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2016/08/03

ギリシャ悲劇と価値の衝突

以前、このブログで、メトロポリタン・オペラのライブビューイングで『エレクトラ』を見たこと、授業で精神分析学のエレクトラ・コンプレックス(エディプス・コンプレックス)を扱っていること、それから、エレクトラ・コンプレックスのもととなったエレクトラの物語について述べました。

実は、メトロポリタン・オペラのライブビューイングを見て、私が興味深い演出だなと思ったのは、エレクトラの弟オレステスが、父殺しの犯人である母親のクリュタイムネストラに復讐を遂げたとき、エレクトラは実の母親が殺されたにもかかわらず、まったく動揺していなかったことでした。

実の父親が殺されて、周囲からは「嘆きすぎ」と言われるほど嘆いたエレクトラなのに、父殺しの犯人とはいえ、実の母親の死にはまったく嘆かないし、良心の呵責も起きない。

それは、いったいなぜなのか。

このあたりが気になったので、いろいろと調べていたのですが、さらに面白いことがわかってきたので、覚え書きとしてメモしておきます。

まずエレクトラには、

父親のアガメムノン(アガメムノンは妻のクリュタイムネストラとその間男に、風呂に入ろうとしているときに殺される。クリュタイムネストラは、夫アガメムノンがトロイア戦争に出かけるときに自分の実の娘をいけにえに捧げたのを恨んで、夫を殺したいと思った。)

アガメムノンの妻でエレクトラの母のクリュタイムネストラ(クリュタイムネストラは、エレクトラの弟で自身の息子であるオレステスに殺される)

エレクトラの弟オレステス

といった家族があり、彼らが登場する戯曲はたくさん書かれています。

たとえば、アイスキュロスのオレステイア三部作(『アガメムノン』『供養する女たち』『慈みの女神たち』)や、ソポクレスの『エレクトラ』などです。

その中の『慈みの女神たち』には、次のようなエピソードが出てきます。

託宣の神アポロンみずからが、オレステスに実父のかたきを討てと命じたこと。

ポリスの人々の意見を述べる合唱隊(コロス)が、実の母親殺しは重罪なので、犯人(オレステス)を追放すべきだと主張していること。

つまり、オレステスは、神の命によって、実の父アガメムノンのかたきを討たなければならないのですが、そのかたきが、よりによって、殺してはならないとされる実の母親だったわけで、オレステスはこのジレンマを体現している存在ということになります。

今、アイスキュロスの『慈みの女神たち』を例にとって述べましたが、このように、エレクトラとその一族をめぐる悲劇には、あるジレンマが描かれているということがわかります。

ところで、マッキンタイアは『美徳なき時代』という本の中で、その対立を象徴する言葉のひとつとして、「正義(ディカイオシュネー)」という言葉を挙げています。

この言葉に着目しながら、戯曲を読み直すと、「なるほど」とうなずく箇所が随所に出てきます。

それぞれの戯曲の中で、おのおのの人々は「正義」の観念のもとに生き、行動をしているのですが、戯曲の中では、おなじ正義という言葉でも、それぞれの登場人物の信じる正義の意味が異なっていることに気づきます。

劇中で対立する登場人物たちが、どちらもおのれの信じる「正義」にもとづいて行動しているため、戯曲を読む側、演劇を見る側は、どちらが正しいのか、いったいどちらの「正義」が真の正義なのかがわからなくなってきます。

観客は、物語が進行するにつれて、異なった正義どうしの衝突を目の当たりにするのです。

父殺しのかたきを討つのが正義だと思っているエレクトラは、実の母が殺されても動じません。

しかし、それを見ている私の方は、母親殺しは倫理に反すると思っているので、母を殺させておいて動揺しないエレクトラに奇妙な感じを持ってしまうわけです。

ここから、この衝突の背景にあるものは何かという、とても興味深い問題も出てきます。

というわけで、関心のある方に、是非とも、私をこの問題にいざなったマッキンタイアの力作『美徳なき時代』(みすず書房)を読まれることをおすすめしたいと思います。

ちなみに、マッキンタイアは、『ハーバード白熱教室』で有名になった、あのサンデルと同じコミュニタリアンの立場から議論を展開していますが、マッキンタイアはサンデルとは違って思想史的、言説史的なアプローチをとっていますので、観念史や精神史に興味のある方には、とても有益な一冊だと思います。

ところで、サンデルの『ハーバード白熱教室』は、うわさになっていたので、私もDVDを購入して見ました。

見終わった後に感じたことは、サンデルの力量に感服するとともに、日本の事例については的を外しているということでした。

おそらく、そこに、マッキンタイアのいう、依拠する伝統の差異への考慮が必要になってくるのだと思います。

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