カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の392件の記事

2019/06/03

エッセイ寄稿のお知らせ

『大法輪』2019年7月号の「鉄笛」コーナーに、エッセイ「利他のこころ」を寄稿しました。

これは、私の現在の経験と過去の思い出から、「利他」の実践のひとつのかたちについて書いたものです。

2019年6月9日に発売されます。

よろしかったら、手に取っていただけるとありがたいです。

 

2019/05/11

光文社新書この一冊、私が選んだものは……

『♯光文社新書この一冊』に、私のオススメの一冊の推薦文を書きました。

この企画は、光文社新書が1000点を突破した記念に、過去に光文社新書から本を出版したことのある著者や出版関係者、さらには読者から「光文社新書といえば、これ」という一冊を推薦文つきで挙げてもらうというものです。

私が挙げたのは、香西秀信が書いた『論より詭弁』なのですが、この他にもいろいろな方がいろいろな本をオススメしています。

この冊子は書店等でも無料で入手できるようですが、そのうち、ネットでもダウンロードできるとのこと。

みなさま、これを機会に、光文社新書を読み直してみたら、いかがでしょうか。

 

2018/11/19

ホームページを立ち上げました。

お知らせです。

ホームページを立ち上げました。

興味のある方はご覧いただければ幸いです。

2018/08/09

『よいこの太陽信仰』、配信されています!

猛暑ですが、みなさま、いかがお過ごしですか。

突然ですが、 私が監修をつとめた、ぶしやまさんの漫画『よいこの太陽信仰』が配信になっていま~す。

この漫画は、天界にある役所の太陽課が舞台で、そこに集ったさまざまな民族の太陽神がボケと突っ込みを繰り返します。

神話の筋をあらかじめ知っている私も、ゲラを読んでいると自然と「ふふふ」と笑ったり、「なるほど、そうか、あの神様は現代だと、こんなキャラか~」と不思議と納得してしまったり……。

監修という仕事をしながらも、たいへん楽しい時間を過ごしました。

ぶしやまさんの漫画はすばらしく、とてもおもしろいけれども、切り口は斬新で、よく見ると、かなり本格的な内容というような趣になっております。
担当の編集者・神山実和さんにもたいへんお世話になりました。
おふたりとも、ありがとうございました m(_ _)m

デジタル版でのみ配信されていますので、興味のある方はダウンロードしてみてください。

2018/05/03

スロトレと糖質制限の2年間、中学時代の制服が入った!

両親の認知症問題で、てんやわんやの日々を送っていたことは先に書いた通りですが、親の問題が起こる少し前から、私自身にもこれまでの人生のツケというか、老化現象というか、昔のようには無理が利かない部分があらわれてきていました。

自宅から、非常勤先の学習院女子大学まで自転車で通っているのですが、坂道を登ると、息切れがするようになり、それがだんだんひどくなってきて。。。

10代、20代では気にもなってなかったことが、30代、40代、50代になると、無視できなくなってくる。

それを放っておくと、70代後半ぐらいで、後からどんなに悔やんでも、とりかえしのつかないことになってしまうということを、両親を見ていて、よーく理解できたのです。

要は、認知症も含めて、心身の健康をいかに保つかということなのですが、この2年もの間、いくつかのトレーニングを実践してきて抜群の効果を発揮したものがあります。私の経験からいえば、それは3つです。

その3つは、それぞれ異なる領域を訓練するものなのですが、最初に、第1のトレーニングである筋トレについて、書きたいと思います。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

私は若いときから太りやすい体質で、少し太ってくると、いろいろなダイエットをしてきました。

大学生のころには、ダイエットシェイクのいわゆる置き換えダイエットが流行っていて、すぐに痩せたもののすぐに元に戻ったり。

なかでも効果があったのは『世にも美しいダイエット』で、これをきっかけに、太るとすぐに炭水化物を減らすダイエットをして、体重をもとに戻そうとしてきました。

その結果、どうなったかというと、ヨーヨーダイエッターになってしまいました

ところが、40代後半になると、体型が冗談抜きで四角くなり、洋服のサイズがどんどん大きくなってしまい、炭水化物を抜いても、ちょっとやそっとじゃ、体重が減らないようになってしまったのです。

身体検査をすると、(お酒なんて飲めないのにもかかわらず)脂肪肝の診断が。。。

ということで、ちょうど2年前、本気で肉体改造をしようと思い立ったのです。そして、ちゃんと勉強しようと思い、いろいろな本を読んでいたさなかに出会ったのがコレ!

石井直方先生の『一生太らない体のつくり方』(エクスナレッジ)『スロトレ【完全版】DVDレッスンつき』(高橋書店)です。

『スロトレ』は、ベストセラーになったので、みなさんもご存じかもしれませんが、なんと石井先生は、かつてボディビル日本選手権のチャンピオン

理論と実践の両方に秀でた人物の言に耳を傾ける価値あり。

そう思った私は、石井先生の本を読み、スロトレの理屈をまずは理解しました。そしてすすめに従って、この2年間、食事を見直しDVDをみながらひたすら自宅で筋トレを行った結果!

12kgの減量を達成しました〜!

洋服のサイズも、15号(ときには17号)を着ていたのが、今では9号が着られるようになりました

この前、実家の片付けをしていたら、中学校の時の制服が出てきて、遊び心で来てみたら、(お腹をうーっと引っ込めた状態だったものの)入った! 入った! 入りました!

筋トレの威力を再認識した次第です。

2018/04/03

認知症、ライフプランニング、そしてデジタル化——私のこの一年

新年度が始まりました〜!

この1年の間、ブログにまったく手がつけられませんでしたが、実は、昨年度は公私ともに、変化の年でした。

小学生のころに読んだ『赤毛のアン』の主人公アンが、人生の中での変革期を「道の曲がり角」という比喩であらわしていたことが思い出されます。

今の私はまさに「道の曲がり角」を歩いている最中といった感じです。

私的な話をすると、最初の道の曲がり角は、義理の親が認知症の疑いで運転免許の取得が危うくなったことだったと思います。

結果的に無事取得できたのですが、その時、「認知症」なるものを真剣に調べ、認識したのでした。

その後、奇妙な一致で、ほぼ同時期に、私の実の親が認知症と診断されて入院。10kmもの距離を夕暮れ時にばんばか歩いて行って、転んで擦り傷を作って帰ってきたり、車やカギのありかを忘れたり、水を3日間も出しっぱなしにしたりして、ついには、長らく住んだ家に住み続けることが不可能な状態になってしまいました。

今の日本を揺るがしている中心的問題である認知症を、身をもって体験したわけですが、 とにかく人間が老いて、独力で生活していくことが不可能な状態になっていくのを目の当たりにし、自分(ないしは自分の老後)をかえりみて、これまで気づかなかったこと、これまで避けてきたことを、いろいろと考えさせられた日々でした。

たとえば、老後を見据えて、どんな家に住むようにするのがよいかとか、老後にどれくらいのお金をどういう状況に備えて用意しなくてはならないとか、心身共に健康寿命を保ち、老いにまつわる病気を少しでも長く遠ざけておくために、今から何を鍛えておくべきかといったような、誰もが一度は考える事柄です。

それから、思い返してみると、これもまた興味深い一致だったと感じるのですが、ちょうど親の認知症事件がおこったのとほとんど同じ時期に、将来の公務員の退職金引き下げや年金の引き下げに備えて、大学が開講した教職員向けのライフプランニングのセミナーを受講しました。これも、将来に備えて、ずいぶんと勉強になったことの1つです。

しかし何よりも私の心を強くゆさぶったのは、元気だった人物が老いて、ある日突然、愛着を持っているもの、強く執着しているものから引き離されてしまう様子をつぶさに見たことです。ありふれた言葉ですが、生老病死、諸行無常、愛別離苦(あいべつりく)といった仏教のテーマの普遍性を痛感した次第です。

一方、ここ数年、大学における公的業務として、デジタルアーカイブの構築にたずさわってきました。

現代は、老いも若きも、赤ちゃんも、デジタル化に対応せざるを得ない状況にあります。

苦手とか、できないといって逃げていられない!

ということで、デジタルなんてホント言うと苦手な私ですが、コテコテの文系でもわかるデジタルアーカイブの授業を考案しました。

ご興味のある方はこちらからシラバスをご覧ください。

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さらに付け加えると、どうも今年度はデジタルアーカイブ関連の節目の年になりそうな気配(?)。

道を曲がっている中で見えてきた、さまざまな風景について、またここで書きたいと思います。

2017/04/01

悪の起源

哲学者・黒崎宏先生より、新刊書『悪の起源 ライプニッツ哲学へのウィトゲンシュタイン的理解』(春秋社)をいただきました!

黒崎先生は、なんと今年89歳になられますが、いまだに新著が刊行されるとは!

それはつまり、定年退職後も思索を続けていること、その問題関心がいまだ古びておらず、訴える力を持っていること、等々を意味していると私には思われます。

そういえば、私はやはり89歳で新刊書を出された古典学者の故・西郷信綱先生からも、ご本を頂戴したことがあります。

あの時も「すごいな~」とただただ感嘆しましたが、今回もまったく同じで、なんだか御縁を感じます。

ところで、なぜ私が黒崎先生から御著書を頂戴しているのか、疑問に思った方もいらっしゃると思います。

黒崎先生のお名前は、私の最初の本『クソマルの神話学』(青土社)のあとがき部分に出てくるのですが、そもそもの先生との出会いは今から20年ほども前のこと。

ウィトゲンシュタイン、とくに後期のウィトゲンシュタイン哲学をきちんと勉強したくて、大学院の博士課程の2年生と3年生の時に、なんの事前登録もなし、先生にもなんの事前連絡もなしに、もぐり学生として、成城大学の授業を、一回も休まずに聴講していたのです。

この後、西生田にある日本女子大学の現代社会学科に、(現在の助教にあたる)専任助手として就職したこともあって、先生の授業の聴講はとても残念なことに、2年で終了してしまいました。

が、その2年間の楽しかったこと!

これはお世辞でも何でもなく、まぎれもない私の本音ですが、先生の授業は毎回たいへん密度が濃く、また論理的なので、一言でも聞き漏らすまいと、一生懸命にノートをとったものです。

今回のご本に、黒崎先生ご自身も、哲学者・哲学史家の下村寅太郎の講義にモグリで出席していたと書かれており、これもまた御縁を感じた次第です。

さて、今回、私が最も興味深く感じた箇所は、夏目漱石の有名な「則天去私(天に則って私を去る)」についての解釈。

これは論理的には「去私則天(私を捨て去って、天に則った生活をする)」となるはずだ、と黒崎先生は指摘しているのです。

これを読んで私の頭をよぎったのは、田里亦無(たざと やくむ)の著書『愚者の「さとり」 道元に賭ける』(産業能率大学出版部)の第一章の田里のコメントでした。

実は、漱石の禅の師匠であった鎌倉円覚寺の釈宗演和尚は、のちに漱石に言及した際に、漱石の「則天去私」を、「去私則天」と順番を入れ替えていたというのです。

田里亦無が、宗演のどの本から、このエピソードをとってきたか記していないので、まだ出典を確認していないのですが、黒崎先生の今回のご本から鑑みても、漱石がなぜ「去私則天」とすべきところを「則天去私」の順番にしたのかについては、漱石の思想を探る上で、非常に重要ではないかと気づいたのでした。

黒崎先生のご本は、この漱石への言及を含んだ「老子と荘子」などの新しく書き下ろされた文章のほか、成城大学の紀要などがもとになった「科学者の科学知らず」や「言葉について」「ライプニッツ試論」といった文章も入っています。

また、各章の最後には、書き下ろしのコラムもついているのですが、とくに、最後の「科学の本質」というタイトルのコラムは、短いけれども、科学なるものが、文系の私にも非常によく理解できる秀逸のコラムだと思われます。

なにより、地球の本当の姿は丸ではなく、洋梨の形だという箇所には、「えっ? え――!!」となりました(みなさん、ご存じでしたか? 私は知りませんでした。武満徹の「〇と△の歌」は実際のところ、どうなってしまうのでしょうか。「〇と△の歌」は以下の動画の5:45ぐらいから始まります)。

この事例によって、科学者のみならず私自身も、さまざまなものを無意識のうちに理想化して見ているのだと、よく理解できた次第です。

2017/03/06

デュレンマットの戯曲

先月のことですが、ネブカドネザルに関するオペラと戯曲を立て続けに2つ見ました。

1つは、METのライヴ・ビューイングで見たヴェルディのオペラ『ナブッコ』で、プラシド・ドミンゴが主役ナブッコ(ネブカドネザルのこと)を演じていました。

ご存じのとおり、ドミンゴは、パバロッティやホセ・カレーラスとともに、「スリー・テナーズ」として有名ですが、年齢を重ねた結果、近年はバリトンで活躍しています。

現在、76歳というから驚き。人間の寿命が100歳近くなっていく世界の中で、ドミンゴの活躍は、キャリアと老いのバランスを改めて考えさせるような、生き方のモデルを示しています。

ちなみに、音楽はよかったのですが、ストーリーの方は、いつものヴェルディ、という感じ。

(厳しいコメントかもしれませんが、ヴェルディの作品は、私には登場人物の行為に必然性が感じられないことが多くて、あまり評価していないのです。ヴェルディはやはり音楽家です。)

ところで、この後、何の御縁か、ネブカドネザルに関する戯曲がもう1つありました。

それは、桐朋学園芸術短期大学芸術科演劇専攻2年生の卒業公演で、フリードリヒ・デュレンマットの戯曲『天使がバビロンにやってきた』です。

ストーリーのさわりを述べますと、神さまが無からつくりあげた少女クルビは、「いちばん取るに足りない人間」であり、「地球に残存しているただ一人の乞食」であるアッキに与えられるべく、天使とともに人間界にやってきます。

するとそこには、乞食に身をやつしたネブカドネザル王が。

ネブカドネザル王は、本物の乞食アッキと、どちらが「いちばん取るに足らないか」、どちらが乞食術にたけているかという競争をします。

そして、ネブカドネザル王が負けて、天使とともに天からやってきた少女クルビを得るのです。しかし、……。

この後の続きと肝腎のオチは、ここに書いていませんが、この戯曲は、見終わった後、劇として破綻しているのではないか、いやそうでもないのでは? などと、もやもやとして、さまざまな方向から戯曲を検討し、考え込んでしまいました。

思わず『デュレンマット戯曲集 第一巻』(鳥影社)を図書館で借りて、一番最初に出てくる戯曲「聖書に曰く」も読んでしまったほど。

そして、読み終えた結果の感想は、「デュレンマットはおもしろい!」

「聖書に曰く」と「天使がバビロンにやってきた」は、片や(宗教改革初期の急進派といわれ、千年王国の樹立を目指した)再洗礼派の話、片や旧約聖書とシュメール神話といった具合に、具体的な素材は違いますけれども、テーマとしては類似したものを扱っていると感じました。

ちなみに、再洗礼派についての書籍は、たとえば、『千年王国の惨劇―ミュンスター再洗礼派王国目撃録』(平凡社)倉塚平『異端と殉教』(筑摩書房)などがあります。

1536年1月22日に、再洗礼派のミュンスター王と宰相、副官の3人が無残な処刑をされた後、それぞれの死体は3つの鉄の檻に入れられて尖塔に吊され、その死体を鳥がついばんだということです。

3つの鉄の檻は約500年を経た今でも残されており、私たちはたとえば、ウィキペディアの「ミュンスターの反乱」の中の「聖ランベルティ教会の塔の檻」というキャプションが付けられた写真などで確認できます。

デュレンマットの「聖書に曰く」という戯曲は、このミュンスター王と宰相を中心に描いた、史実にもとづくフィクションで、作家の力量を十二分に示していると感じ入りました。

2017/02/12

「●●クラブ」の流行?

日本語のウェブ版「ウォール・ストリート・ジャーナル」(2017年2月9日付け)を見ていたら、最近、アメリカの一部の学校では、学生の心身の健康のための対応策として、「●●(漢字2文字)」を導入しているのだとか。

学生の間では、クラブまでできたほどの盛り上がりを見せているそうなのです。

さて、「●●」とはいったい何でしょう?

実はそれは、「昼寝」。

詳細は「ウォール・ストリート・ジャーナル」の記事を読んでいただければと思いますが、つい最近、大学で健康診断を受診した私としては、健康診断で、腰回りを測られてメタボ診断されたり、気分が落ち込んだりすることがあるかチェックされたり、毎日何を食べているか、毎日何時間眠っているかを申告したりするのと、この昼寝クラブの隆盛は、同様なものを感じました。

従来の漠然とした常識は、「健康」というようなものは個人的な領域に属するもので、たとえば脳梗塞だとか糖尿病だとか、遺伝の影響が強いとみなされているような病気を予防するため、自己の管理を徹底する必要があるというものだったと思います。

ところが、最近は、従来個人の領域に含まれてきた「健康」の領域を、教育機関や雇用機関が管理し始めているという事態が生まれてきていることになります。

前にもこのブログで書きましたが、私が楽しみにしているものの中に、NHKの『実践ビジネス英語』(ラジオ第2放送)があります。

この番組は、タイトルこそ、「ビジネス英語」となっていますが、英語表現とともに、 アメリカのトレンドが、講師の杉田敏氏の筆によって、よくわかるようになっています。

2017年1月号のテキスト中で、企業や自治体主導のウェルネス・プログラム、健康維持への取り組みがとりあげられていて、企業は、「従業員のためのめい想教室、無料マッサージ、サルサやベリーダンスの教室、料理教室、はり治療のセミナーなど」を開催しているとのこと。

企業は社員の健康を維持することによって、長期的コストを削減する方向にシフトしつつあるとのことでした。

昼寝の推奨は、ついに、個人の睡眠までも管理・統御される時代に進みつつあることを示しているということなのでしょうか。

真面目な話、医療費の伸びを抑制するという目的のために、そのうち、枕や布団、腕などの身体の一部に装着された機器から、毎晩の睡眠データ、食事データなどが、学校や会社に自動送信されるということになるかもしれません。

ウォール・ストリート・ジャーナルの記事に興味のある方は、こちらからどうぞ。

2017/01/01

あけまして、おめでとうございます!

明けまして、おめでとうございます

2017年も始まりました!
みなさま、昨年は当ブログにいらしていただき、本当にありがとうございました。
昨年はさまざまな事情で、あまり更新できなかったのですが、今年はいろいろな意味で発信に重点を置く年にしたいと思っております。
みなさまにとって、本年が良い年になりますよう、心からお祈りしております。
本年も、「東ゆみこのウェブサイト」を、どうぞよろしくお願いいたします。
m(_ _)m

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