カテゴリー「仏教の門」の17件の記事

2022/03/04

別れはすぐ近く

かなり間があいてしまいましたが、少しずつ、稿を進めていきたいと思います。

今日のテーマは、「別れはすぐ近くにある」。

芭蕉の句から、二句、紹介したいと思います。

 

  頓(やが)て死ぬけしきは見えず蝉の声

   (玉城司氏による口語訳:間もなく死んでしまうのに、そんな様子はまったく見えず、蝉が鳴きしきっている。)

 

  行春や鳥啼(とりなき)魚(うを)の目は泪(なみだ)

   (玉城司氏による口語訳:行き過ぎる春を惜しんで鳥は鳴き、魚の目にも涙が見える。)

 

上記の二句に共通しているのは、蝉も、春も、今が盛りで、自分たちがもうすぐ姿を消すことを自覚していなさそうに見えるのだが、それを見ているこちら側は、その盛りやその命がじきに終わってしまうことを感じているということだと思います。

実は、いま、私の母があと数ヶ月で亡くなろうとしています。

コロナのため、母に面会できないのですが、入院の前には食欲があり、ぱくぱくご飯を食べていたというのを聞くと、母はいま自分が亡くなることを感じているのかな、などとふと考えたりします。

その一方で、私自身、元気に毎日の生活を送っているわけですが、そんな私の背後にも、いつのまにか、知らない間に、死が忍び寄ってきているのかもしれません。

そんなことをつらつらと考えていると、『徒然草』の第百五十五段の終わりの部分に、似たようなことが書かれているのを思い出しました。

そこで、以下で『徒然草』の当該箇所とその口語訳を紹介したいと思います。

読みやすくするため、一文ごとに改行します。

まずは、原文から。

 

  四季は、なほ、定まれる序(ついで)あり。

  死期は(しご)は序(ついで)を待たず。

  死は前よりしも来(きた)らず、かねて後ろ(うしろ)に迫(せま)れり。

  人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来(きた)る。

  沖(おき)の干潟(ひかた)遥(はる)かなれども、磯(いそ)より潮(しほ)の満つるが如し。

    (以上、『現代語訳対照 徒然草』安良岡康作訳注、旺文社文庫、1971年、p260)

 

なお、この部分、安良岡康作氏による口語訳では以下のようになっています。

 

  四季の変化は、それでもやはり、きまった順序がある。

  が、人の死ぬ時は、順序を待たないで、突然やってくるものなのだ。

  その死は、前方からと限ってやって来るものではなくて、それよりさきに、人の背後に接近しているのだ。

  人間はみな、自分に死のあることがわかっていながら、それほどにも、死を待ち迎えることが切迫していない状態でいる時に、死は不意に到来するのだ。

  それは、ちょうど、沖の方の干潟(ひがた)が遠くに見えるけれども、潮のさす時は、海辺の磯から潮が満ちてくるようなものである。

     (以上、『現代語訳対照 徒然草』安良岡康作訳注、旺文社文庫、1971年、p261)

  

子どものとき、何も気にしないで時間の経つのも忘れて海の中にいると、あるとき、あっという間に、潮が満ちてきて、抵抗できずに、のみこまれそうになるかのような恐怖を覚えたという経験がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

潮にとらえられる前になんとか浜に上がればいいんだ、注意深さを忘れなきゃいいんだとは思うものの、それでも、いつか潮に呑み込まれるときがやってきます。

 

 

私が引用した『徒然草』の本は、amazonになかったので、別の本を掲載しておきました。

2021/12/03

万葉集と芭蕉の応答

今回は、春という同じテーマを、『万葉集』と松尾芭蕉がどのように表現しているか、比べてみたいと思います。

まずは『万葉集』の歌から。

 

 石走(いわばし)る垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出(い)づる春になりにけるかも【巻第八】

  (伊藤博氏による口語訳:岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ。)

 

芽を出して、ぐんぐん成長していくわらびの様子、スピード感が感じられます。

このスピード感はどこから来ているのかな、とちょっと考えてみたのですが、おそらくその理由は、「垂水」「上」「さわらび」というように、短いフレーズの最後に「の」が繰り返されていることや、「石走る」や「萌え出づる」ということばに、止めようのないほどの生命力が感じられることではないかと思った次第です。

 

 では、次に、松尾芭蕉の句。

 

よくみれば薺(なずな)花さく垣ねかな

 (雲英末雄・佐藤勝明による口語訳:よく見ると、垣根のあたりに薺が花を咲かせていることだ。)

 

草の戸も住替(すみかわ)る代(よ)ぞひなの家

 (雲英末雄・佐藤勝明による口語訳:この草庵も人の住み代わる時となり、これからは雛飾(ひなかざ)りのある賑(にぎ)やかな家になるのであろうな。)

 

どれもいいですね。

古代人が詠んだ春の生命力の力強さから一転。

ひっそりと咲いた雑草にふと目を留めたり。

旅に出るために住み慣れた芭蕉庵を手放し、これからはひな人形が飾られる家になるのだろうと、しみじみとした感慨を抱いたり。

(ただし、新しい居住者が入って賑やかになった庵を実際に見てから作った句だそうです。)

 

古代人が「春だね~」と呼びかけて、芭蕉が「春だね~」と応えているような、そんなやりとりを想定してみました。

2021/11/17

『万葉集』の中の無常

前回のエントリ「今と昔がつながっていること」の連想として、今回は、時代を一気にさかのぼり、『万葉集』の歌を取り上げてみたいと思います。

『万葉集』の中にも、(あまり多くないように私には思われるのですが)仏教的な歌が散見されます。

そこで、今回は『万葉集』の中に詠まれている無常をテーマに、歌を3首、紹介します。

 

 (1)世間(よのなか)を常(ねつ)なきものと今ぞ知る奈良の都のうつろふ見れば【巻第六】

 (伊藤博氏による口語訳:世の中とは何とはかないものかということを、今こそ思い知った。この奈良の都が日ごとにさびれてゆくのを見ると。)

 

 (2)巻向(まきむく)の山辺(やまへ)響(とよ)みて行く水の水沫(みなわ)のごとし世の人我(わ)れは【巻第七】

(伊藤博氏による口語訳を若干改変:巻向山のほとりを鳴り響かせて流れ行く川、その川面の水泡のようなものだ。うつせみの世の人であるわれらは。)

 

 (3)こもりくの泊瀬(はつせ)の山に照る月は満ち欠けしけり人の常(つね)なき【巻第七】

(伊藤博氏による口語訳:あの泊瀬の山に照っている月は、満ちたり欠けたりしている。ああ、人もまた不変ではありえないのだ。)

 

(1)の歌は、華やかだった場所がすさんだことを歌い、(2)と(2)は人間もいつか死を迎える存在であることを詠んでいます。

これを読むと、水泡のような存在である人間、そして人のすみかの無常について述べた、あの有名な、鴨長明の『方丈記』の冒頭部分が思い起こされました。

そこで、『方丈記』を取り出し、冒頭部分を再読しましたが、、、、やはり、有名なだけあって、いいですね。

ここにも掲載しておきます。

 

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

淀(よど)みに浮(うか)ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまる例(ためし)なし。

世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

たましきの都のうちに、棟(むね)を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、いやしき人の住(すま)ひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔(むか)しありし家は稀(まれ)なり。

或(あるい)は去年(こぞ)焼けて今年作れり。

或は大家(おほいへ)亡(ほろ)びて小家(こいへ)となる。

住む人もこれに同(おな)じ。

所も変(かは)らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。

朝(あした)に死し、夕(ゆふべ)に生るゝならひ、たゞ水の泡(あわ)にぞ似たりける。

不知(しらず)、生れ死ぬる人、何方(いづかた)より来たりて、何方(いづかた)へか去る。

また不知(しらず)、仮の宿(やど)り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜(よろこ)ばしむる。

その主(あるじ)と栖(すみか)と、無常を争(あらそ)ふさま、いはゞ朝顔の露に異(こと)ならず。

或は露落(お)ちて花残(のこ)れり。残(のこ)るといへども朝日に枯れぬ。

或は花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども夕(ゆふべ)を待つ事(こと)なし。

【『方丈記 徒然草』西尾實校注、日本古典文学大系、岩波書店、1957年】

 

 

私が参照した『方丈記』は、岩波書店の日本古典文学大系ですが、以下では岩波文庫版を載せておきます。

 

 

 

2021/10/06

今と昔がつながっていること

蕪村の句は絵画的、と言われるのをよく耳にしますが、その枠組みから外れている句を紹介したいと思います。

今日のテーマは、「今と昔がつながっていること」。

以下で、三句を挙げてみます。

 

(1)懐旧(かいきゅう)

  遅き日のつもりて遠きむかし哉

  (玉城司氏による口語訳:暮れなずむ春の日を重ねてゆくと、遠き昔が目の前に甦ってくることよ。)

 

(2)時雨(しぐる)るや我も古人の夜に似たる

   (玉城司氏による口語訳:時雨の雨が降り始めた。私もまた古人がそうであったように、わびしい夜を迎えている。)

 

(3)なつかしき夏書(げがき)の墨の匂ひかな

  (玉城司氏による口語訳:懐かしい夏書の墨の匂いがたちこめているよ。)

 

なお、(3)の句で「なつかしき」といっている相手は、蕪村より23歳も年上の雲裡叟(うんりそう)という俳人だそうです。

玉城司氏の解説によると、雲裡叟と蕪村は、俳系は違うのですが、意気投合して、江戸や京都などで対面する仲。

それを証するかのように、この句には、以下のような前書きがついています。 

雲裡叟(うんりそう)、武府の中橋にやどりして、一壺(いっこ)の酒を蔵し、一斗(いっと)の粟(ぞく)をたくはへ、たゞひたごもりに籠(こも)りて、一夏(ひちげ)の発句おこたらじとのもふけ(=用意)なりしも、遠き昔の俤(おもかげ)にたちて

句の中の夏書(げがき)というのは、一室にこもって経文を写経する修業のことだそうですが、蕪村はこの夏書の墨の匂いをかいで、昔、懇意にしていた雲裡叟が墨をすって発句を詠んでいた、ありし日の姿を、瞬時に思い出したのですね。

 

(1)の句は光と陰影、(2)の句は時雨の音、(3)の句は墨の匂い。

蕪村は自身の五感をつかって、時間や肉体を超えた人間のつながりのようなものを詠んでいます。

これらの句を読んだ瞬間、なんだか敬虔な気持ちになりました。

2021/09/10

人生の春の暮れ

与謝蕪村の句を紹介すること、その2回め。

今回は、春について詠んだ蕪村の句を3句、私の視点で並べ直してみました。

 

 寝ごゝろや いづちともなく 春は来ぬ

 (玉城司氏による口語訳:たゆたうような寝心地の快さ、どこからともなく春が来ていた。)


 うたゝ寝の さむれば 春の日くれたり

 (玉城司氏による口語訳:うたた寝から覚めて、ぼんやりしていると、春の日が暮れてしまった。)

 

 ゆく春や 逡巡(しゅんじゅん)として 遅ざくら

 (玉城司氏による口語訳を若干変えている:去って行く春よ。ためらいがちに咲く遅桜。)

 

これらの句は、単独のものとしては、上記に書いたような意味に読めるわけですが、こうやって並べ直して連続して読んでみると、上記の解釈とはまた違う読み方もできそうです。

たとえば、

 眠っているうちに、どこからともなく人生の春がやってきていた。

 しかし、うたた寝から覚めてみたら、春の日が暮れてしまっていた。

 気づいたら、ぼんやりしている間に、春は過ぎ去ろうとしている。

 そんな中、遅咲きの桜の私は、今から、ためらいがちに人生の花を咲かそうとしている。

 

というような感じでしょうか。

歌や句は、その並べ方によって、さまなざま意味に読めるようです。

今回の句は、「春」を人間の歴史だとか、古い世代から若い世代への交代だとか、個々の人生の栄枯盛衰といったような、時の移ろいの比喩に読み込むことが可能で、興味深く思った次第です。

 

2021/08/31

生のいぶき

これまでかなり長く斎藤茂吉の歌を紹介してきました。

今回からは、少し趣向を変えて、与謝蕪村(よさ ぶそん)の俳句です。

蕪村というと、とても有名な、以下のような俳句が思い浮かぶかもしれません。

 

 春の海 終日(ひねもす)のたりのたりかな

 なの花や 月は東に 日は西に

 さみだれや 大河を前に家二軒

 月天心(てんしん) 貧しき町を通りけり

 (「月が天心に高く照る夜半、貧しい町を通り過ぎたなあ。」玉城司氏による口語訳)


蕪村の句はよく絵画的といわれますが、上記の句を読むと、確かに風景が目に前にありありと浮かんできます。

そこで、まずは上記の句のように絵画的であり、さらに生と死が対照的に扱われているように思われる句から紹介を始めたいと思います。

 

 愁(うれ)ひつゝ 岡にのぼれば花いばら

 (「親しい人が亡くなった。愁いを抱いて、岡に上ると花茨が咲いている。」玉城司氏による口語訳に、筆者の説明を追記している。

  与謝蕪村、玉城司訳注『蕪村句集』角川ソフィア文庫、p209)

 

 水仙や 寒き都のこゝかしこ

 (「水仙が咲いているよ。寒い都のあちらこちら」玉城司氏による口語訳。

  与謝蕪村、玉城司訳注『蕪村句集』角川ソフィア文庫、p361)

 

なんだか、いいですね。

灰色の世界にあって白や黄色の色を見つけたことで、行き詰まりの中にあっても、次々と小さな希望を見つけ出していくような、そんな感じがします。

 

2021/08/22

生者必滅、会者定離のかなしみ

少し間が空いてしまいましたが、仏教が感じられるような文学作品(とくに、短歌や俳句)を紹介する連載を続けます。

今回のテーマは、生者必滅(しょうじゃひつめつ)、会者定離(えしゃじょうり)。

この世に生を受けたものは必ず滅び、出会ったものとは必ず別れるという教えですが、頭では理解していても、人は死や別れに際して、かなしみや寂しさを感じます。

このかなしみを詠んだ『赤光』の歌5首を紹介して、斎藤茂吉はいったん終了したいと思います。

 

  いのちある人あつまりて我が母のいのち死行(しゆ)くを見たり死ゆくを

  ひとり来て蚕(かふこ)のへやに立ちたれば我(わ)が寂しさは極まりにけり

 

  灰のなかに母をひろへり 朝日子(あさひこ)ののぼるがなかに母をひろへり(以上、「死にたまふ母」より)

 

  なに故に花は散りぬる理法(ことわり)と人はいふとも悲しくおもほゆ

 

  よひよひの露冷えまさる遠空を こほろぎの子らは死にて行くらむ(以上、「細り身」より)

 

年老いた母親はいずれ死ぬ。自分もいずれ死ぬ。そんなことはわかりきっているのに、いざその時がやってくると、このうえないさびしさを覚えたり。

母親はすでに灰になっていて、生前の姿形をとどめていないのに、その灰の中に、母親を見たり。

咲く花はいつか散るのだとわかっていても悲しくなったり、冬が近づいてコオロギの子の死が思われたり。

これらの歌をあじわうと、私たちはあらゆるものが変化することを知っているのに、なぜ変化にかなしさを覚えるのだろうか、としんみりと考えこんでしまいました。

ちなみに、上記の5首のうち、『赤光』の中では最初の2首は連続して掲載されていますが、残りの歌は断続的に掲載されているのを、このブログでは、今回のテーマに沿った歌を選び、並べて掲載しました。

 

 

2021/06/28

愛するものを燃やす火:斎藤茂吉『赤光』の「死にたまふ母」

ここのところ、当ブログでは俳句や短歌などを少しずつ紹介しておりますが、文学作品の選定については、「四苦八苦といった人間の苦しみや煩悩(ぼんのう)を描いていて仏教的である」という勝手な基準を設けております。

そのため、カテゴリのタイトルが「仏教の門」となっています。

四苦八苦とは何か、煩悩とは何か、ということはまた別の機会に書こうと思いますが、現在連載中の齋藤茂吉の『赤光』の「死にたまふ母」の部分は、まぎれもなく四苦八苦のうちの「愛別離苦(あいべつりく)」、すなわち「愛する者と別れる苦しみ」を描いています。

そして、本日は、悲しみの中にありながらも、別れの儀式にかかわらざるを得ない肉親のつらさをも詠んだ歌を紹介したいと思います。

 

  わが母を 焼(や)かねばならぬ火を持てり 天(あま)つ空(そら)には見るものもなし

  星のゐる夜ぞらのもとに赤赤(あかあか)と ははそはの母は燃えゆきにけり

  さ夜ふかく母を葬(はふ)りの火を見れば ただ赤くもぞ燃えにけるかも

  はふり火を守りこよひは更けにけり 今夜(こよひ)の天(てん)のいつくしきかも

                             (斎藤茂吉『赤光』新潮文庫、p46-47)

  

この一連の歌を読んだ時、夫の母の葬儀で火葬の点火ボタンを死者の配偶者である父自身が押していたことや、チベットの鳥葬の風習などが思い起こされました。

ハインリヒ・ハラーの『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の中には、チベットの貴族や高位のラマの遺骸は火葬である一方、民衆の葬儀では遺体を切り刻み、鳥や魚に食べさせるという役割をになう人たちがいるという記載が出てきます(ハインリヒ・ハラー『セブン・イヤーズ・イン・チベット』角川書店、1997年、p101-102)。

これを読んだ時はとてもショックだったのですが、最近は、愛する者への執着を断つという意味において、非常に重要な儀礼なのだと思うようになりました。

 

 

2021/06/16

芥川龍之介による斎藤茂吉『赤光』への讃美

私は小学生の3年生から4年生にかけて、芥川龍之介の王朝物と呼ばれる作品群をよく読んでいました。

そのときの経験は後年、拙著『大人のための仏教童話』(光文社新書)の中で、芥川の「蜘蛛の糸」を取り上げコメントするという形で結実したのですけれども、とにかく、小学生のころは芥川が大好きで、彼の作品に大きな影響を受けたといえます。

さて、ここ数回のエントリで、斎藤茂吉の短歌を紹介してきましたが、偶然にも、『赤光』初版が掲載されている新潮文庫に、芥川龍之介の手による「斎藤茂吉」というタイトルのエッセイが掲載されていたのを見つけたのです。

読んでみると、さすがに名文。

なおかつ、『赤光』がいかに人々にインパクトを与えたかがよくわかる文章になっています。

ということで、今回は、俳句や短歌そのものの紹介から少し外れて、芥川龍之介による斎藤茂吉論を、『芥川龍之介全集』からの一部抜粋で紹介したいと思います。

 

 斎藤茂吉を論ずるのは手軽に出来る芸当ではない。

 少くとも僕には余人よりも手軽に出来る芸当ではない。

 なぜと云えば斎藤茂吉は僕の心の一角にいつか根を下しているからである。

 僕は高等学校の生徒だった頃に偶然「赤光」の初版を読んだ。

「赤光」は見る見る僕の前へ新らしい世界を顕出した。

 爾来(じらい)僕は茂吉と共におたまじゃくしの命を愛し、浅茅(あさじ)の原のそよぎを愛し、青山墓地を愛し、三宅坂を愛し、午後の電燈の光を愛し、女の手の甲の静脈を愛した。(中略)

 僕の詩歌に対する眼は誰のお世話になったのでもない。

 斎藤茂吉にあけて貰ったのである。

 もう今では十数年以前、戸山の原に近い借家の二階に「赤光」の一巻を読まなかったとすれば、僕は未だに耳木菟(みみずく)のように、大いなる詩歌の日の光をかい間見ることさえ出来なかったであろう。(中略)

 且又(かつまた)茂吉は詩歌に対する眼をあけてくれたばかりではない。

 あらゆる文芸上の形式美に対する眼をあける手伝いもしてくれたのである。

(芥川龍之介「僻見」、『芥川龍之介全集』第11巻、岩波書店、1996年、p188-189。適宜改行を施した。)

 

大きな衝撃を受ける作品に巡り会えた僥倖が感じられます。

茂吉『赤光』初版が、昔大好きだった芥川龍之介の文章に巡り合わせてくれました。

 

2021/06/06

末期の母に会いたくて(齋藤茂吉『赤光』から)

前回のエントリ「ひた走る」では、斎藤茂吉の『赤光』初版の冒頭の歌3首を取り上げました。

今回の歌は、これです。

 

  みちのくの母のいのちを一目(ひとめ)見ん 一目みんとぞ ただにいそげる(『赤光』改選版)

 

この歌は初版『赤光』ではなく、茂吉が初版からの改訂を施した改選版の「死にたまふ母」に出てきます。

ちなみに、初版の方では、「ただにいそげる」の部分が「いそぐなりけれ」になっています。

 

  みちのくの母のいのちを一目(ひとめ)見ん 一目みんとぞ いそぐなりけれ(『赤光』初版)

 

たいへんな評判を呼び、熱狂的なファンを生みだした初版ですが、茂吉本人は文法的間違いも多く、荒削りなため、出版し続けることに恥ずかしさを感じていたようです。

そこで、初版の文法的間違いを訂正し、歌を並べ直して改選版を出版したという事情があるようですが、初版と改選版を読み比べてみると、私には前回紹介した冒頭の3首からしても初版の方が感動的であるように思われたので、前回のエントリでは初版の歌を、初版に掲載されている順番で紹介しました。

ただ、今回の「みちのくの~」の歌については、改選版「ただにいそげる」の方が、末期の母へ一刻も早く会いたい気持ちをよくあらわしていると感じたので、改選版を紹介している次第です。


さて、前回のエントリ「ひた走る」で採用した歌3首は、茂吉の恩師・伊藤左千夫の死の知らせを受け取って、いてもたってもいられず、深夜の道をひた走ったことが詠まれていましたが、今回の歌もそれらと通底するような、危篤の実母に一目会いたい気持ちが歌われています。

不思議なことに、前回紹介した歌も今回紹介した歌もどちらも、読んだ瞬間、私の実父が危篤になったという知らせを受けて、病院にかけつけた記憶が思い出されてきました。

現在父は回復しましたので、私も落ち着いていますが、あのときは、まったく予想していなかった危篤の電話に動揺していたのか、ばたばたと帰省の支度をしたあげく、結局必要なものは持っていかず、とりたてて必要ではないものがいくつもカバンの中に入っていたというようなことがあったのです。

歌というのは、詠み手の経験や感情を歌っているのに、読む側の記憶までも刺激するのが奥深いところです。

 

なお、今回私が参照したのは、『赤光』の初版と改選版が同時に掲載されている岩波文庫『赤光』(1999年)です。

アマゾンではこの本を見かけませんでしたので、初版と改選版が同時に所収されている電子書籍を以下に掲載しておきます。

 

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