カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の395件の記事

2020/01/14

我々は第一次世界大戦を目撃するか:ピーター・ジャクソン監督『彼らは生きていた』

デジタル処理も、ついにここまで来たか~! という感慨を抱かせる映画を見つけました。

第一次世界大戦の記録映像を最新のデジタル技術で、修復、着色、3D化した『彼らは生きていた They shall not grow old』(ピーター・ジャクソン監督)

これは第一次世界大戦の実写化でも、再現でもなく、厳密にいえば復元でもない(?)。

私たちは、まさに過去の一部を目撃している。そういう映像になっているようです。

ちなみに、この映画の画像版といえる、戦争にまつわる風景写真のデジタル修復・着色・3D化は、東京大学大学院情報学環の渡邉英徳教授が進められています。

渡邉先生とは、地方紙・デジタル化活用研究会でご一緒していて、研究会の際にAIが着色した写真をいくつか見せていただきました。

とにかく、モノクロ写真に着色をするだけで、いきいきとして、血が通った感じがするのです。

この時、私が疑問に思ったのは、古いモノクロ写真に写っているさまざまなものを赤だとか白だとか黄色だとか、AIはどういう基準で判断しているかということでした。

それを渡邉先生に質問したところ、AIはやはり間違うことがあるとのこと。

正確を期すためには、当時を知る人たちや研究者たち等々で話し合い、個々のものにひとつずつ丹念に着色を施す必要があるということでした。

たぶん『彼らは生きていた』も、1コマ1コマに想像を絶する苦労があったのではないかと思われます。

ところで、『彼らは生きていた』の予告編を見てみると、ホンモノの兵士が、戦いの合間に、食事をとったり笑ったり、おどけたりしている様子が見られます。

戦時下といえど、彼らは常時、悲観したり、真剣だったりしていたわけではなさそうです。

ここで思い出されるのは、俳優・加東大介が自身の戦争体験をもとに制作した、日本映画の『南の島に雪が降る』(1961年)。

ニューギニア戦線で、加東は兵士の慰安のために劇団をつくるよう命じられ、苦心をしながら舞台をつくりあげていく様が描かれています。

『南の島に雪が降る』はプロの俳優が役柄を演じていて、第一次世界大戦のホンモノの兵士の様子が記録されている『彼らは生きていた』と、違いはありますが、比較してみると、新しい発見があるかもしれません。

 

2020/01/09

今年もよろしくお願いいたします & 絵本版「アマリリスのような女の子」

2020年も本格的に始動しました。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ところで、広島県三次市にある浄土真宗本願寺派 宝池山源光寺の福間玄猷住職から、私が『大人のための仏教童話』(光文社新書)の中で取り上げた花岡大学作の「アマリリスのような おんなの子」を絵本にし、電子書籍化したとの連絡をいただきました。

『大人のための仏教童話』を執筆していた当時、私は山梨県にある都留文科大学で、カリフォルニア大学からの留学生に対して、「日本文化」を教えていました。

留学生の日本語上達のため、それから日本文化の理解のため、子ども向けに書かれた仏教の物語を10本選定して、学生と一緒に読みながらディスカッションするという授業を行っていました。

その時の授業をまとめたものを光文社から新書で出版したのですが、それを読んで下さったご住職が、その物語を絵本にされたのです。そして、各地でそれを読んで説法をされていらっしゃるとのことです。

絵本版「アマリリスのような 女の子」は、アマゾンのkindle版で購入いただけます。こちらからどうぞ。

また、ご住職のブログはこちらです。

 

2019/12/25

エッセイ、転載のお知らせ

年も押し迫ってまいりました。

いつも「東ゆみこのウェブサイト」を見に来てくださり、まことにありがとうございます。

 

さて、1点、お知らせです。

『大法輪』に寄稿した私のエッセイ「利他のこころ」が、熊平製作所が一年に一度、編纂されている『抜萃のつゞり その七十九』の、なんと冒頭に転載されました。

『抜萃のつゞり』はもともと、熊平製作所の創業者・熊平源蔵が昭和6年に、自分の読んだものの中から感動したエッセイを集めてきて、1冊のパンフレットにしたところから始まり、戦中戦後の3年間を除いて刊行し続けてきたものだそうです。

昨日、見本10部と、たいへんおしゃれなことに、京焼の盃のセットを送っていただきました。

この後、45万部を印刷・製本し、年明けの1月29日には百十カ国の日本大使館や総領事館、全国八万八千カ所の団体・個人へ無料配布されるとのことです。

熊平雅人会長、「抜萃のつゞり」ご担当の宮脇保博様、熊平製作所の関係者のみなさまに、心から御礼申し上げます。

ちなみに、今回のエッセイ「利他のこころ」は、私の仕事を形成する数本の柱のうちの一本である仏教に関連するもので、私が他のエッセイや講演等でよく取り上げている伯母の思い出を描いております。

 

 

 

 

 

2019/06/03

エッセイ寄稿のお知らせ

『大法輪』2019年7月号の「鉄笛」コーナーに、エッセイ「利他のこころ」を寄稿しました。

これは、私の現在の経験と過去の思い出から、「利他」の実践のひとつのかたちについて書いたものです。

2019年6月9日に発売されます。

よろしかったら、手に取っていただけるとありがたいです。

 

2019/05/11

光文社新書この一冊、私が選んだものは……

『♯光文社新書この一冊』に、私のオススメの一冊の推薦文を書きました。

この企画は、光文社新書が1000点を突破した記念に、過去に光文社新書から本を出版したことのある著者や出版関係者、さらには読者から「光文社新書といえば、これ」という一冊を推薦文つきで挙げてもらうというものです。

私が挙げたのは、香西秀信が書いた『論より詭弁』なのですが、この他にもいろいろな方がいろいろな本をオススメしています。

この冊子は書店等でも無料で入手できるようですが、そのうち、ネットでもダウンロードできるとのこと。

みなさま、これを機会に、光文社新書を読み直してみたら、いかがでしょうか。

 

2018/11/19

ホームページを立ち上げました。

お知らせです。

ホームページを立ち上げました。

興味のある方はご覧いただければ幸いです。

2018/08/09

『よいこの太陽信仰』、配信されています!

猛暑ですが、みなさま、いかがお過ごしですか。

突然ですが、 私が監修をつとめた、ぶしやまさんの漫画『よいこの太陽信仰』が配信になっていま~す。

この漫画は、天界にある役所の太陽課が舞台で、そこに集ったさまざまな民族の太陽神がボケと突っ込みを繰り返します。

神話の筋をあらかじめ知っている私も、ゲラを読んでいると自然と「ふふふ」と笑ったり、「なるほど、そうか、あの神様は現代だと、こんなキャラか~」と不思議と納得してしまったり……。

監修という仕事をしながらも、たいへん楽しい時間を過ごしました。

ぶしやまさんの漫画はすばらしく、とてもおもしろいけれども、切り口は斬新で、よく見ると、かなり本格的な内容というような趣になっております。
担当の編集者・神山実和さんにもたいへんお世話になりました。
おふたりとも、ありがとうございました m(_ _)m

デジタル版でのみ配信されていますので、興味のある方はダウンロードしてみてください。

2018/05/03

スロトレと糖質制限の2年間、中学時代の制服が入った!

両親の認知症問題で、てんやわんやの日々を送っていたことは先に書いた通りですが、親の問題が起こる少し前から、私自身にもこれまでの人生のツケというか、老化現象というか、昔のようには無理が利かない部分があらわれてきていました。

自宅から、非常勤先の学習院女子大学まで自転車で通っているのですが、坂道を登ると、息切れがするようになり、それがだんだんひどくなってきて。。。

10代、20代では気にもなってなかったことが、30代、40代、50代になると、無視できなくなってくる。

それを放っておくと、70代後半ぐらいで、後からどんなに悔やんでも、とりかえしのつかないことになってしまうということを、両親を見ていて、よーく理解できたのです。

要は、認知症も含めて、心身の健康をいかに保つかということなのですが、この2年もの間、いくつかのトレーニングを実践してきて抜群の効果を発揮したものがあります。私の経験からいえば、それは3つです。

その3つは、それぞれ異なる領域を訓練するものなのですが、最初に、第1のトレーニングである筋トレについて、書きたいと思います。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

私は若いときから太りやすい体質で、少し太ってくると、いろいろなダイエットをしてきました。

大学生のころには、ダイエットシェイクのいわゆる置き換えダイエットが流行っていて、すぐに痩せたもののすぐに元に戻ったり。

なかでも効果があったのは『世にも美しいダイエット』で、これをきっかけに、太るとすぐに炭水化物を減らすダイエットをして、体重をもとに戻そうとしてきました。

その結果、どうなったかというと、ヨーヨーダイエッターになってしまいました

ところが、40代後半になると、体型が冗談抜きで四角くなり、洋服のサイズがどんどん大きくなってしまい、炭水化物を抜いても、ちょっとやそっとじゃ、体重が減らないようになってしまったのです。

身体検査をすると、(お酒なんて飲めないのにもかかわらず)脂肪肝の診断が。。。

ということで、ちょうど2年前、本気で肉体改造をしようと思い立ったのです。そして、ちゃんと勉強しようと思い、いろいろな本を読んでいたさなかに出会ったのがコレ!

石井直方先生の『一生太らない体のつくり方』(エクスナレッジ)『スロトレ【完全版】DVDレッスンつき』(高橋書店)です。

『スロトレ』は、ベストセラーになったので、みなさんもご存じかもしれませんが、なんと石井先生は、かつてボディビル日本選手権のチャンピオン

理論と実践の両方に秀でた人物の言に耳を傾ける価値あり。

そう思った私は、石井先生の本を読み、スロトレの理屈をまずは理解しました。そしてすすめに従って、この2年間、食事を見直しDVDをみながらひたすら自宅で筋トレを行った結果!

12kgの減量を達成しました〜!

洋服のサイズも、15号(ときには17号)を着ていたのが、今では9号が着られるようになりました

この前、実家の片付けをしていたら、中学校の時の制服が出てきて、遊び心で来てみたら、(お腹をうーっと引っ込めた状態だったものの)入った! 入った! 入りました!

筋トレの威力を再認識した次第です。

2018/04/03

認知症、ライフプランニング、そしてデジタル化——私のこの一年

新年度が始まりました〜!

この1年の間、ブログにまったく手がつけられませんでしたが、実は、昨年度は公私ともに、変化の年でした。

小学生のころに読んだ『赤毛のアン』の主人公アンが、人生の中での変革期を「道の曲がり角」という比喩であらわしていたことが思い出されます。

今の私はまさに「道の曲がり角」を歩いている最中といった感じです。

私的な話をすると、最初の道の曲がり角は、義理の親が認知症の疑いで運転免許の取得が危うくなったことだったと思います。

結果的に無事取得できたのですが、その時、「認知症」なるものを真剣に調べ、認識したのでした。

その後、奇妙な一致で、ほぼ同時期に、私の実の親が認知症と診断されて入院。10kmもの距離を夕暮れ時にばんばか歩いて行って、転んで擦り傷を作って帰ってきたり、車やカギのありかを忘れたり、水を3日間も出しっぱなしにしたりして、ついには、長らく住んだ家に住み続けることが不可能な状態になってしまいました。

今の日本を揺るがしている中心的問題である認知症を、身をもって体験したわけですが、 とにかく人間が老いて、独力で生活していくことが不可能な状態になっていくのを目の当たりにし、自分(ないしは自分の老後)をかえりみて、これまで気づかなかったこと、これまで避けてきたことを、いろいろと考えさせられた日々でした。

たとえば、老後を見据えて、どんな家に住むようにするのがよいかとか、老後にどれくらいのお金をどういう状況に備えて用意しなくてはならないとか、心身共に健康寿命を保ち、老いにまつわる病気を少しでも長く遠ざけておくために、今から何を鍛えておくべきかといったような、誰もが一度は考える事柄です。

それから、思い返してみると、これもまた興味深い一致だったと感じるのですが、ちょうど親の認知症事件がおこったのとほとんど同じ時期に、将来の公務員の退職金引き下げや年金の引き下げに備えて、大学が開講した教職員向けのライフプランニングのセミナーを受講しました。これも、将来に備えて、ずいぶんと勉強になったことの1つです。

しかし何よりも私の心を強くゆさぶったのは、元気だった人物が老いて、ある日突然、愛着を持っているもの、強く執着しているものから引き離されてしまう様子をつぶさに見たことです。ありふれた言葉ですが、生老病死、諸行無常、愛別離苦(あいべつりく)といった仏教のテーマの普遍性を痛感した次第です。

一方、ここ数年、大学における公的業務として、デジタルアーカイブの構築にたずさわってきました。

現代は、老いも若きも、赤ちゃんも、デジタル化に対応せざるを得ない状況にあります。

苦手とか、できないといって逃げていられない!

ということで、デジタルなんてホント言うと苦手な私ですが、コテコテの文系でもわかるデジタルアーカイブの授業を考案しました。

ご興味のある方はこちらからシラバスをご覧ください。

20182a4_outline2
さらに付け加えると、どうも今年度はデジタルアーカイブ関連の節目の年になりそうな気配(?)。

道を曲がっている中で見えてきた、さまざまな風景について、またここで書きたいと思います。

2017/04/01

悪の起源

哲学者・黒崎宏先生より、新刊書『悪の起源 ライプニッツ哲学へのウィトゲンシュタイン的理解』(春秋社)をいただきました!

黒崎先生は、なんと今年89歳になられますが、いまだに新著が刊行されるとは!

それはつまり、定年退職後も思索を続けていること、その問題関心がいまだ古びておらず、訴える力を持っていること、等々を意味していると私には思われます。

そういえば、私はやはり89歳で新刊書を出された古典学者の故・西郷信綱先生からも、ご本を頂戴したことがあります。

あの時も「すごいな~」とただただ感嘆しましたが、今回もまったく同じで、なんだか御縁を感じます。

ところで、なぜ私が黒崎先生から御著書を頂戴しているのか、疑問に思った方もいらっしゃると思います。

黒崎先生のお名前は、私の最初の本『クソマルの神話学』(青土社)のあとがき部分に出てくるのですが、そもそもの先生との出会いは今から20年ほども前のこと。

ウィトゲンシュタイン、とくに後期のウィトゲンシュタイン哲学をきちんと勉強したくて、大学院の博士課程の2年生と3年生の時に、なんの事前登録もなし、先生にもなんの事前連絡もなしに、もぐり学生として、成城大学の授業を、一回も休まずに聴講していたのです。

この後、西生田にある日本女子大学の現代社会学科に、(現在の助教にあたる)専任助手として就職したこともあって、先生の授業の聴講はとても残念なことに、2年で終了してしまいました。

が、その2年間の楽しかったこと!

これはお世辞でも何でもなく、まぎれもない私の本音ですが、先生の授業は毎回たいへん密度が濃く、また論理的なので、一言でも聞き漏らすまいと、一生懸命にノートをとったものです。

今回のご本に、黒崎先生ご自身も、哲学者・哲学史家の下村寅太郎の講義にモグリで出席していたと書かれており、これもまた御縁を感じた次第です。

さて、今回、私が最も興味深く感じた箇所は、夏目漱石の有名な「則天去私(天に則って私を去る)」についての解釈。

これは論理的には「去私則天(私を捨て去って、天に則った生活をする)」となるはずだ、と黒崎先生は指摘しているのです。

これを読んで私の頭をよぎったのは、田里亦無(たざと やくむ)の著書『愚者の「さとり」 道元に賭ける』(産業能率大学出版部)の第一章の田里のコメントでした。

実は、漱石の禅の師匠であった鎌倉円覚寺の釈宗演和尚は、のちに漱石に言及した際に、漱石の「則天去私」を、「去私則天」と順番を入れ替えていたというのです。

田里亦無が、宗演のどの本から、このエピソードをとってきたか記していないので、まだ出典を確認していないのですが、黒崎先生の今回のご本から鑑みても、漱石がなぜ「去私則天」とすべきところを「則天去私」の順番にしたのかについては、漱石の思想を探る上で、非常に重要ではないかと気づいたのでした。

黒崎先生のご本は、この漱石への言及を含んだ「老子と荘子」などの新しく書き下ろされた文章のほか、成城大学の紀要などがもとになった「科学者の科学知らず」や「言葉について」「ライプニッツ試論」といった文章も入っています。

また、各章の最後には、書き下ろしのコラムもついているのですが、とくに、最後の「科学の本質」というタイトルのコラムは、短いけれども、科学なるものが、文系の私にも非常によく理解できる秀逸のコラムだと思われます。

なにより、地球の本当の姿は丸ではなく、洋梨の形だという箇所には、「えっ? え――!!」となりました(みなさん、ご存じでしたか? 私は知りませんでした。武満徹の「〇と△の歌」は実際のところ、どうなってしまうのでしょうか。「〇と△の歌」は以下の動画の5:45ぐらいから始まります)。

この事例によって、科学者のみならず私自身も、さまざまなものを無意識のうちに理想化して見ているのだと、よく理解できた次第です。

より以前の記事一覧

Amazon

無料ブログはココログ