一茶に、しんみり
少し時期を逸していますが、みなさんの家では、「鏡開き」を行いますか。
鏡開きというのは、お供えしていた鏡餅を割って、お雑煮やお汁粉などにして食べる行事のこと。
私の実家のあたりではすでにその風習が廃れてきていたのか、子どもの時に1回か2回くらいしか経験したことがありません。
今日は、この鏡開きに関係する一茶の句を紹介したいと思います。
さて、文政4(1821)年の正月11日、一茶の家では、鏡開きを行いました。
鏡餅でつくったお雑煮が、まだほかほかと湯気をたてているお祝いの場で、次男の石太郎が他界してしまうのです。
生まれてからたったの96日しか生きていなかった石太郎でした。
かゞミ(=鏡)開きの餅祝して居(=す)へたるが、いまだけぶりの立けるを
最(も)う一度せめて目を明け雑煮膳(『真蹟』)
(口語訳:もう一度だけ、せめて目を明けて見な。目の前に雑煮の膳があるぞ。)
(以上、『一茶句集 現代語訳付き』玉城司訳注、角川ソフィア文庫、2013年、p46-47より)
妻の菊が石太郎を背負って窒息死させたと言って、菊を非難したともいわれていますが、私は、この句からは、そういった否定的な感情は感じられませんでした。
ただ、ただ、小さな石太郎への惜別の情しか感じませんでした。
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