なものでした。

ただ、パンフレットによると、原作をかなり削ったということで、そのせいなのかもしれませんが、内容自体は、演出や音楽ほどの斬新さを感じなかったというのが率直な印象。

もとの戯曲はもっとおもしろいのかもしれません。

ところで、『文化人類学への招待』には、ヴィトカッツイとマリノフスキーがいっしょにオーストラリア旅行をしたときの、とってもおもしろいエピソードが紹介されています。

せっかくなので、その部分、引用してみます。

オーストラリアの原野を二人(注:ヴィトカッツイとマリノフスキー)で旅行したときのエピソードがあります。

ちょうどある時点で湖に行き当たってしまった。そこは船も何もないところで泳いでいくわけにもいかない。

そこで右からいってらいいか、左から行ったらいいかということで、二人は大げんかを始めてしまった。

どっちも譲らない。さんざん二人で怒鳴り合いしたあとに、彼らは一人は右回り、一人は左回りで行くことにした。

結局、けんかしているとはいえ、向こうでまた会おうということになった。

さて、マリノフスキーが着いてみると、どうもヴィトケヴィッチが見えない。

マリノフスキーは一人になったらたいへんだと思って必死になって原野を探し回った。

この続きは、また次回。

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