ガートルード・スタインとおもしろ広告
太陽社から出版されたL・ラグランの『文化英雄』をぱらぱらとめくっていたところ、なんということもなく、本のうしろについている同社の出版広告に目が留まりました。
その中に『ガートルード・スタインの構造』という本がありました。
「ガートルード・スタインって、聞いたことがないな」と思い、まずはマイクロソフトの総合大百科「エンカルタ」で調べてみると、スタインは、アメリカの詩人・小説家で、作品中で「構文と句読点の使い方を根本的に革新し」「実験的な手法をこころみた」人だということがわかりました。
彼女の作品は、「しばしば誤解され、文章が意味をなさないとあやまってうけとられることも多かった」ようです。
また、彼女のアパートは一種の文芸サロンのような趣があり、ピカソやマティスなどもおとずれていたとのこと。
がぜん興味がわいてきました。
そこで次に、このガートルード・スタインについて書いた本の広告文を読んだのですが、最初は「なるほど、これはけっこう重要な人かも」と思いつつ、読み進めていくと、広告文の最後の2文の部分で吹き出してしまい、立っていることさえ難しくなって、床の上で、ゴロゴロ転げ回ってしまいました。
それくらい、私にとっては、おかしい![]()
以下に記しておきます。
みなさんは、いかがですか?
G・スタインはまことに不思議な女性、否、触媒である。
例えばボルティモアの黒人街で黒人を観察して書いたはずなのに、作品「メランクサ」にはちぢれ毛も、厚くまくれ上った唇も、白い歯もまるででてこない。
また、『アメリカ人の形成』について書いても同様で、皮肉なことに、アメリカ人らしきものはおろか、人間そのものが消えていなくなってしまうのである。
イナゴの後には借金しか残らぬという西部の諺があるが、スタインの存在はいわば一種の通り魔のようなものであり、奇蹟である。
生きている「いま」こそがすべて。文字通りすべてであって、そのためにはコンマもセミコロンも使わぬほど用心深く、したがって動詞のつらなりばかりが生きているその散文を、あるいは名詞のつらなりばかりが生きているその詩を読むのに根気よくつきあわされ、淫したふうに、ぼんやりとそれに耳を傾け聞き惚れていると、ただもうわけもなくねむく、ねむくなってくるのである。
力量あふれた著者を得た本書は、その眠気の謎を謎としてよく保存しつつ、それでいてきわめて純度の高い鉱脈をそこ、ここに確かに探り当てている。



















