むだ歩きの人生
小林一茶の句を紹介すること、4回め。
今日は季語のない(=無季の)句を取り上げます。
月花や 四十九年の むだ歩き(『七番日記』)
(口語訳:月や花やと四十九年もむだに遊行してきた。)
この句をさらによく理解するには、以下の3つの内容を踏まえておく必要がありそうです。
玉城司氏の解説に私のことばを足して記すと、こうなります。
(1)「四十九年(しじゅうくねん)」には「始終苦年」がかけあわさっていること。
(2)『論語』の「五十にして天命を知る」や『淮南子(えなんじ)』の「五十にして四十九年の非を知る」などが意識されていること。
(3)一茶は、西行法師や松尾芭蕉といった漂泊の偉人にはなれなかった、王道的なうた詠みの人生は送れなかった、無駄に旅しただけだったという悔恨の念から人生をふりかえっていること。
(以上、『一茶句集 現代語訳付き』玉城司訳注、角川ソフィア文庫、2013年、p547より)
私も今、「四十九年」をとうに過ぎ、「天命を知る」はずの「五十」も過ぎましたが、ときどき、一茶と同じような「むだ歩き」の人生を送っているかのような心持ちになることがあります。
これは誰もがそういう感情に襲われるのかもしれません。
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