芥川龍之介による斎藤茂吉『赤光』への讃美
私は小学生の3年生から4年生にかけて、芥川龍之介の王朝物と呼ばれる作品群をよく読んでいました。
そのときの経験は後年、拙著『大人のための仏教童話』(光文社新書)の中で、芥川の「蜘蛛の糸」を取り上げコメントするという形で結実したのですけれども、とにかく、小学生のころは芥川が大好きで、彼の作品に大きな影響を受けたといえます。
さて、ここ数回のエントリで、斎藤茂吉の短歌を紹介してきましたが、偶然にも、『赤光』初版が掲載されている新潮文庫に、芥川龍之介の手による「斎藤茂吉」というタイトルのエッセイが掲載されていたのを見つけたのです。
読んでみると、さすがに名文。
なおかつ、『赤光』がいかに人々にインパクトを与えたかがよくわかる文章になっています。
ということで、今回は、俳句や短歌そのものの紹介から少し外れて、芥川龍之介による斎藤茂吉論を、『芥川龍之介全集』からの一部抜粋で紹介したいと思います。
斎藤茂吉を論ずるのは手軽に出来る芸当ではない。
少くとも僕には余人よりも手軽に出来る芸当ではない。
なぜと云えば斎藤茂吉は僕の心の一角にいつか根を下しているからである。
僕は高等学校の生徒だった頃に偶然「赤光」の初版を読んだ。
「赤光」は見る見る僕の前へ新らしい世界を顕出した。
爾来(じらい)僕は茂吉と共におたまじゃくしの命を愛し、浅茅(あさじ)の原のそよぎを愛し、青山墓地を愛し、三宅坂を愛し、午後の電燈の光を愛し、女の手の甲の静脈を愛した。(中略)
僕の詩歌に対する眼は誰のお世話になったのでもない。
斎藤茂吉にあけて貰ったのである。
もう今では十数年以前、戸山の原に近い借家の二階に「赤光」の一巻を読まなかったとすれば、僕は未だに耳木菟(みみずく)のように、大いなる詩歌の日の光をかい間見ることさえ出来なかったであろう。(中略)
且又(かつまた)茂吉は詩歌に対する眼をあけてくれたばかりではない。
あらゆる文芸上の形式美に対する眼をあける手伝いもしてくれたのである。
(芥川龍之介「僻見」、『芥川龍之介全集』第11巻、岩波書店、1996年、p188-189。適宜改行を施した。)
大きな衝撃を受ける作品に巡り会えた僥倖が感じられます。
茂吉『赤光』初版が、昔大好きだった芥川龍之介の文章に巡り合わせてくれました。
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